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6月の読書感想文:Z世代のネオホームレス自らの意思で家に帰らない子どもたち/青柳貴哉先生

この本を読もうと思った経緯

今年のゴールデンウィーク。買い物客で賑わう梅田の商業地に、私はいた。
友人とお出かけをし、カフェで話に花を咲かせていた。周りの客たちも私達と同じように楽しげで、解放感が室内に充満しているようだった。

帰宅する前に、同建物内のお手洗いに行った。

手を洗っていると、他の個室内から話し声が聞こえてきた。最初は分かりづらかったけど、誰かと電話しているようだ。

あー、だるいわーと言ったような他愛ない会話で、特に気にすることなく出ようとしていたが次の会話で耳を疑った。

「だるいけど、おとな行ってくるわー」

   ○○○

おとな(大人)ということが、パパ活で体の関係を持つことの隠語でもあるということは、Twitterから知っていた。自分からパパ活ユーザーの呟きを見に行かなくても、おすすめのツイートで流れてくることがあったのだ。

もしかしたらこの隠語を指してないかもしれないけど、もしそうなのであれば、あまりにもカジュアルにさらっと話していることに驚いた。
また、Twitterでは知っていたけどあくまでもインターネット上の世界。例えば芸能人のように実在はしているけど遠い存在に感じることと同じように、私の中では身近にあることだと思っていなかった。

色んな事情があることは分かるけど、パパ活はなんでこれだけ流行っているのだろう?
そう思っていたとき、偶然本屋でこの本と出会った。
Z世代のネオホームレス」に驚いて手にとった。
失礼ながらホームレスというのは年齢層が高い方というイメージがあった。
この本を読めば少しは分かるかもしれないと思い読んだけど、とても考えさせられる内容だった。
難しいテーマだけど感想を書いていきたいと思う。

   ○○○ 

この本についてご紹介

この本の著者、青柳貴哉先生はもともとお笑い芸人で活躍されていて、現在はYou Tubeで「アットホームチャンネル」という、ホームレスの方にインタビューをするドキュメンタリー番組を運営されている。

ある出来事がきっかけでホームレスの方々についてちゃんと知りたいと思い、インタビューを開始。この番組がきっかけで、イメージが変わったという感想も多いようだ。

この本は、トー横で過ごしている「家に帰ることができない若者」のインタビューを書き下ろしたものだ。

帰る家はあるけど、それぞれの事情で帰ることができず、また帰らないという選択をして、路上ではなく、漫画喫茶などで生活をしている若者たち。
従来のホームレスという言葉からは一線を画しているので「ネオホームレス」と、この本では定義づけられている。

4名の若者たちに密着取材をし、ホームレスになった経緯や、密着取材中のエピソード、そしてその後のことがまとめられていた。
動画では載せきることができなかったエピソードや、追加インタビューや、青柳先生の考えなどが書かれているので、動画を見たことのある人も楽しめると思う。

それぞれの方のエピソードについて感想を書くのではなく、全体的な感想を書いていきたいと思う。

この感想を書くのは大変だった。
どうしたら解決するのか正解がわからない問題だし、自分の中で気持ちの葛藤もあった。
だけどこれからどういう社会になってほしいかを考えられたので読んでよかったと思う。

   ○○○

▶密着取材のため、実態のないネオホームレスとして他人事として捉えるのではなく、自分ごととして考えるきっかけになった


このことに関しては良い面も懸念点もあると思う。
良い面としては、先述の通り概念として捉えずに自分ごととして考えられること。
Z世代、だったり、ネオホームレスと大きいくくりで考えると、どうしても遠い世界の話になってしまうけど、4名の密着取材を通じて人となりが分かり、どうやったら解決できるのだろう?と考えられた。

例えば、知らない人だと、単なる甘えじゃない?自立したら?と窺った目で見てしまうけど、もし友達が家に帰りたくない等言ってきたら、どうしたの?と親身になる感じだ。

こういう若い人たちのネオホームレス化を遠回しに見てるだけじゃ何も解決策は生まれない。まず実態を知る必要があると思う。
そのきっかけになる点で良い本だと思う。

懸念点は、その四名の良い部分と悪い部分、両方とも書かれているので、仮名ではあるけれどその人にヘイトが向かないか心配になった。もちろん承諾をとっているのはわかっている。
この問題を解決したいと思って読む人にはいいけど、必ずしもプラスの視点で見る人ばかりではない。

私も最初、うーん?甘えすぎじゃない?と少しイラッとしてしまった。
(後述するが、この本を読んで繰り返し考えることでこの意見は変わってきた)

考えるきっかけにはなるけど、その後考えずに読んだだけの人にはマイナスの印象を残してしまうのじゃないか、また、これだから今の若いもんはとただヘイトを向けたい、悪と見なしたものに鬱憤を晴らしたいだけの人にとっては、ネオホームレスというのはいい攻撃対象になるのではないかと心配だ。

▶その気持ちは弱者に向ける感情ではないのではないか


青柳先生は、取材を受けてくれた人に、その人のその後の人生がどうしたら良くなるかを一緒に考えて行動されている。その誠実さや行動力は本当にすごいなと思う。

ただその応援を受けたからといって、必ずしも状況が好転するわけではない。
私達の予想を超える行動が返ってくることもある。
そりゃ善意を受けたら必ずしも返すべきとはいわないけど、それができないのは甘えじゃない?と思ってしまう。

