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あなたは伝道者マインドを持っていますか? Having Evangelist’s Mind With Your Passion

もしもあなたが、既に、神の子供として神様と一緒に歩んでいる場合、あなたは、『伝道者マインド』を持って、毎日、生活していますか?

『伝道者マインド』というのは、神様・イエス様の栄光を示すための福音を、情熱を持って伝える生き方という言葉に、言い換えることができるかもしれません。

もしかしたら、多くの皆さんは、『伝道者』という言葉を聞くと、

●伝道者とは、神学校に通い、神学を勉強し、牧師になるための訓練をしている人のみを指す

あるいは、

●伝道者とは、神学校を卒業し、牧師となり、説教をしている人のみを指す

などといったようなイメージを持つかもしれませんが、正確にはそうではありません。

実際には、クリスチャンであるならば、すべてのクリスチャンが伝道者であるべきなのです。

英語では、伝道者のことを、

●Evangelist
(エヴァンジョリスト)

という呼び方をします。

同じような意味合いで、Missionary(ミッショナリー)という言葉がありますが、こちらは『宣教師』という意味になります。

伝道者と宣教師と、どのような違いがあるかといいますと、

通常、宣教師というのは、どこかの教団や組織に所属しており、神様・イエスキリストに関する福音を伝えることを任命され、そのために、教団、組織から指定された場所に赴き、福音を伝える働きをする者たちのことを指しますが、伝道者というのは必ずしもそうではありません。

伝道者というのは、神学校に行っていなくても、牧師になっていなくてもなれるものであり、

神様・イエスキリストを信じるクリスチャンであれば、誰もが『伝道者』すなわち、Evangelist
/エヴァンジョリストになれるのです。

伝道者というのは、神様・イエスキリストに関する福音を伝える者たちの名称です。

伝道者になるために資格は必要ありません。
そもそも、伝道者になるための資格はありません。

聖書では、伝道者になるためには、神学校に行かなければいけないとか、伝道者になるためには資格を取得しなければいけない、というような話は、一切、ありません。

そのため、伝道者になるために特別な資格はいりませんし、神様・イエスキリストの福音を伝える者になるために、特別な検定試験を受けたりする必要もありません。

そもそも、イエス様の弟子であるパウロやペテロ、その他の弟子たちは、イエス様の福音を人々に伝えるための資格を取得しなければいけませんでしたか?

イエス様の直接の弟子と言われた者たちは、神様の御業を人々に伝えるために、何らかのコースを受講しなければいけませんでしたか?

答えは「ノー」ですよね。

神様・イエスキリストを信じるクリスチャンであれば、誰もが『伝道者』Evangelist(エヴァンジョリスト)になれるのです。

しかしながら、たとえクリスチャンであっても、多くの皆さんは、そのことを知らないのかもしれません。

おそらく、多くの皆さんは、

伝道者というのは、神学を勉強した特別な人たちのことであって、伝道者になって伝道することは、宣教師や牧師だけがおこなうことができることである。

だから、一般のクリスチャンは、伝道なんてできないし
伝道をする資格がない。

一般のクリスチャンは、教会に通って礼拝しているだけでOKで、あえて、伝道なんてしなくてもいい

一般のクリスチャンにとっては、伝道とは自分には関係がないことだ

と、思い込んでいるのではないでしょうか。

しかし、それは間違った考えです。

神様は、私たちにそのようにはおっしゃっておりません。

マルコの福音書16:15では、このように言っています。

イエスは彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。 (新共同訳/マルコの福音書16:15)

イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を述べ伝えなさい。(新改訳/マルコの福音書16:15)

イエスは、こう宣言されました。「全世界に出て行きなさい。すべての人々に福音を述べ伝えるのです。(リビングバイブル/マルコの福音書16:15)

イエス様は、「全世界に行って、すべての人々に福音を述べ伝えなさい。」と言っています。

もしかしたら、イエス様がおっしゃったこの言葉に関して、

「この言葉は、イエス様がイエス様の弟子の使徒たちに伝えた言葉だから、今の時代を生きている自分たちに向けて言っているわけではない。」

と思い込んでいらっしゃる方たちもいるかもしれませんが、その考え方は間違っています。

この言葉は、今の時代を生きている私たちにも当てはまるイエス様からのごお言葉であり、実際には、イエス様から私たちに向けてのご命令です。

神の子供として生きている者たちは、いわゆる『神様の御業の生き証人』なのですから、私たちには、神様・イエス様の福音と、神様の御業を人々に伝える責務があります。

クリスチャンの皆さんたちの中には、イエス様の福音を伝えることや、神様の言葉を伝えることは牧師だけの仕事だと思い込んでいる方がおられるかもしれませんが、それは間違いです。

