私は私が大好きらしいのです。
いい意味でも、悪い意味でも。
先日、お悩み相談室にメールを送った。詳しい内容は伏せるけど、人からの評価をすごく気にしてしまう。という話だ。その時の私は、仕事でやってしまった自分の行動が後からすごく気になって、あの時の私の選択は正しかったんだろうか、なんであんなことをしてしまったんだ。と自己嫌悪の嵐になっていた。
誰かに相談しようにも、起こった事象を全て話す元気もなく、話したところでこの感情はわからないだろうという不思議な反発心もあって、頭の中が思考で埋め尽くされているのを感じていた。そんなときに送ったメールだった。
後日、運よくパーソナリティの人が取り上げてくれて、1人、部屋の中でそれを聞いた。
正直、答えは私の悩みにカチッと当てはまるものではなかったけど、でも、その人が私の悩みを読んだ後。一言目に、「この人は自分自身のことが一番HOTな話題なんですね」といった。
なんてことないかもしれないけど、私はその瞬間、ものすごい気づきを得た気がした。
そうだ。おっしゃる通りだ。
私は私のことに、他に見向きがしないほど興味深々なんだ。
私が周りにどう見られているか、良い人って思われているかな?感じ悪く映ってないかな?と悩むこと。将来こうなりたい、1年後2年後こうなってたいと願うこと。こんなふうに、自分の考えていることをnoteに残していること。
その全てが、私が私のことを一番考えていて、どんな話題をもってしても、私新聞の一面トップを飾るのは私のことなんだとわかる。何か起こった時に、思考が駆け巡るのも、それ以外考えられないのも、私が私のことに最も関心があるからだ。私は、もしかすると私のことが大好きなのかもしれない。
皮肉なことだと思う。自己啓発では、それがとても良いことのように書かれる。自分を愛しましょう、自分と向き合いましょうと。ネガティブな思考を変えるために取り組んだこともあった。自分自身を卑下しないように、自分ともっと会話をするんだと。
でも、実はそうじゃなくて。ネガティブな思考そのものが、自分が自分自身と会話し続け(しすぎなくらい)生まれているものだ。自分のことを否定しているかと思いきや、その逆で。興味津々じゃないか。自分のことに。どんな瞬間も自分がトレンド1位。笑える。
仕事がうまくいかなかった。どうしよう。あの人は私のことをどう思っただろう。これが最悪な方向に進んだ場合・・・なんて考えを巡らせるのは、他が見えないほど自分が第一だからだ。私は、私のことが大好きじゃないか。
その真理に気付いてから、悩みというのは大部分が自己満足なんだろうなと思うようになった。あれこれ考えつくたび、それがトップニュースに躍り出る光景が浮かぶようになった。すると私はまた、あーあ、また私の記事が一番だ。大好きすぎるだろ、自分のこと。と思う。
そうすると、もう自分のことはいいって、別のことしよう。と思える。
こう書くと、まるで全てマイナスかのようになってるけど、心はすっきりしている。前より、自分を客観視できる。あまりにも自分自身に矢印が向きすぎるとよくないのかもな。私みたいな人間は。
そりゃ、結婚できないか。自分が一番なんだもん。
「自分が一番」というと自信満々な人を想像するけど、実は私みたいに悩みで埋め尽くされている人が最も当てはまるのかもしれない。
これからはほどよく自分のことを考えられるようになるといいな。そのためには他に関心を作りに行った方がいいな。何かしてみようかな。
いつか、私新聞のトップがたまには別の話題になるように。
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