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令和5年夏、熱狂甲子園塾!(その8)

あれこれ

近江高校

最後はすべてをKEIOの大応援団が呑み込んでいったような印象のある今大会。初戦で負けはしたものの、滋賀県代表の近江高校には甲子園のスタンドから温かい応援が注がれていた。
慶應の人気が今夏瞬間的に沸騰したものであるのに対して、近江高校の人気はこの十数年の間に少しずつ積み上げられてきたものである。近江ブルーとよばれる鮮やかな水色のユニフォームを身にまとい、陽気なチャンステーマに乗って、多賀章仁監督の人柄を映し出したかのように誠実にプレーする選手の姿が、代は変わってもファンの心を打ち続けた。
そして昨年、近江高校の人気は頂点に達していた。エースで四番・キャプテンの山田陽翔選手の存在が、近江人気を最大に引き上げた。山田選手は、久しぶりに見る、甲子園の生んだスーパースターだった。京都国際高校の代替出場だったセンバツでの熱投。王者・大阪桐蔭に限界まで敢然と立ち向かった決勝。夏も甲子園に戻ってきて、打者として満塁ホームラン。チームを鼓舞し続け、ベスト4まで勝ち残った。決して期待を裏切らない山田選手の近江劇場は、見る者すべてを惹きつけた。
山田選手は、必ずしも圧倒的な能力を示したわけではない。たとえば、夏の大会では読売ジャイアンツに入団することになる浅野翔吾選手に完璧なホームランを打たれている。それでも、これほど一投一打に注目を浴びた選手はいない。ワクワクもハラハラもさせてくれ、勝っても負けても彼の戦う姿勢は感動を呼んだ。試合では闘志を前面に出し、試合が終われば謙虚にインタビューに答える彼は、高校球児の魅力をすべて表現していた。そのため、滋賀県出身の有名人が毎試合声援を送ったり、音楽家からオリジナル応援歌が贈られたりと、山田選手と近江高校は誰からも愛された。昨年の大会は、山田選手という主人公がいる大会だった。山田選手は、その後ドラフト5位指名を経てプロ野球の西武ライオンズに入団したが、彼の甲子園での唯一無二の活躍は、ドラフト1位の契約金の何倍にも値する興奮を高校野球ファンに与えた。
その山田選手がいなくなった今年、近江高校は夏の甲子園大会に帰って来た。センバツ出場がなかったせいもあって、高校野球ファンは、近江を待ち望んでいた。今年、全国優勝を狙うほどの力はないということがわかっても、観客は最後までひたすら温かかった。その声援は、長年甲子園を沸かせてくれた近江に対するお礼のようでもあった。そんなふうに皆から愛される近江高校を見ていると、私まで温かい気持ちになった。甲子園は特定の高校のためにあるわけではもちろんないが、こういう現象が生じるのも甲子園の魅力の一つだと感じ入った。

余談ながら、大阪桐蔭高校が優勝した第100回の夏の大会で、近江高校は、準々決勝で金足農業の乾坤一擲のツーランスクイズに屈して敗れた。だが、もし、決勝に進んだのが金足農業でなく近江だったならば、根尾・藤原・柿木・横川といったスターたちを擁した大阪桐蔭を倒す可能性は少しはあったと私は考えている。このような「たられば」を考えるのも面白いものである。
さらに余談ながら、今大会の近江高校は、初戦の大垣日大戦で敗れたものの、山田修斗選手がホームランを打っている。このホームランは、前回大会の山田陽翔選手の満塁ホームラン(上記)よりもいい当たりだった。このような選手が、昨年の大会でベンチ入りもしていなかったのを不思議に思う。
選手育成・チーム作りは、部外者にはわからない部分がたくさんあるものである。

