めぇ

Le style est l'homme meme. ー「文は、人なり」

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  • 「暖簾街」(共同運営マガジン)

    共同運営マガジン「Good Will Study Salon」 共同運営マガジンは、「メンバーのスキが集まった暖簾街」。皆さんのスキなnote(ご自身+誰か)を推して、異なる暖簾が心地よく並ぶ「暖簾街」を一緒につくりましょう! 参加していただける方は、DMや記事へのコメントでお知らせください。(もちろん無料です)

最近の記事

何のために働くのか

何のために働いているか分からなくなる時がある。 それは、ザッピング中の砂嵐のように一瞬の時もあれば、機嫌を損ねたため命じられた罰走のようにいつ終わるかわからないほど長い時もある。 働いているとその時にいずれ出くわすことは頭では分かっているが、「何のために働いているのか」という問いは、結局「自分は存在する意味があるのか」「私とは何か」といった存在自体への問いに変わってゆく。 「何のために」・・・目先の利益ー例えばお金のために働いているとのだと考えてみたり、逆に抽象的なものー

    • 保育園の洗礼

      保育園の洗礼を受けている。 息子がこの4月から保育園に通い出したのだが、早速たくさんのオトモダチを我が家に連れて帰ってきたようだ。 これが保育園の洗礼かと思っていたが、認識が甘かったようだ。そのオトモダチは、ぼく、次いで奥さんにも猛威を振い出した。 そいつらは、バルサ並みに連携が取れていて、多段的にバリエーション豊かな攻撃を仕掛けてくる。こちらが順応し出したのを見計らっているかのように、戦術を変えてくる。対そいつらのために用意した処方箋も、用をなさない。 しかも、運動量

      • 身の回りの変なこと

         私は、子どもがまだ幼い頃、ベビーカーでよく買い物に出掛けていた。その道中や買い物の最中、稀有な目で見られることが多く、よく「えらいねー」と褒められもした。どうやら男性が昼間にベビーカーで買い物をしていることは珍しいようだ。実際、多くの年配の女性から、「私たちの時代では、男性が家事や育児をするのはあり得なかった」と聞いた。しかし、その度に、「私たちの時代」とはいつを言うのかと、疑問を抱いた。というのも、現代においてもなお、男性がベビーカーを押して買い物をしている光景は稀だと思

        • 100円サポートをもらったよ

          先日、100円サポートをいただきました。 素直に嬉しかったんですよね。 例えば、先輩に奢ってもらったご飯代やお年玉などに比べたら、微々たる100円。 もちろん、奢ってもらったご飯もお年玉も嬉しいのだけど、たぶん、「後輩」「子ども(孫)」といった下位の立場に自分を措定しているから、「当然そういうもんだ」という無意識のエゴが嬉しさを薄めているのかもしれない。 今回100円サポートをもらって嬉しかったのは、社会的立場を度外視して、純粋に書いたものに対して心を動かしてくださったから

        何のために働くのか

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          23本

        記事

          恐竜図鑑ー失われた世界の想像/創造ー

          兵庫県立美術館の「恐竜図鑑」展に行ってきました。 主に恐竜の絵画が展示されていましたが、化石よりもリアリティを感じたのは、なぜだろう。 化石は、それがそのまま恐竜であり、骨一本一本の大きさや、生起を感じさせない灰汁(あくた)色が、無言の圧力をもって迫ってくるように感じる。圧倒される。 しかし、化石は、文字通り形骸化している。その「化石だ」という認識が、化石からリアリティを奪っているのかもしれない。 例えば、祖父母の遺骨を見ると、その人の不在を感得し、強いリアリティを感じる

          恐竜図鑑ー失われた世界の想像/創造ー

          どこでも住めるとしたら?

          どこでも住めるとしたら? 身体をここではないどこかに移してしばらくそこに居座る、という意味で考えると、「どこでも」の「どこ」は、現実に存在するどこかになるのだろうが、いわゆる「貴族の家」はどうだろうか。 毎朝誰の目も気にせず、芳しい香りに包まれて目覚める。シャワーを浴びたら、用意された着替えに袖を通し、淹れたてのコーヒーを飲む。 高級ホテルのバイキングのような朝食を、メイド達に囲まれた中、長机の短辺に座って食べる。 昼は、広大な庭園を闊歩したり、謁見する有力商人が持ち

          どこでも住めるとしたら?

          保育士は底辺職

          先日、保育園の面接に行った。 息子のこの世界における最初の3年、保育園にも通わせず共に過ごすと決めた3年が終わろうとしている。 めちゃくちゃしんどかった時期もあったけど、「辛」は、人とつながる(線ができる)ことで、「幸」になると実感できてよかった。この子につないでもらった縁を大切にしたいし、この子も縁を紡いでいってほしい。 さて、面接といってもプチ説明会のようなもので、その間子どもは他の保育士さんたちがみてくれていた。ふと思い返せば、説明を受けていた1時間、ぼくのところに

          保育士は底辺職

          ライオンが死んだ

          ほぼ週一で通う動物園があります。 まず何より、息子が動物が好きだからですが、ぼく自身も動物が好きです。 子育てにおいて持続可能なのは、親子が楽しめて、親子で楽しめる場所やアクティビティを持っていることだと思う。 その点で、動物園は、行くたびに変化や発見があって、それを見つける度に新しい感情や子どもとの会話が生まれる。 ヤマアラシたち、今日は離れてる・・・ フラミンゴの赤ちゃん、だいぶピンクになってる‼︎ 「ダチョ、けがしてる」「ギブスしてるやん」 毎日のように通っ

