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令和5年夏、熱狂甲子園塾!(その1)

はじめに

筆者について

私は、現在、高等学校で非常勤講師を務めています。
夏休みは授業がなく勤務がないため、時間に余裕がありました。
それで、高校野球中継をずっと観ることができたという、
世間的にはどちらかというと特殊な立場にある人間です。

私は、以前は公立高校の正規教員でしたが、
運動部の顧問をするのがムリ(≒イヤ)になって退職しました。
そんな人間が、甲子園を語る資格があるのか。
しかし、何かを語ってみたくて仕方がない。
そこで、教師の端くれとして、それでいて高校野球のいちファンとして、
今大会について感じたこと、考えたことをここに書いてみます。
よろしければ、すこしおつきあいください。

記憶の新しいうちに記事をアップし、細部は後で手を入れたいと思います。
なお、タイトルの「塾」は慶應現象への皮肉(≒冗談)ですが、
これから書く記事の内容には何かを批判する意図はありません。
今大会を通じて浮かびあがった課題を一緒に考えられたら幸いです。

甲子園について

甲子園(=全国高等学校野球大会)は、箱根駅伝と並ぶ
日本の二大スポーツエンターテイメントだと私は思っています。
これらを見る夏休み・冬休み・春休みは、平和だなあとつくづく感じます。
大会が終わると名残惜しく、またすぐ次を期待している自分がいます。
特に甲子園のほうは、都道府県・地域に根付き、学校全体の応援を受け、
それがテレビ中継されることで、日本の一つの文化になっています。
(吹奏楽なんて、甲子園のためによりいっそう注目されています。)

グラウンドで繰り広げられる、鍛えられた選手たちのレベルの高いプレーは
見事というほかなく、一発勝負の真剣さは限りない感動を呼び起こします。
しかし、それを担っているのが、アマチュアの高校生であるという点を
どう考えたらいいのでしょうか。
教育に反する興業化や商業主義、目的化や勝利至上主義など、これまでも
高校野球と甲子園の問題点はいろんな角度から提起されてきたでしょう。
そのなかには、しっかり乗り越えてきた問題もあるでしょう。
しかし、今は、これまで目をつぶってきた、あるいは隠されていた問題が
無視できなくなっている時代であるようにも感じられます。

少子化が進み、子供はどんどん減っています。野球人口も同様です。
教員不足の報道に見るように、学校教育自体が曲がり角を迎えています。
特に、私のように部活動顧問の職務を行うのに限界を感じる教師が増え、
中学校を中心に部活動のあり方が問われています。
また、近年の夏の酷暑は、日中の子供たちの命を危険にさらすほどになり、
当然、炎天下で行う甲子園大会の矛盾を追及する声も大きくなりました。

このような大きな新しい問題を抱える今の時代に、
甲子園がある幸せ、甲子園を見られる幸せはいつまで続くものでしょうか。
もし、近い将来の存続が危ぶまれる要因があるのだとしたら、
早めに何か手を打つ必要があるのではないでしょうか。
特別扱いされてきた野球部、甲子園だからこそ。

今大会の閉会式の挨拶で、ある大会役員のかたは、
来年もここ甲子園でやると断言していました。
(森林監督は聞いていらっしゃったでしょうか。)
たしかに、甲子園には歴史があります。
球児たちの夢です。憧れです。ロマンです。
私たち日本人みんなの青春です。最高の文化です。
しかし、酷暑の開催に疑問を持つ関係者は今や少なくありません。
持続可能な「甲子園」のため、改革の必要があるのかどうか、
それを問うことを否定してはならないと私は考えます。

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