ベストバウト

もしも、今大会「一番いい試合」をした両チームに与えられる賞があるとすれば、その候補に「鳥栖工業-富山商業」戦が必ず挙がっただろう。延長タイブレークが10回からになったため、ほとんどが早期決着する大会にあって、延長10回は両者0点、延長11回に1点ずつを取り合って12回にまでもつれ込み、鳥栖工業が3-2で勝利した。
鳥栖工業は、仮面ライダーと同じ名がつけられた松延兄弟のバッテリーが注目を集めた。話題性だけでなく、弟の響投手(1年)は球速もあるよいピッチャーで、それを兄の晶音(アギト)捕手(3年)がよくリードし、効果的な盗塁阻止もあった。対する富山商業は、県大会ノーエラーの堅守が特長で、この試合でも随所に好守が光り、延長10回裏には外野手の大ファインプレーで敗戦を逃れている。7回裏には、二塁手のバックハンドのグラブトスから遊撃手が打者走者を補殺するプロのような連携プレイも飛び出して球場を沸かせた。
派手な長打はなかったが、息詰まる守り合いの接戦。実に「高校野球らしい」試合だった。試合後、NHKの解説者の方もいたく感激していた。このような素晴らしい試合に出会うと、それをアマチュアの高校生に見せてもらったという事実に感謝の念を覚える。その素晴らしさの中には、高校生らしさ、さわやかさというのが確かに要素としてあるのだと思う。高校生らしさ、さわやかさを否定しては、高校野球は高校野球でなくなる。高校生がやっている野球の試合のひとつ、あるいは高校生の成長を促す部活動の公式戦のひとつ――そういうものに解消されない、ここでしか得られない輝きが、「甲子園」には詰まっている。
甲子園初出場の鳥栖工業は、学校も苦慮したのだろう、クラウドファンディングによって関係費用を集めていた。赤を基調とした特徴的なユニフォームが目を引いた(ただし、今大会はなぜか赤が多かった)。記録員の女子マネージャーの生徒は、激しいゲキを飛ばし続けて話題になった。一方、富山商業はかつての常連校。伝統のTOMISHOユニフォームをまとい、北陸の高校らしい粘り強い戦いぶりを見せた。そんなことも含めて、本当に素敵な試合だった。

甲子園のキヨハラ

清原和博さんは、甲子園史上最高のスーパーヒーローだった。その活躍はここで改めて記す必要はないだろう。プロ野球での活躍もあわせ、野球界の偉大なスターだった。
その和博さんの次男の勝児選手が、慶應義塾高校に所属しており、センバツに引き続き夏の甲子園のベンチ入りを果たした。慶應という人気校に属していたため、勝ち上がるごとに彼も注目度をいや増した。
甲子園のキヨハラは、まさしく伝説であった。もう40年にもなろうとする大昔のできごとではあるが、その圧倒的な打力の衝撃は誰も忘れられない。今年、そのキヨハラが聖地に再び降臨するということで、甲子園のファンの心は色めき立った。
勝児選手は代打で登場することがほとんどだったが、コールされ打席に立つだけで球場の雰囲気が明らかに変わった。その効果は、森林監督も認めており、ジョーカーとして一番よい代打起用のタイミングを図っている様子が見られた。
勝児選手は、父親と異なり、あまり打たなかった。センバツでは1安打したが、夏は決勝戦で1四球の出塁を記録したのみである。だが、打たなくても大きな戦力になっていたのが面白い。体格でも父親のほうが大きかったが、父親よりも顔は凜々しかった。
和博さんは、薬物に手を出して野球界から遠ざかってしまっていたが、今大会は毎試合甲子園で勝児選手を見守る父親ぶりが見られた。息子を関東のオシャレなエリート校に入学させた父親の、いつまでも抜けなかった関西弁のイントネーションが懐かしい。
甲子園のキヨハラ。父は一番打って優勝に貢献し、息子は一本打たずに親子とも優勝に貢献した。勝児選手の甲子園出場は年齢制限により今大会が最後ということらしい。甲子園の歴史の1ページに、温かい親子の物語が書き添えられた。

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