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心地よい、選択肢のない生活

ノルウェーの暮らしで気に入っているところはたくさんあるけれど、「何事においても、選択肢が少ない」というのも、その1つ。

例えばどんな選択肢が少ないかと言うと・・・

  • 美味しい焼き菓子(特にクッキーは、本当にない。びっくりするほどない。)

  • レストラン(特にアジア系レストラン。美味しい日本食レストランは1、2店の寿司屋を除き皆無。)

  • 子供服(街の子供用品店は数店舗。デザインはどれもシンプルでアウトドア用。おしゃれで可愛い子供服は皆無。)

  • 洗剤、柔軟剤、ティッシュ、トイレットペーパーなどの日用品(片手で余裕で足りるくらいの選択肢。)

  • 便利グッズ(いわゆる100均で売っているような、あったら便利だけどななくても何とかなるグッズも皆無。たまに見つけても、この値段じゃ買わないでしょう・・・という価格設定。)

  • 週末に行く場所(特に日曜日はどこもかしこも閉まるので、本気で行く場所がない。)

本当はきっともっと選択肢の少ないジャンルがあるのだが、最近はノルウェーの生活に慣れ過ぎて、相対的に何が少ないのかも、よくわからなくなってしまった。

約2年前、ノルウェーに来た時の感想は、「なにこの国、何にもない、何もないじゃん・・・!」だった。「本当に何もないな」と思った。その前に住んでいたのが世界一の大量生産大量消費国家の中心地・NYだったので、落差がすごかった。

正確に言うと、「何もない」というのには2種類あって、「自分が使える(慣れ親しんでいた日本製や日本食といった)モノがない」というのと、「そもそもモノの種類が少ない」というもの。

私の場合、日本製品がそこまで手に入らないことはアメリカ時代にある程度適応済だったので(とはいえ、NYでは結構手に入った)、この文脈でいう「何もない」は後者の「何もない(=そもそもモノの種類が少ない)」ということである。

モノがなければ、諦める、そして慣れる

モノがないと、仕方がないので諦める。「この洗剤、香りが強すぎる、しかも注ぎ口から液が垂れる・・・」と思っても、代替品がないので、「もういいや、我慢しよ」となる。そして、そのうちに慣れる。
洗剤が自分にとってパーフェクトでなくとも、日常生活に支障はないし、まぁ何とかなる。日常生活で使用するものなんて、大抵そんなところ。
ティッシュやトイレットペーパーも、当初は「この紙かたい!肌がチクチクする!ゴワゴワ過ぎるでしょ!」と思っていたけれど、今では普通に使えている。(それでも日本の鼻セレブは恋しい)

そして今は、選択肢がないことで、本当に楽。
洗剤もティッシュもトイレットペーパーも、毎回何も考えず同じものを買っている。その他のモノも、大抵は選択肢がないので、考える必要性がない。選ぶ時間も必要ない。
日本では、どんなモノでも新商品で溢れかえっているけれど、多分ノルウェーには新商品という概念は存在しない。(新しいモノが出ると、大抵前のモノが廃盤になっているので、新商品であるが結果的に選択肢は増えない。)

あれほど不便だと思っていた選択肢のなさが、慣れれば心地よい。

スティーブ・ジョブズが日々の決断の数を減らし、重要な決断に費やすエネルギーを節約するために、毎日同じ洋服を着ているのは有名な話。
私自身は、選択をしないことで節約したエネルギーを何か重要な決断に使えている自信はないけれど、少なくとも日々快適に、心地よく暮らせていることは間違いない。

選択肢が少なければ、自分で作る

とはいえ、美味しいものを食べることが本当に好きなので、譲れないのが食事。こちらは、慣れるというよりも、自作精神で乗り越えた。
自分で言うのもなんだが、この2年間で本当に鍛えられた。コロナ禍で出歩けないことも後押しして、何でも作るようになった。
寿司、ラーメン(麺から)、うどん、小籠包、パン、納豆、おはぎ、どら焼き、わらび餅、トニックウォーター、梅酒、その他諸々。
日本にいた時も、寿司とラーメン以外は、自分好みの味付けにできるから、中途半端に外食するなら自分で作った方がいいと思っていたが、ついに寿司とラーメンも相応のクオリティを自作できるようになった。アッパレ!

作るものに自分自身で制限を加えなくなってから、より料理が楽しくなった。失敗してもいいから、あれ作ってみよう、これ作ってみようと思える。
また、まわりの友人もかなりの料理上手揃いなので、日々いろんなことを教えてもらっている。それもまた楽しい。

食事については、選択肢がないことを純粋に楽しめるようになった、というより、自作精神が鍛えられたことが大きい。

「選択できる生活」に戻ることを恐れる

最近は、いつ日本に帰国するのか不透明ながら、選択肢の多い、東京での生活に戻ることをややネガティブに感じている。

この記事で書いた通り、選択肢が狭まることの心地よさに気づいてしまったので、東京での暮らしに戻るのが面倒なのだ。
当地でいかにシンプルな、選択肢の少ない生活をしていても、一度東京に戻れば、目の前で現れては消え、現れては消えるモノに踊らされて、自分にとってベストなモノを選択する行為をせざるを得ない気がする。

すぐ手の届く範囲により良さそうなモノがあれば、手をのばさずにはいられないというか。
別に、より美味しそう、より品質が高そう、より便利そう、なモノを乞うことでは悪ではない。というか、その精神がもとで、世の中便利になっていく。

ただ、そういった人間の努力によって生まれてきたモノの種類が多すぎて、そんな社会に戻りたくないと感じるのは、なんとも皮肉な話。

そんなわけで、ノルウェーに来た当初は「何にもない」と思っていたのに、最近ではそんな中で充足した、心地の良い日々を過ごしている。
口を開けば「○○がない!!!」と言っていた2年前の自分に伝えてあげたい。モノがなくったって、ちゃんと暮らしを楽しめていますよ。

この2年間、よく頑張りました!

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