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令和5年夏、熱狂甲子園塾!(その9/最終回)

おまけ

U18ワールドカップの「スモールベースボール」

U18ワールドカップで日本は初優勝を飾った。選手選考のときから、スモールベースボールという言葉が話題になっていた。馬淵代表監督(明徳義塾)は、「バントのできる選手を20人選んだ」として、小技と機動力で勝つことを宣言した。
大会前には、大砲として名の挙がっていた選手たちを選考しなかったことを疑問視する声もあった。しかし、馬淵監督は、自分の信念を貫いて初優勝に導いた。星稜高校の松井秀喜選手の5敬遠を永遠に批判される同監督だが、今回は見事だったと認めてよいのではないか。
スモールベースボールといっても、決して強打をしないわけではない。このことは監督自身も優勝会見で話しており、「2アウト3塁でも日本はバントする」とした台湾の監督の負け惜しみの皮肉は当を得ていない。
実際に、決勝戦の6回表はできれば打って追加点をあげて勝ちたいという采配をしていた。だが、そこでは得点できず、結果として5回表のクリーンヒットなしの2得点だけで勝利することになったのはたまたまである。
台湾の2投手はプロ並みの球を投げていた。あれを打ち崩すのは容易ではなかった。決勝戦は、スモールベースボールで日本が「小狡く」勝ったのではなく、台湾の投手が素晴らしかったからあの展開になったのである。日本の前田悠伍投手も、先制点を奪われて心配したが丁寧によく投げた。改めて、短期決戦は投手力だと痛感する。
今大会、U18世代では世界で一番練習している日本の高校生がようやく優勝した。この優勝は、短期決戦の厳しさや怖さを知り尽くしている馬淵監督が、昨年の経験も活かしてもたらしたものとはっきり見て取れた。馬淵監督は、世間の苦言も意識しつつ「自分にはそれしかできない」とスモールベースボールを振り返った。WBCの栗山英樹さん同様の、代表チームを率いる責任感を真正面から受け止めた、戦う男の言葉だった。
ただ一つ、日本代表に危うさを感じたのは、優勝決定の瞬間だった。歓喜を爆発させてマウンドに集結するのはよいが、水をかけるのは要らないだろう。相手に対する敬意を欠くように見えなかったか心配になった。日本は、かつて野球の国際大会で優勝国の振る舞いに呆れさせられたことがある。それと同じになってはならない。日本は、いつでも品位と礼節のある国であるべきである。
もう一つ、大会の7イニング制度には大きな不満が残った。試合時間の長さが問題視されても、野球はやはり9イニングでやるものだろう。7イニングだと、負けているほうは5回にはもう焦りが出てきてしまう。投手の球数制限が適正かどうか怪しく、(今大会の決勝の前田投手のように)ひとりで完投することも可能で、投手の価値が大きくなりすぎる。何より、攻撃の面で、フル出場しても2回しか打順が回らないことが理論上ありうるというのでは、美しく完成された野球のシステムを壊すものと感じた。

夏の終わりと甲子園

一連の記事を書き、甲子園に没頭した私の夏もようやく終わった感がある。気がつくと、私だけが夏にとどまって、甲子園について、高校野球について、教育について、名残惜しそうにあれやこれやとわめいてきたようである。
だが、人生も、世の中も、流れを止めず移り変わっていく。今年の球児は、来年にはもういない。甲子園は、来年も同じように開催されるとはかぎらない。私も、今年と同じように甲子園を見ることができるとはかぎらない。
私の駄文に結論はない。執筆を終え、私にできることは、熱い今年の夏を見送りながら平和を祈ることだけかもしれない。甲子園は、若者たちの激しくも爽やかなスポーツの勝負と、私の中の平和の象徴である。
つい先日、「婦人公論.jp」に、慶應義塾高校の森林監督の特集記事が掲載されているのを目にした。その記事は、「目指すは、スポーツを通じた世界平和です!」という監督の言葉で締めくくられていた。私は、この「熱狂甲子園塾!」では、森林監督の考えを俎上に載せて、重箱の隅をつつくような異見を並べた箇所がある。しかし、同じ教育者として、また、立場は違えど同じくスポーツを愛する者として、究極に目指すところはおそらく同じである。
甲子園があるから日本は幸せだといえる。その幸せは、甲子園が素晴らしいと思う気持ちに支えられている。甲子園があっても幸せでない日本人や、甲子園のない世界の人とも、甲子園の素晴らしさが分かち合うことができたらよいと思う。甲子園は、アマチュアスポーツ精神において、オリンピックと共通する。甲子園は、教育の一環として実施されており、より教育的な性質を有している。スポーツと教育と、その素晴らしさを信じる人によって、これからも甲子園が維持されることを願う。


ごあいさつ

私は、甲子園の一ファンである、一教育者であります。甲子園が面白ければいいという考えは持っていません。一方、理想だけで甲子園が成り立つはずもありません。ただの野球の試合ではなく、100%教育でもなく、その中間の微妙なところにあるからこそ、甲子園は人間らしい魅力があると言えましょう。
これにてひとまずゲームセットです。最終回までお読みいただきありがとうございました。

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