どうしようもない自分ですが、それでも「やってみたい」に純粋でありたい
今日、職を失った。
正確にはフリーランスとして活動していくにあたり、メインとなる予定だった業務委託のうちの一つを事実上クビになってしまった。
クリエイターとして活動していきたい私だけど、今は大阪に住んでいて、地方公務員の彼と結婚もしてこともあり東京へは中々行けない。でも私のやってみたいと心動かされる仕事は東京に集中している。
本当にやりたいことなら、夢なら結婚してても夫と離れて一人でやってけよって話なんだけど、弱い私は夫というパートナーが傍にいてくれてこそ自分らしく輝けるというのがあるので、夢も彼もどちらも手離したくない。
だから、地方でも出来る仕事をと「クリエイティブ フルリモート」で求人検索して応募しまくって、やっと掴んだ仕事だったけど。
最終面接のとき、「あなたのような人を探していました。ぜひ一緒に働きましょう!」と言ってくださった人が、今朝「あなたらしさを発揮できる仕事を振ってあげられる体制がうちにまだ整っておらず申し訳ない」と言われてしまった。
それは「あなたの提案はうちが求めているものとはかなり違いました。申し訳ないですが現状あなたに任せられる仕事はなさそうです」をかなーーりオブラートという装丁に梱包して手渡された戦力外通告だった。
もの凄い忖度で固められた当たり障りないフォローを受けてる間、話の内容は何ひとつ入ってこなかった。
提出した成果物に対してFBが特になく、どうだったんだろうと嫌な予感はしていた。
そうするうちに知らない間に完成版が出来上がっていて、それもゴリッゴリに加筆修正がされていて、提案した原案は一ミリも残っていなかった。
ということが数回続いた時点で、薄々こうなることをいつの間にか恐れるようになり、楽しんで仕事に取り組めなくなっていた。
思ったことが現実に反映されただけだ。大丈夫、大丈夫。と自分を建て直そうとする。
一方で、いらないんだ。向いてなかったんだ。あんだけ時間かけて、求められてるもの汲み取って、試行錯誤したのにな。でも「汲み取って」って、自己満だったんじゃん。求められてるものに応えられなかったから切られただけじゃん。
必要とされたい。強くて仕事が出来て、仕事もプラベも充実していきいきしてる、なりたい自分になりたい。
そう思って評価してもらえるようやってきたのに、また必要とされなかったんだと、ショックが押えきれなかった。
泣きそうになるのを必死で堪えてミーティングから退出した。
ZOOMでの一連のやりとりを傍で聞いていた夫は、一生懸命励ましてくれた。
いつも一番の味方で、誰よりも鼓舞してくれる夫。
いつも彼の一言が「いや、とはいえ私まだまだいけるよね!!」と思い直せるのに、今日はひとつも入ってこないし響かなかった。
夫は元々新卒でドラッグストアの正社員として就職していた。
けれど、同じことを割と淡々とこなしていくという仕事柄と自分の性格が合わず、またこの先のキャリアを考えたとき、長く勤めることは想像できなかったらしい。
強い決意と信念のもと、一念発起して在職中に試験を受け、夢にまで見た憧れの職に見事採用された、という経緯がある。
そんな彼からの「俺だって全然うまくいかないことだらけだよ」は、「俺も同じ境遇だから君は一人じゃない。大丈夫だよ」という共感や励ましではなく、正直自慢にしか聞こえなかった。
働きながら試験を受け、やり甲斐を求め、自分をもっと高められる環境に身を置きたいと努力した末に、夢のスタートラインに立った夫。
それに引き換え言い訳ばかり並べて、せっかく掴んだチャンスも手放してしまった妻。
惨めすぎる対比だった。
本当は分かっている。私の夢はまだ始まってもないし、不貞腐れてても誰もどうにもしてくれないと。
けどもうぽっきりと、折れてしまったんだよ。さっき折れる音、聞こえてしまったんだよ。
何がしたかったのか、何が自分にできるのか、もう何も分からない。
追い打ちをかけるようにMacbookが再起動を永遠繰り返し、暫く動かなくなってしまった。
ライティングやWebデザイン、動画編集、マーケティング。私のやりたいことはパソコンがあってこそ叶うものばかりだ。
もう、創作活動とかクリエイティブ系の仕事はやるなってことだよね。
ベッドに塞ぎ込み、枕をぐしょぐしょにする私に、夫は近づき頭を撫でてくれた。
さっきまで「じゃあもうやめたらいいよ。ずっとそうしてな。どうせやりたい仕事じゃなかったんだよ。」と叱責してくれたけど、今は何事もなかったように、明るく気丈に「お買い物行こう!」と誘ってくれた。彼がぽつりぽつり語りかけてきた。
“今叶ってないのは、もっと凄いことがもう少し先で待ち受けてるからだよ。
今叶ったら慢心してしまって、叶えたいこと、もっと叶えられることも叶わなくなってしまうと思うよ。
だから今コツコツ、コツコツ貯金してって、少し先の未来で沢山叶えよう。
神様がちゃんと、君の進むべき道を用意してくれてるから大丈夫。”
そう宥め終えると、今日はずっと傍にいるからねと後ろから包み込んでくれて、いつもの寡黙な彼に戻った。
具体的なソリューションを提示してリードしてくれるような、男気に満ち溢れた頼れる人が好みだった。
だからただ隣にいて、欲しい言葉をかけてくれるわけでもなく、いつもトントンと背中をさすってくれるだけで、何も解決に導いてくれるわけではない彼が正直物足りなさもあった。
でも今日は、そんな彼が贈ってくれた言葉が柔らかくて力強くて。
ベッドの中で言葉をゆっくり咀嚼しているうちに、確かにそうかもな、とじんわりとだけど思えてきた。
どうして「合わなかった」ということを、「自分を否定されてしまった」と悪い方にしか捉えられなかったんだろう。
「合わなかっただけ」という、プラスでもマイナスでもない単なる事実がそこに横たわるだけで、『自分にはこの道のセンスがない』『やっぱりここでも必要としてもらえなかった』と悲観する必要はなかったかもしれない。というか、ない。
今回は、その会社がたまたま合わなかっただけ。
なんなら今回求められていた内容と、私の成果物のニュアンスが少し違っていただけ。
決して、私自身が「無能」なわけじゃない。
私たちは今、自分らしく輝ける場に向かう旅の途中。
「好きなこと」で輝けるかもしれないし、好きじゃなくても「出来ること」で力が発揮されて、やりがいを感じられる日が来るかもしれない。「あなただから」と認めてもらえる環境に辿り着くかもしれない。
気づいたら、このときのくそ!!!という感情をスマホのメモに書き留めていたし、心は折れつつも今もパソコンに向かってこれを書いている。
うらぶられても、結局私は書いたり創作したりが好きで、クリエイティブなことに携わってたいんだな。
今回の一件で相当ダメージは喰らいつつも、物事をフラットに見ることや、苦しい今が、自分らしく在れると思える場に向かう旅路の最中だという知見が得られた。し、「やっぱこれがしたいんだよ」を再確認できた。
通念となっている観だけど、やっぱり物事には意味があるかもしれない。
それから。こんなワガママでどうしようもない奴なのに、適切な助言を賜り、見捨てないでいてくれてありがとうと、旦那さんには格段の感謝の意を示し、謝辞とさせていただきたい。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?