キリスト教の神学用語に『万人祭司(ばんにんさいし)』という言葉があります。

この言葉の意味は、簡単に言ってしまうと

イエスキリストを信じ、神の子供として生きているすべてのクリスチャンは祭司である

という意味です。

このことを証明する聖書箇所は、ペテロの手紙第一 2:5です。

あなたがたも、神の家を建て上げるための生ける土台石となりなさい。

そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる供え物を神に捧げなさい。
(リビングバイブル/ペテロの手紙第一 2:5)

あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。

そして、聖なる祭司として、イエスキリストを通して、神に喜ばれる例のいけにえをささげなさい。
(新改訳/ペテロの手紙第一 2:5)

あなたがた自身も生きた石として用いられ、霊的な家に造り上げられるようにしなさい。

そして、聖なる祭司となって神に喜ばれる霊的ないけにえを、イエス・キリストを通して献げなさい。
(新共同訳/ペテロの手紙第一 2:5)

ペテロの手紙第一 2:5では、

『聖なる祭司として、イエスキリストを通して、神に喜ばれる供え物を神に捧げなさい』

と言っています。

この言葉は、宣教師や牧師になっている人たちだけに与えられている言葉ではありません。

この言葉は、イエスキリストを信じ、神の子供として生きてる『わたしたちすべて』に向けて言われている言葉です。

つまり、聖書では、クリスチャンである私たち全員が『聖なる祭司』であり、私たち全員が、神様に喜ばれることをおこなう必要があると言っているのです。

お手元に聖書をお持ちの方は、ヨハネの黙示録の第1章6節をご覧ください。

私たちを王とし、ご自身の父である神に仕える祭司としてくださった方(イエス様) (新共同訳/ヨハネの黙示録1:6)

(イエス様は)私たちを王国とし、ご自分の父である神のために祭司としてくださった方である。(新改訳/ヨハネの黙示録1:6)

この方(イエス様)は、私たちを神の国の民として集め、父なる神に仕える祭司としてくださいました。(リビングバイブル/ヨハネの黙示録1:6)

He(Jesus) has gathered us into his Kingdom and made us priests of God his Father.(Revelation1:6)

聖書では、はっきりと、イエス様が、私たちを『父なる神様に仕える祭司としてくださった』と書かれているのです。

神の子供として生きている私たちは皆、父なる神様に仕える祭司なのです。

イエスキリストを信じ、神の子供として生きる私たちには、神様からの特権が与えられえており、その特権の中のひとつが、『万人祭司(ばんにんさいし)』なのです。

万人祭司とは、神の子供として生きているクリスチャンはすべて祭司であり、(※参照:ペテロの手紙第一2:9/ヨハネの黙示録1:6)

聖職者の仲介がなくてもイエスキリストを通して神の御前に出ることができるという宗教改革の基本原則です。

この原則が教えていることは、神の子供として生きているクリスチャンは、「聖職者の聖書解釈を、ただ鵜呑みにするのではなく、自分で聖書を読み、解釈することができる」というものであり、

さらには、聖職者でなくとも、神の子供として生きているクリスチャンであれば誰でも、神・イエスキリストを信じる者に対して洗礼を授けたり、説教をしたり、聖餐式を執り行うこともできるということなのです。

宗教改革をおこなったマルティン・ルターは、宗教改革において、

(1)聖書
聖書のみを信仰の中心にすること。

(2)信仰義認(しんこうぎにん)
イエスキリストへの信仰があれば、私たち人間の罪が赦され救われるということ。

(3)万人祭司
神の前に全ての人間は平等である。そのため、誰でも祭司のように儀式を行えるということ。

という三大原理を打ち出し、これらは今日でのプロテスタント教会の教えの基盤となりました。

万人祭司については、宗教改革者であったマルティン・ルターが、あるたとえ話を通してこのように話しています。

仮に、もしも、ただの一般のキリスト教徒のささやかな群れが捕虜として荒野に連れて行かれたとする。

その中には、牧師や司祭などの聖職者がいないため、一般のキリスト教徒の中から一人を選び出し、その一人が洗礼を授け、説教を行う職務を委ねることになるだろう。

これは万人祭司の考えがなければ不可能なことである。

マルティン・ルターの宗教改革とは、16世紀のヨーロッパで起こったキリスト教の改革運動のことです。

宗教改革運動は、ローマ・カソリック教会(カトリック教会)が、神と聖書に従わない方針を取り続けていたことに対して、マルティン・ルターが批判したことがきっかけで始まりました。

