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彼との出会い

一目惚れではなかった。むしろ、大きな瞳に整った顔つきは私の敬遠するタイプだった。私はイケメンが苦手なのだ。

彼と出会ったその日はバリ島から帰国する前日で、私と友人はバリでも有名なマンタポイントでダイビングを楽しむ予定だった。朝早くホテルに来た送迎車でショップに向かい、レンタル器材のサイズをチェックした。その時彼もいたのだけど、日本のように無意味に愛想を振りまかず淡々と進めるので、特に何の感情も湧かなかった。

準備ができて桟橋からボートに乗り込み、出航。しばらく進んだところでマンタの影が見えないらしく、捜しつつもとりあえず1本目を潜ることになった。そこは、ドロップオフという崖のような地形のポイントで、覗き込んでも深すぎて底が見えないほどだった。そんな崖の斜面に沿って潮に流されながら水中景色を楽しむ。途中でウミガメがいたり、タコがいたりして、なかなか自力で近づけずに悪戦苦闘していると、彼は器用に回り込んで私のBCをぐいっと掴み、近くでホバリングしながら写真撮影できるようにしてくれていた。

しかし。当時、私はまだ20本程度潜ったくらいの初心者で、正直なところ、そんな高難易度のポイントでダイビングを楽しむ余裕もなく、早く上がりたい気持ちと、エア消費が早いことで一緒に潜っている人の迷惑にならないかという不安の板挟みだった。彼のガイドの質は高かったに違いないけれど、私としてはもうひとりの年上っぽいガイドに付き添われる方が安心かも…とさえ思っていた。そうしたストレスによる緊張で呼吸が荒くなり、あっという間にエアを消費してしまった。あまりにも早かったせいで、彼と2人だけで先に浮上することになった。

でも、怖かったとか、十分に楽しめなかったことを悟られるのが嫌で、ボートに上がってから彼に「ウミガメが見られた!海がとてもキレイだった!」と撮りためた水中スナップを見せた。彼は嬉しそうにそれを見ていた。

次の1本もマンタは見られそうになかった。完全な初心者と見抜かれ、彼がベタ付きになって案内してくれた。2本目は1本目に比べると深場でもなかったが、多少の流れがあったせいで私はまたも緊張状態だった。それで、泳いでいるうちに額につけていたはずのGoProをいつのまにかなくしてしまっていた。なくなっていることに気がついた時も、無事に浮上できるかどうかの方がずっと気がかりで彼には黙っていた。面倒ごとを起こして無事に浮上できなかったらどうしよう?そればかり考えていた。彼は相変わらずウミガメのそばに私を連れて行き、記念撮影したりと至れり尽くせりしてくれていたのだけれど、そのうち私の額からGoProがなくなっていることに気づいてしまった。

「GoProは?」

彼が指で指して問いかける。私は気付かれてしまった…と思いながら、「わからない」と返す。すると、彼は焦りだし、私のエア残量ともう1人のガイドの位置を確認し、「ここで待ってて!捜してくる!」と言い残し、ビュンとあっという間に視界から消えた。私はエア残量が少なくなっていたので、もうひとりのガイドに伝えて、今度は彼以外の全員で浮上した。

しばらくして、彼もボートに合流した。残念ながらGoProは見つからなかった。私は生きてボートに戻れたことに安堵して、GoProのことはすっかり諦めていたので全く気にしなかった。でも、彼は私に謝り、他社ボートとすれ違うたびにクルーやガイドに声をかけて、「GoPro見なかった?」と尋ねて回った。

あまりの必死さにいたたまれなくなり、「大丈夫!気にしないで!また買えばいいし!(生きて帰れたことが何より!)」と言うと「でも、メモリーカードも落としちゃったんだよ…GoProはまた買えばいいけれど、思い出は買えないよ…」と落ち込んだまま。「なくしたのは私のミスだし、大丈夫!」と励ます以外に言葉がなかった。すると彼は、

「君は大丈夫だって言うけど、無事にダイビングをしてもらうことが僕の仕事なんだよ」

と言った。その言葉にハッとした。胸を撃ち抜かれたような気持ちだった。誰に口出しされようが自分の仕事として誇れるようにしたい。それは私が仕事に対して大切にしてきた思いであり、当時マネージャーだった私が同僚や部下や周囲の人たちと分かち合えずにいた温度感でもあった。日本での私はずっと孤独だったのだ。それが、こんなところで共感できる人に出会えた、という驚きと喜びに胸が高鳴った。そして、私は初めて彼の顔をちゃんと見た。

その後、昼食を取り、もう一本ドリフトダイビングを楽しんだ後で帰港。GoProのことはオーナーに内緒にしておこうと思っていたのに、同乗者がノリノリで話し出してしまい、止むを得ず私は詳しい事情を説明した。もちろん彼に落ち度がまったくないことも伝えた。ログ付けも終わり、私と友人は次の予定のために早々に送迎車に乗り込んだ。彼は車を見送るために駆け寄って「まゆさん、See you!」と手を振った。私はまだドキドキしたままだった。