          ライオンが死んだ

          大学受験のサポートをしていて、一番嬉しいかもしれないこと

          大人と子どもの認識の違い受験と聞くと、まず想起するのは高校受験や大学受験といった子どもの頃の進学をかけた試験だろう。今でも鮮明に当時を思い出せるのは、受験が子どもにとって特別なものだからだと思う。 大人になってから受ける試験は、落第してもまた次受けたければ受ければよいという意味の「潰しが効く」試験ばかりだと思われる。その意識の根底には、経済的に自立していること、「それだけが人生ではない」と肯定できる太々しさがあること、他の可視な選択肢との間で相対化できること、などがあると思

          大学受験のサポートをしていて、一番嬉しいかもしれないこと

          SDGsの18枚目のカード

          SDGsのなんだかかた〜い話SDGsが人口に膾炙するようになってしばらく。そもそも、それは、資本主義が生み出した膿を解決する活動であるという点は否めないが、需要予測が難しい時代になったといわれている昨今において、SDGsに表明される社会課題は、「今、ここにある」確実な需要そのもので、それを解決できれば、大きな成長が期待できるはずであり、その点で、SDGsは大きなビジネスチャンスだと考えることもできる。いや、チャンスと言うのでは生温い。「Sustain or Die(持続可能性

          SDGsの18枚目のカード

          生理は必要か

          奥さんと付き合っていた頃は、毎月何時ごろに生理がくるかも把握していて、さすがに「ルナルナ」をインストールしたりしなかったけど、それに応じてデートプランを考えたりしていた。「やぎちゃん(ぼく)と付き合ってから、生理が安定した」と言われて、その仕組みをよく理解していなかったけど、この人の心身を生理的なレベルで支えてあげられていると思えて嬉しかった。 結婚してからは、奥さんの食欲が増すと、「疲れてるな、そろそろかな」と思う。付き合ってた頃と違って毎日のように仕事帰りの疲れた顔を見

          生理は必要か

          鍋日本代表

          サッカーW杯があったことだし、鍋をサッカーチームに喩えてみる。 フォーメーションは、4-5-1のボランチ2枚にトップ下1枚の中盤を厚くした布陣で臨む。個性がぶつかり合うタレント集団ではなく、お互いの持ち味を引き出し合い、目立たないが安定感のある滋味あふれるチームを目指す。 では、スターティングメンバーを発表しよう。 まずGKだが、これは昆布だろう。一番底にどしっと構えてチーム全体を見渡し、声を張り上げて全体を鼓舞する。(「昆布だけに」と思った観客の皆さん、ありがとうござ

          鍋日本代表

          諦めるって肝心だよねっていう話

          「諦める」とは、どういうことでしょうか。 ぼくは、これまで「プロサッカー選手になりたい」と全ての卒業文集に書いてきました。そう書くこと、そう吐くことで、「本当になれるとは、思ってないんだろ?諦めろよ。」と嘲笑する内なる声を相殺してきました。また、サッカーを、「趣味」と言ったこともなかった。必ず「特技」と言い、「趣味」のカテゴリーに入れた瞬間、片足がもがれるような恐怖を想像していました。時には、相手を貶めて自分を理不尽に正当化して立場を守ったこともあります。サッカーがぼくには

          諦めるって肝心だよねっていう話

          「誰かにおすすめしたいエッセイ」とは何か。

          参加している他者のメンバーシップでは、毎月、所与のテーマのエッセイを書く企画があるのですが、 2月は、「誰かにおすすめしたいエッセイ」です。 具体的なエッセイを挙げて、それが誰にどうおすすめかを説明するという方向ではなく、 ぼくは、「誰かにおすすめしたいエッセイ」とは何か、考えてみようと思います。 まず、「おすすめしたい」時は、端的に言って、「ありがとう」と言ってもらえそうな期待感がある時だと思います。 では、どんな時に「ありがとう」と言ってもらえそうか。 それは、誰

          「誰かにおすすめしたいエッセイ」とは何か。

          「あなたのおかげで考えさせられた」と言われる文章

          1/2から1ヶ月間、毎日noteを書いてきました(1日2つ投稿したりして帳尻を合わせていたのはご勘弁)。 なぜ毎日noteを書いてきたのか。 それは偏えに、自分がどんな文章を書きたいのかを知るためでした。結論、暫定的ではありますが方向性をつかめたので、これからは、週に2,3本、読んでくださる方の何かを支えたり揺らしたりするようなnoteをお届けできるように精励いたします。 また、本当にありがたいことに現在4名の方が参加してくださっているメンバーシップにも、力を入れていきます

          「あなたのおかげで考えさせられた」と言われる文章

          分母を知るのも一策

          2023年が始まり、早くもひと月が経った。今年の1/12が終わった。2月が終わると、1/6が終わる。3月が終わると、1/4が終わる。3/12も1/4も同じなのに、分母の数字が小さくなると、時の経つ早さが一入(ひとしお)な気がする。例えばピザを分ける場合なら、3/12よりも1/4の方がお得なように錯覚する。 どちらにしても、分母が小さくなると、時間(の経つ早さ)や量の存在感は大きくなるように思われる。ぼくの数学的思考力が脆弱だからかもしれないが。 12が6や4になると、数字の

          分母を知るのも一策