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見えないモノを見ようとして、望遠鏡を覗き込んだ

宗教改革者マルティン・ルターが、夜、森の中で煌く星を見て感動し、木の枝に多くのロウソクを飾ることでその景色を再現しようとしたことが、「Illumination」(イルミネーション) の起源だとする説があるらしいが、「Illumination」の動詞形「illuminate」に、「啓蒙する」という意味があるのは、おもしろい。何気なく口にしている、特に「旬」の言葉には、何らかの興味深い背景があるものだ。


ぼくが星について思い出すのは、小学生の頃に友達数人とした冬の天体観測だ。
地元の「中央公園」にあるトイレの屋上部に勝手に登り、ブルーシートと毛布、温かいミルクティーを持参して行った天体観測。

当時のぼくは、天体観測自体に興味があったわけではなく、「悪いこと」をしたかっただけだったと思う。「悪いこと」を共犯することが真の「親友」になる条件の一つと考えていて、「悪いこと」を密かに共有していることで世の中の真実を一つ余分に知っている気がして、周りに優越していられた。
まぁ、まだ日の変わらない時間帯に、親に用意してもらったアイテムを持参し、公衆トイレの屋上によじ登った程度の「悪いこと」なのだが、それでも、小学生のぼくには、ドキドキするには十分な体験だった。

目的が「犯罪」なので、当時見た星の美しさを、今は全く覚えていない。しかし、不思議と友達と毛布にくるまって夜空を眺めている様子は、今でも頭に浮かんでくる。客観的な視界の中に、満足げなぼくたちが見える。それは、過去の思い出を美化した虚構に過ぎないのだろうか。「青春」がぼくに見せているだけの。


その後しばらくして、BUMP OF CHICKENの「天体観測」という曲がリリースされた。


「見えないモノを見ようとして 望遠鏡を覗き込んだ」

「知らないモノを知ろうとして 望遠鏡を覗き込んだ」


この歌詞のリリックが妙にささって、中学の頃からずっと一軍に居続けている曲。
中高生のぼくには、具体的な好きな人との目の前にある甘酸っぱい恋を連想させた原曲だったが、ある程度人生経験を積んだ今は、それゆえに見えなくなってしまったもの(「青春」と呼んでもいいかもしれない)を、遠い過去に求めるノスタルジックな曲に聞こえる。


あの日の天体観測は、今のぼくが望遠鏡を覗き込んで見ている景色なのだと思う。

それは、眩しく煌くばかりで、何が明るくされているのかははっきりと分からないIlluminationのような景色。

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