その謎の高揚感を持て余し、どうしようもなくなってしまった。友人に背中を押されて、その日のうちにSNSで彼を見つけ出してメッセージを送った。今日のお礼と、GoProのことは本当に気にしないで欲しいこと。彼からすぐに「また来ることがあったら教えてね。バリ案内するよ」と返事をもらった。

日本に帰った後も他愛ないやりとりは続いた。彼への気持ちが恋愛感情なのかどうかはよくわからなかった。だって、私はGoProを落として、彼が必死に捜してくれて、気にしなくていいと伝えて、「これは僕の仕事なの」と言われただけなのだ。いったいどこに恋愛感情に発展するトリガーがあったというのだろうか。でも、彼に特別な感情を抱いていることだけは確かだった。

どっちにせよ、このままにしておくのは良くない。そう考え、思い切って「次は5月にバリに行くよ」と伝えた。「彼氏と来るの?」「ひとりだよ。本当にバリ案内してくれる?」「いいよ」でも、その後彼からの返事は途絶えた。しばらくSNSも更新されなかった。あっけない終わりだ…と思いつつ、諦めきれずにくすぶっていたら、ある夜突然、彼から「ビデオコールしてもいい?」とメッセージが来た。

私たちはずっと英語でメッセージのやりとりをしていたのだけど、会話となると正直ハードルが高かった。「私、英語上手じゃないけど…」「僕もだよ」「それじゃあ」といって、私たちは数十分、ビデオコールで話した。もう内容も思い出せないような、きっとありふれた会話だった。顔を見られたのが嬉しかった。お互い拙い英語でおしゃべりして、通話を終えた。その後で、彼からメッセージが来た。

「僕のこと好き?」これは、人としてなのだろうか、どうなのだろうか。からかわれて終わるの嫌だな、と思って曖昧に「尊敬してるよ」とだけ返す。「僕と付き合う?」恋愛話だった、うへえ。と思いながらも、もう誤魔化す必要がなくなり、「うん、付き合おう」と返す。すると、「僕は、これを最後の恋愛にしたいと思ってる。よろしくね」突然の申し出に面食らいつつ、そんなふうにして、私たちはまともに対面で会話することもないまま結婚を前提に付き合うことになった。バリの日差しと青空が恋しい1月末のことだった。

一緒にバリでダイビングした友人を含め、周囲の人たちには猛反対された。国際ロマンス詐欺的な展開を警戒していたに違いなかった。そんなことは私自身が一番気になっていて、あまりにトントン拍子に事が進むものだから徐々に冷静になり、ありがちな詐欺手法を調べ、兆候を洗い出し、内心警戒の手を緩めることなく彼との交際を続けた。そうしないわけにいかないくらい、彼との恋愛はあまりにも心地よく、幸せで完璧だった。「今日突然、"無料チケットが0枚になりました。課金しますか?"というダイアログが現れても納得せざるを得ない」と思うほど。

5月になって、初めてプライベートで彼に会った時も、その後何度かバリやマナドに遊びに行った時も、日本とインドネシアの文化の違い(たとえばふたりきりの甘いデートではなく、友人を巻き込んでみんなで連日遊ぶとか)に困惑することはあっても、毎日とにかく楽しくて笑って過ごした。

インドネシアでも日本でも、私たちは本当にたくさんのことを話した。今日の出来事、嬉しかったこと、家族のこと、子どもの頃の思い出、辛かったことや悩み。私の表情が曇っているといち早く彼は気づいて、理由を言うまで粘り強く尋ね続けた。私がどんなに些細なことで悩んでいても、必ず最後まで聞いてくれて励ましてくれた。そして、毎朝仕事に行く時には「Enjoy!」と送り出してくれる。仕事に誇りを持つ彼らしいその一言で、憂鬱な日も乗り越えられた。楽しむために努力して生きよう、そう思うようになった。私の様子を見ていた友人たちは次第に応援してくれるようになった。

一年の交際を経て、彼は日本にやってきた。そして、結婚し、子どもが生まれた。いろんなことがあるけれど、ありがたいことに今も幸せな日々は続いていて、「課金ダイアログ」がいつ出てもおかしくない、彼との暮らしを楽しんでいる。

ちなみに、彼が誰かに馴れ初めを話すときには冗談めかして「まゆはGoProを落として、僕は恋に落ちた」と締めくくるのだけど、果たして彼はいったいどのタイミングで好意を持ってくれたのだろう?私の恋愛トリガーもたいがいだけど、彼のトリガーも相当ヘンだなと不思議で仕方ない。

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