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私とカップメンと 片思い編


重苦しい空気


ラーメン同好会の部室には、地味な掛け時計があった。その秒針の音が聞こえてくる。日没は日ごと早まっていて、カーテンの向に陽はない。
 あの歓迎会から数カ月が過ぎた。長い夏休みが終わって、学生が後期の授業に通い始めると、秋の濃度は高まっていった。

 部室には、重苦しい空気が漂い、志保は仏頂面をしてパイプ椅子にもたれかかっている。ホワイトボードには一行だけ、学園祭出店計画と書かれていた。

「何度も言わせんなや、八王子ラーメンは無いねん」

 昨年も一昨年も学園祭への出店はスピード重視で豚骨長浜ラーメンにしていたが、周囲の店や通行人から、匂いがイヤと苦情が来たので、今年は別のものにしようと話合っていた。

 志保は八王子ラーメンを推したが、学食のメニューにあるため吉岡に却下された。八王子ラーメンのベースは醤油で、長ネギの代わりにタマネギを使用し、さやえんどうを彩りとして加えたものなので、自分たちでも充分作れるのだが。しかし、志保が仏頂面の理由は意見を却下されたからではなく、吉岡の接し方に問題があるようだ。

 先月、長野に信州味噌ラーメンの美味しい店を探しにいったのだが、電車の中でも、商店街を歩くときも吉岡は塔子の傍を離れず、冗談を言って笑わせたり、じゃれ合ったりしていた。吉岡は塔子に対する気遣いと弁明しているが、志保の毛穴から発するイライラが、こちらからも乗り移ってきそうだった。

「お前、何かあるやろ」

 吉岡が自分に話を振ってきた。でも、考えがまとまらなかった。掛け時計の秒針の音が聞こえてくる。
 学園祭は作り易いもの方がよい、コーンとバター、もやしを乗せて味噌バターラーメンにしようか。いや、いまいちだ。では、奇をてらって沖縄ソーキそば。でも、作ったことがない。
 もう少し無難に作れるものがいい。ならば、山梨名物ほうとう。ダメだ、そもそもラーメンじゃない。

「ほな、こうしようか。ディスカウントで八十円ぐらいのカップ麺買ってきて、百五十円で売る。お湯入れるだけやで」

「なにそれ、芸がないじゃん」

 吐き捨てるように志保が言った。すると吉岡も仏頂面になり、さっきよりも重苦しくなった。隣の部室から聞こえてくる笑い声をうらやましいと思ってしまう。この頃になると一年生二人はサークルに顔を出さなくなっていた。おそらく頻繁に起こるこの微妙な雰囲気が嫌になったのではないかと思われる。

 塔子は、机の上にペンとルーズリーフを置いたまま、小首を傾げている。仏頂面をしていた吉岡は、彼女と目が合ったときだけ、急にニコっつ微笑んでみせていた。結局この日は結論が出ず、それぞれが再度考案して発表し合うことになった。

カップヌードル


 活動が終わり、ようやく重い空気から解放され後は、廊下で落語研究会の連中と談笑したあと、トイレに行き、そろそろ帰ろうとカバンを取りに部室に戻ると、塔子はさっきと同じように小首を傾げて座っていた。

 吉岡と志保の姿なかった。塔子に帰らないのか聞けば、学園祭のアイディアが全く浮かばないから一緒に考えようと言われた。なんという展開なのだ、嬉しさのあまり全身の血がたぎるような思いだったが、顔はつとめて冷静にして席に着いた。
 
そして、しばらく頭をひねってみたのだけれど、やっぱり考えがまとまらない。

「駄目だ。お腹空いた」

 急に塔子はそう言って、テーブルの端に積み上げられているカップ麺を物色しはじめた。自分が席を立って自販機でお茶を買って戻ると、彼女が二人分のカップヌードルにお湯を注いでいた。

 三分経って食べ始める。湯気の立つカップから、箸で麺を持ち上げてすする。塔子とそんな共同作業をしているようだ。このときばかりは興奮してしていて、味わっていない。ひたすら麺をすする音を室内に響かせていた。
塔子は箸の先で、謎肉をつまんで口に入れ、スープを飲むと、ふいにその手を止めた。気づけば自分と目を合わせている。