そのため、その当時、マルティン・ルターは、ローマ・カソリック教会(カトリック教会)から、暗殺されそうになりましたが、あまりにも、マルティン・ルターが一般大衆から支持されていたため、マルティン・ルターの暗殺は成功しなかったと言われています。

マルティン・ルターが、ローマカソリック教会(カトリック教会)に反対した理由について話し始めたらキリがありませんが、

簡単に理由をお話しますと、ローマカソリック教会(カトリック教会)は『聖書を正しいとする考え』を支持していないからです。

そのため、カソリック教会から分離してプロテスタント教会が誕生したというわけです。

残念ながら、今現在のカトリック教会も、聖書を正しいとする教えを支持していません。

しかも、聖書を書き換えてはいけないという神様のご命令を無視して、カトリック教会は、既に十戒についての書き換えをおこなったという経緯があります。

今の時代でも、カトリック教会は、教皇の権威は聖書よりも上にあるという方針を維持しています。

これは、神様の言葉から非常に外れた思想であり、神様のご命令から外れています。

私たちが、聖書は神の言葉であると強く信じるのであれば、『万人祭司』についても、聖書から導き出された原則であるということを理解する必要があります。

(※参照:ペテロの手紙第一2:9/ヨハネの黙示録1:6)

聖書によると、すべてのクリスチャンは、万人祭司なのですから、もちろん、そこには、万人祭司としての責務が発生することを理解しておかなければいけません。

たとえば、

①聖書解釈と聖書の理解において、教会の説教だけに頼らず、自分自身でも学び、聖書を探究することをおこなう。

②毎日の生活の中で、神様の深い関係を構築するためにデボーションや神様との対話をおこなう。(ソリテュード)
※ソリテュードについて知りたい方はこちらをご覧下さい。

③神様の栄光を示すために、自分が授かった賜物(スピリチュアルギフト)を最大限に活用すること。
※ご自分がどの賜物を授かっているのかわからない方は、こちらで学んでみて下さい。

④神様・イエス様から自分が受けた恩恵について、日々の生活の中で発信していくこと。

⑤この世に属するものに対して心を奪われず、偶像崇拝をせず、神様への忠誠心を強く持ち、神様の御心に叶うことを実行し続けること。

これらについて、取り組んでいくことが非常に重要です。

多くの皆さんは、神様・イエスキリストの福音を伝えるためには、

「説教をしなければいけない。」

と思い込んでいるかもしれませんが、そうではありません。

私たちが、神様・イエス様の福音を伝えるということの意味は、

私たちが、神様から受けた恩恵について、日々の生活の中で外に向けて発信していくということです。

それは、例えば、自分自身が神様から救われた経験について話すことだったり、

困難な状況に陥っていた時に、神様を通して助けてくれたクリスチャンの話をすることだったり、

神様の恵のおかげで、自分自身が安心した暮らしを手に入れている話をすることだったり、

毎日の生活の中で、機会を見つけては、神様との良い体験について『誰か』に伝えていく。

それが、福音を伝えていくことなのです。

そのための手段や方法は、それぞれの人によって違って良いのです。

私は最近、若い年齢層(20代)の皆さんたちが、クリスチャンになられているお話を頻繁に聞きます。

おそらく、若い年代層の皆さんたちの方が中高年者や年配者よりも、今現在の世界情勢に詳しく、終末時代に近づいているこの時代で生きていくためには、神様の救いが必要であるという答えに到達したのではないかと推測いたします。

そして、クリスチャンになった若い年代層の皆さんたちが、神様・イエス様の福音を伝えることを私生活の中でおこなっているという話を耳にします。

これは本当に素晴らしいことだと思います。

私は、しばらく前に、ある日本人女性のクリスチャンの方が、ご自分おひとりで、ホームチャーチをご自宅で始めたというお話を聞き、とても勇気づけられる話だと思いました。

さらには、教会に通えない方たちのために、オンラインチャーチを始めたという話も聞きましたので、こちらにつきましても、とても素晴らしい働きだと思いました。

このクリスチャン女性は、神学校に通った経験があるわけでもなく、牧師の資格を持っているわけでもなく、いわゆる、ただの一般のクリスチャンの女性です。

私は、とても素晴らしい働きだと思いました。

もしかしたら、クリスチャンの皆さんたちの中には、牧師という資格がなければ、教会を開くことはできない、と思っていらっしゃるかもしれませんが、それは真実ではありません。

そもそも、教会の始まりは、『ホームチャーチ』です。

過去を遡ってみれば、教会の始まりというのは、ホームチャーチに集まった者たちで、神様を賛美する歌を一緒に歌い、神様を一緒に礼拝することでしたので、必ずしも、大きな教会で礼拝をしなければいけないということではないのです。