この本を読む数ヶ月前、ホームレスの方の取材本を読んだ。

この本でも、最低限これだけはしようよと思うことがされていなかったりして…
正直、なんで?と思った。

これらの本を読んで最初は、
そんなんその人が甘えてるだけやん、その人の行動が悪いんちゃうん?と思ってた。

だけど、何でこういう行動になってしまうのだろう?と、ずっとぐるぐる考えてたら、ふたつのことに気がついた。

▶自分が出来ることを他の人も出来ると思うべきではない


私が、これは甘えじゃない?と思った行動には、
・約束を守らない
・計画的に行動できない
・してもらったことに、ありがとうなど感謝を伝えない
があった。
(※それぞれのエピソードからの抜粋なので、全員がそうというわけではないです)

出来て当たり前、出来ないのはしようとしてないからだと最初は思っていた。
だけど本当に出来なかったとしたら?
もしくは、本人はしたいと思ってるけどどうしても出来ないことだったとしたら?
と考えるようになった。

私は学生時代、個別指導塾でアルバイト講師をしていた。
そのとき何度教えても覚えられなかったり、解けない生徒はよくいた。
英語の第5文型や三単現のSなど、この基礎が分かったらもっと解けるようになるのにと思ったことは何度もあった。

最初は、勉強するのが嫌で、出来るけどしない、しようとしていないのかなと思っていた。
だけど何度も教えたり、その子が分かるように教え方を変えたり、試行錯誤を繰り返す後に、分かった!できるようになった!とその子自身が笑顔になったとき、とても嬉しかったし、しようとしていないと決めつけていた自分の浅さを反省した。

そのことをふと思い出した。

この人達も、本当は変わろうと考えているけど出来ないのじゃないか。

例えば、私は化学や物理が大の苦手なのだが、もしこの世界が、日常的に化学の知識を身につけていないと生きていけない世界だったとしたら…。
理解しようと思ってるのに出来ないんだよ!とグレてしまうだろう。

その人自身にも、努力してもらうことが必要だけど、どうしたら出来るようになるのかをサポートできる世界になればいいのにと思う。

▶甘えと思ってるのは、私はちゃんとしてるのにずるいと思う裏返し? 


ホストに貢ぐためネオホームレスになった方のエピソードや、サポートしてくれた方に感謝の気持を述べない方のエピソードを読んで、甘えじゃない?と感じた。

日々、満員電車に揺られ我慢して仕事をする自分と比べるとどうしてもそう思ってしまう。

読んだ当初は、結局その環境に身を置くことになるのは、その人の行動が悪いからだと思っていた。
しかし先述の通り、甘えじゃなくてしたくても出来ないのかもしれないと思うと、
自分がずるい!と思う気持ちを、だから支援しなくていいという結論に結びつけるのは間違っているのじゃないかなと思った。

自己責任だと言い切るのは簡単。
だけどそうしてきた結果、息苦しい世の中になっているのじゃないか。
その空気が若い子たちにも蔓延して、出来ない自分が悪い→家も学校にも居場所がない→ネオホームレスになるという悪循環を生み出してしまうのじゃないか。

たしかに、給与明細でがっつり引かれている税金をみてガッカリしているところに、生活保護者なのに贅沢をしている人達の話を聞いたり、こういうエピソードを読むと何でやねんと思う気持ちはあるし、その感情が生まれるのは悪いことではないと思う。

だけど悪いのは仕組みであって、その対象者に向けるべき感情ではないとも思う。
そりゃ何か抜け穴をくぐって、得したろうと悪巧みする人はいるだろうけど、対象者に向けてしまうと、本当に必要としてる人が躊躇してしまって、適切な保護が受けられなくなるかもしれない。それは避けたい。

また、自分は頑張っているのに手取りが少ないからやるせないという気持ちは、頑張っていない人たちが悪いのではなくて、
増税だったり、そういう仕組みにしている政策が悪いのだと思う。
だから出来ることは、選挙にいって、自分の納めている税金が正しく使われるように政治に関心を持つことじゃないかなと考えた。

▶いつどうなるか分からないから寛容な世界になってほしい


私の中では、人間はみんな綱渡り状態でいつどう転ぶか分からないと思っているので、
誰もがマイナス面に落ちたときには適切にサポートされる社会になってほしいと思っている。

なのでこの本に出てくるネオホームレスと呼ばれる若い人たちが、その人達にとって良い人生になればいいと思う。 

▶江戸時代など昔はどうだったのか気になった


ホームレスの生活をする人が現代になってからいきなり現れたわけではないだろう。
じゃあ昔はどういう感じだったんだろう?と新たな疑問が生まれている。

今の社会は、弱者になってしまうのは自己責任だという風潮があるように思われる。
私はそれは税金が高くて手取りが少ないから、そんな余裕がないためじゃないかと思っているけど、じゃあ今より日本が貧しかった時代はもっと厳しかったんだろうか?
それとも助け合いの風潮だったんだろうか?

今、みんながみんな空気を求めて水面でアップアップ口を開いている状況のように思える。
この問題を解決しようとすることで、今後みんなが生きていきやすい社会になると思うのは楽観的なんだろうか?
誰もが時にはしんどいこともあるけど、平均的には楽しくて安心して暮らしていける社会になるといいなと思う。

▶最後に

私はこうなればいいなぁと言うだけだけど、青柳先生は実際に活動されて支援されているところが本当にすごいと思う。 
やるせなさを感じる場面も多いにも関わらず、続けてこられたおかげでこうしてこの問題を知ることができた。

家はあるけど、精神的な理由で居場所がないという若者たちをどう支援していけばいいか、自己責任や甘えだという感情で、切り捨てるのではなく、社会全体でサポートしようとすることがみんな生きていきやすい社会に繋がるのではないかと考えた。

今でもこの自分の感情は正しいのか、この感想を持っていいのか分からないけど、分からないから考え続けないといけない問題なんだと思う。


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