「あたし、吉岡君から聞いたんだ。木下君のお父さんの話。遊園地のことや、お葬式の後のこと。そしたら、なんか胸がしめつけられて、切なくなって、泣いたんだよ」

 その言葉になんと返していいかわかわからず、視線を外して、わけもなくカップの中を眺めた。カップのふちに付いたネギ、麺が沈むスープの上に玉子が一つ浮かんでいる。まだサークルに入ったばかりのころ、酒に酔って父の話を吉岡に話したことを思い出した。

 自分の居ないところで、塔子が涙を流していたなんて思いもよらなかった。そういえば、塔子が入部したばかりの頃、遠征に小さなカップヌードルを持っていったという話を思い出した。二人で再び麺をすすりる。その音が重なり合う。
 
 カップヌードルから何か良いアイディアが浮かばないものだろうか。学園祭なのだから楽しくなるようなものがいい。これを食べるとき一番楽しさがこみ上げてくるときはいつだ。思いを巡らす。するとフタを開けて食べ始めるときの、さっきの光景が浮かんできた。

「学園祭の商品だけど。スナック麺ではなくて、生麺。粉末スープではなく、液体スープ。かやくではなく、本物の具材。それらでカップヌードルを作るのはどう」

 気が付くと勝手に口が動いていた。塔子が笑いながら箸を止めると、

「じゃあ、こうしようか」

そう言い、ルーズリーフにリアルカップヌードルと書いた。その文字をみて思わず自分が吹き出すと、彼女も笑い声をあげた。

「調理器具は去年と同じもので出来そうだし、作り方に困ることもなさそう」

「うん、いいね」

 自分の言葉に塔子は感心してうなづいていた。

「あたし、学園祭って、ちゃんと参加したことないんだ。遠征とか、練習とか、そんなのばっかりで。だから今回は楽しみたいんだ」

「そっか、じゃあ、思いっきり楽しみるように頑張ろう」

 塔子の言葉に、自分が微笑みながら返すと、彼女が笑い出した。あとで、ドラマのようなセリフだったことに気づき恥ずかしくなった。

 アイディアが出たところでお互いにほっとしたせいか、今日の活動は終りにして部室を出ることにした。帰りのバスは、もう最終便が出てしまったので、塔子が車で送ってくれることになった。

車内のバラード


 女子が乗る車にしては、車内は質素な雰囲気だ。ダークグレーの内装を明るくするためにハンドルと座席にベージュのカーバーを付けているだけで、フロントガラスに沿ってぬいぐるみを置いたり、バックミラーからアクセサリーを吊るしたりしていない。塔子らしいセンスだと思った。
 例えば、Tシャツを買うにしても彼女は迷わず無地のものを買って帰るタイプではないのか。店中の商品を眺めて、一番かわいいプリントのものを選ぶなんてことはしないのだろう。

 降り出した雨が、窓に張り付き街灯が雨粒を際立たせる。車体を打つ雨音をかき消すようにFMからバラードが流れていた。塔子の横顔をこっそり見る。左の口元に小さなホクロがある。それを見つけたらなんだか嬉しくなった。信号が変わる度、角を曲がる度に、まだ家に着かないでくれと心の中で叫んだ。

 なんの取り柄もない自分が、もし塔子に告白したらどうなるだろう。笑われるだろうか、嫌がるだろうか。いずれにせよ断られるに決まっている。

「あの子って、スケート部のコーチと付き合ってたらしいよ。そいつと付き合ってれば良かったのに」

 志保の言葉を思い出した。

 そのコーチはスピードスケートでオリンピックに出場した経験があるそうだ。それほどの男でないと、塔子は振り向いたりしないのだろうか。

 何気なく窓の外を見るふりをして、視線を塔子に向けては、車窓に戻す。バラードのサビを口ずさむ横顔に心を奪われながら、胸の高鳴る音とメロディーが混ざり合っているような気がした。
 
片思い編 終わり

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