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子どもを何かと比較すべきか。

子育て本などでよくみかける、「他の子と比較してはいけない」、「その子自身のペースを尊重し見守ろう」といった言説には、疑問である。というより、言葉足らずだと思う。

比較はしない方がいいどころか、むしろ、するべきだと思う。

なぜなら、他者との違いを認識することによって、はじめてその子の特性を発見することができるからである。

英語を学ぶのは、単に英語を話せるようになるためというだけでなく、母語の理解を深めるため

古典を学ぶのは、単に古人の考えに触れるためというだけでなく、現代人の特性を浮き彫りにするため

男性が女性の身体のことを学ぶのは、単に女性特有の悩みに寄り添うためというだけではなく、男性の特徴を理解し、それを活かして女性をサポートするため


人間には、他者との比較を通じて、はじめて「こちら側」が見えてくる。

だから、当然、子どもの多様な側面を知りたければ、たくさんの比較対象を用意して比較を繰り返していかなければならない。


「子どもにたくさん経験を与える」と言うと称賛されるが、「子どもにたくさん比較対象を与える」と言うと、どこか嫌悪される気がする。


子ども主体か親主体かの違いでは?と言われそうだが、
子どもに経験を与えるのは親だから、その「経験」は純粋な子どもの経験ではなく、少なからず親の恣意が反映している。

親は、子どもにたくさん経験を与えることで、何らかの能力などの獲得を期待しながら、子どもの特性を見極めようとしているのではないか。


しかし、比較すべきだとはいっても、例えば、「お兄ちゃんに比べて、・・・」、「この大学に入った方が・・・」、「お父さんの子どもの頃は・・・」などのように、具体的な比較対象を提示することはよくないと思う。

これは、子どもを否定、批判、悲観することだと思う。そして、数字が絡むと、非常に分かりやすくスムーズに、この否定、批判、悲観が進行する。

とはいえ、数字が悪いわけではなく、遅かれ早かれ数字とは向き合わなければならないので、特に幼少期は、いずれ向き合わなければならないその数字のお化けとの向き合い方を、たくさんの「経験」を通して教えていく時期なのだろう。


そして、おそらく、その「経験」こそが「非認知教育」と言われているものだと思われる。

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