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令和5年夏、熱狂甲子園塾!(その6)

教育と甲子園

テレビ中継

甲子園は全ての試合が開始から試合終了後のインタビューまでほぼ完全にテレビ中継される。放送時間に関しては、プロ野球以上の対応である。
近年は、地方大会の予選から多くの試合がインターネットでも中継されている。私も、今年、注目選手の地方大会をチェックした。それは、もちろん教育者の視点ではなく、ただのファン目線である。甲子園に届かなくても、お馴染みの選手が活躍するのを応援できるのは嬉しいものではある。
高校野球のテレビ中継の目的は何なのか。その目的の優先順位はどうなのか。
高校野球が教育第一であるならば、そもそもテレビ中継などして高校生をもてはやすべきではない。――それは、甲子園ファンには耐えられない。
高校生が主役だというのなら、大人である監督が出しゃばるのは控えたほうがいい。そこで、たとえば、試合直後に監督のインタビューを放送するのをやめてはどうか。――きっと、甲子園ファンは物足りなく感じるだろう。
慶應高校の森林監督は、高校野球だけが特別面白いとは思わないと著書で述べているが、高校野球ファンはその意見にきっと反対する。甲子園のような巨大なコンテンツは、制度自体が変わらないかぎり周囲の見方を変えるのは難しい。甲子園は、教育を追いやり、エンターテインメントとビジネスが前面に出て成り立っている。甲子園中継は、大いなる矛盾のど真ん中で行われている。新聞社やNHKが自ら制度を破壊するわけもない。主催者も関係者も出場校もファンも、皆で現制度を利用しておきながら、その目的などを改めて真面目ぶって考えようとしても無駄である。
もっとも今は、教師の働き方改革をめぐって、部活動のあり方が問い直されている。その議論の中で、「甲子園」もふさわしいあり方を考えることが大切である。少子化が急速に進み、教育の持続可能性に対しての危機感は高まっている。何かを変えることが必要ならば、そのチャンスである。テレビ中継される高校生のスポーツ大会は野球だけではないが、圧倒的に影響力のある甲子園がよりよい方向を見出すことができれば、日本の教育は大きく改善されるだろう。

須江監督の言葉の力

現在の高校野球界でもっとも影響力がある監督の一人は、仙台育英高校の須江航監督である。須江監督は言葉の力がすごい。昨年の「青春って密」に続き、今年も「人生は敗者復活戦」という名言を残してニュースにも採りあげられた。初優勝した昨年から今年にかけて、仙台育英を率いながらも、東北を代表し、さらに日本全国に教育をしてくれている感がある。その教育の対象は、高校生だけでなく、私たち大人も含まれるようだ。
ただ、今大会は、連覇へのプレッシャーからか、いささか勝ちに執着していたように見えた。勝利監督インタビューの言葉に、毎試合余裕がなかった。確かに、今大会は「強豪」ばかりと当たることになり、実際にギリギリの戦いもあった。しかし、いくら「強豪」といっても、プレーするのは高校生であるし、そもそも全国大会で与しやすい相手はいない。須江監督には、相手を高くリスペクトすることによって、自らを追い込んでしまったような雰囲気があった。
決勝戦の後、プレッシャーから解放された須江監督は、選手たちにgood loserとしての振る舞いを求めたが、本人には若干行き過ぎのような面も見られた。慶應高校の森林監督を必要以上に持ち上げる発言や、慶應高校先発の鈴木投手をエースの小宅投手と比較するような発言があったのは、やや残念であった。あえて言うなら、若さがのぞいたのだろう。
仙台育英は、優勝した昨年、複数のエース級の投手の贅沢な継投で相手を寄せ付けない試合を重ね、新時代の高校野球を見せつけ衝撃を与えた。しかし、今大会は、自慢の投手陣を駆使するというよりも、須江監督の「信頼」の高い髙橋投手・湯田投手の2人頼みの継投になっていた。直球が150km/hを超えるもう一人の投手は、制球不安もあってか、ほとんど登板機会はなかった。実際に、2人でなければ勝てなかったのかもしれない(初戦の浦和学院高校戦ではその2人でさえ打ち込まれて9失点したほどである)。だが、須江監督のいう「信頼」というものが、目の前の一勝のための、いささか狭いものになっているように感じられたのも事実であった。
――苦言めいた考察が長くなりすぎてしまった。一つも負けられない戦いにあっては、勝ちにこだわるのも当然である。ましてやディフェンディングチャンピオンの立場であっては、なおさらである。そして、勝つためには、キレイごとは捨てて、エースに頼らなければならないこともある。勝つために努力してきて、試合では勝つための最善の手段を採る。その当然のことと、日々の目に見えない教育力とは別物である。
私は、今大会後の須江監督のある発言を聞いて驚嘆した。須江監督は、準優勝の報告会で、「世間では慶応の応援がすごい、すごすぎると言っていたが、決勝戦、僕の耳にはみんなの応援のほうが大きかったと思っている」と述べたという。あの大応援の圧力を経験しておいて、このような言葉は、誰にも言えない。私は、同じ教育者として、須江監督にさらに尊敬の念を重ねた。このような凄い監督がいるから、宮城県の他の高校を軽視するわけではないが、次の甲子園大会でも仙台育英高校をぜひ見たいと思わせてくれる。
須江監督は、昨年全国優勝して地域とのつながりをより強く意識するようになったという。青葉城恋歌を応援歌に導入したのは須江監督だったそうである。かりに、将来、甲子園が高校単位ではなく地域のクラブチーム単位となったとしても、若い須江監督ならその新しい大会をリードすることができるはずである。そういう期待も含めて、須江監督の今後にますます注目したいと思う。


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