保育士は底辺職
先日、保育園の面接に行った。
息子のこの世界における最初の3年、保育園にも通わせず共に過ごすと決めた3年が終わろうとしている。
めちゃくちゃしんどかった時期もあったけど、「辛」は、人とつながる(線ができる)ことで、「幸」になると実感できてよかった。この子につないでもらった縁を大切にしたいし、この子も縁を紡いでいってほしい。
さて、面接といってもプチ説明会のようなもので、その間子どもは他の保育士さんたちがみてくれていた。ふと思い返せば、説明を受けていた1時間、ぼくのところにほとんど来ることがなかった。
飽きる天才であり、宇宙人の子ども(3歳児)、しかも初対面の子どもを1時間世話するのは、実はすごいことではないか。いま、「実は」と言ったが、「それくらい保育士なら当たり前」といった先入観に、多くの人は囚われていないだろうか。
「保育士」という仕事は、社会的評価が低いように思われる。実際、ある新卒向けの就職情報サイトにて、「底辺の職業ランキング」なるものがあり、保育士もそこに入っていた。
そこでは、底辺職の特徴について、
このように説明されている。全く認識が甘いと言わざるを得ない。例えば、⑵は全く当てはまらない。いったいどこに初対面の未就学児(複数)を、1時間飽きさせることなく、しかも側に親がいるという状況下でみられる人がいるだろうか。ご自身の胸に聞いてみてほしい。
保育含め教育は、数値では測れないし、今子どもに対して実践しているあらゆるアプローチが、どのように効果を発揮してどんな人格を形成し、具体的な成果につながるかが不透明で、時間もかかるから、投資しにくい分野でありお金が集まらない反面、数値では測れず評価も一様ではないという意味で、最も高度な専門性を有する分野でもある。
言葉も通じない、生活習慣としてのあらゆる所作も拙い、感情で生きている、自分で体調管理できない、目を離したら命に直結する危険と隣り合わせなどといった一番難しい年齢の子どもを相手にする保育士という仕事。
また、ちょっとしたミスが子どもの命、保護者や世間からの心のないバッシングに直結する仕事。
それはつまり、それだけ専門性が求められる証左ではないか。
要は、取説が存在せず無秩序で、ただ将来性抜群で世間からも熱視線が注がれるクライアントを相手にする「保育士」という仕事は、底辺職なはずがない。
社会を、人類の未来を根底で支える尊い仕事という意味で「底辺の仕事」ではあるからこそ、具体的に評価されるべきだと思う。
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