こちらのクリスチャン女性の元には、特に最近になって、若い年代層の皆さんたちからのメッセージやお悩みが届くそうです。

それらについて少しお話させていただきますと、例えば、

・教会での説教がよくわからないので、結局、教会に行くことを止めてしまい、自宅でひとりで神様への信仰を深める生活をしている。

・洗礼を受けたいので教会を訪問したら、「一定期間、教会に通い、教会員の皆さんに顔を覚えてもらい、その後、洗礼を受けるためのコースを受講し、その後で洗礼を授けてもらえる。洗礼を授けてもらえるまでに、半年から1年ほどかかる。」と言われたので、洗礼を受けることを諦めた。

・教会によっては、聖書に書かれていることを部分否定する牧師たちがおり、聖書を信じている自分としては、そのような説教を聞くことが嫌になってしまったので、教会に行くことを止めてしまった。


・とても悩んでいることがあるため、教会に行き、救いを求めたが、親身になって対応してもらえなかった。

などといったことがあるとのことなのです。

これらのことについては、私も共感できる部分があります。

神様を切実に求めている者たちに対して、なぜ、日本の教会はハードルを高くするのでしょうか。

結局のところ、若い年代層の皆さんの目から見れば、多くの日本の教会は、熱心に通いたくなるような教会ではなくなっているということに尽きるのだと私は推測しています。

おそらく、これは、多くの日本の教会の現実であり、このことは、多くの日本の教会は、若い年代層のクリスチャンの育成に力を入れていない結果なのではないかと私は思う次第です。

一体、なぜなのでしょうか?

この世を支配している悪側の者たちは、自分たちの後継になる悪側の者たちを、一貫して、悪の後継者として育成することを、何前年も続けているのにも関わらず、

なぜ、日本の教会は、神様側に立つ若手のクリスチャンの育成を積極的におこなわないのでしょうか。

私は、このことに対して、非常に大きな疑問の気持ちを抱いております。

日本で非常に有名な伝道者に、アーサー・ホーランド牧師という方がおられるのですが、この方は、まさに『伝道者/Evangelist(エヴァンジョリスト)』です。

アーサー・ホーランド牧師は日本人でして、2023年現在、72歳なのですが、今でも、非常に情熱を感じる説教をおこなっていらっしゃいます。

アーサー・ホーランド牧師は、

「日本の教会には熱がない。日本の教会の多くは、神様・イエスキリストの福音を伝える情熱がない。」

とおっしゃっています。

さらには、アーサー・ホーランド牧師は、

「日本の教会は、教会独自のルールに縛られ、偉大なる大祭司であるイエス様の弟子としての役割を実行していない。」

ともおっしゃっておられました。

私も、アーサー・ホーランド牧師のこの意見に同感です。

今の時代は、まさに終末時代です。

そのため、私たちは、神様の側にしっかりと立ち、神様の言葉に従い、神様と共に生きていく必要があります。

そのためには、私たちひとりひとりが、『私たちは偉大な大祭司であるイエス様の弟子である』という自覚を持ち、

さらには、私たちに対して、父なる神に仕える祭司としての特権を与えてくださったイエス様の栄光を示す働きを、

情熱を持っておこなっていくことが大切なのではないでしょうか。

最近になって私がよく耳にすることは、若い年代層の人たちは、インターネットを上手に活用して、自分たち自身で、神様・イエス様の福音を伝えることをおこなっているということです。

それも、福音活動の方法のひとつであり、それをおこなっている皆さんは、立派な伝道者と言えます。

聖書ではこのように言っています。

あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。

それは、あなたがたを、やみの中から、ご自分のおどろくべき光の中に招いてくださった方のためのすばらしいみわざを、あなたがたが宣べ伝えるためなのです。(新改訳/ペテロの手紙第一 2:9)

あなたがたは神から選ばれた王なる祭司であり、きよい民として神のものとされた人たちです。

それはすべて、どうして自分が暗闇から神の驚くべき光へと招き入れられたかを、人々に語り伝えるためなのです
(ペテロの手紙第一 2:9)

もしもあなたが、神の子供として生きているのであれば、あなたはイエスキリストの弟子であり、神様から選ばれた祭司です。

私たちは、神様から祭司として選ばれているわけですから、その責務を達成しなければいけません。

神様から選ばれた祭司として相応しい者になるためには、私たちは、常に、『伝道者マインド』を持って生活することが大切です。

『伝道者マインド』というのは、神様・イエス様の栄光を示すための福音を、情熱を持って伝える生き方です。

そのためには、教会の説教のみに頼るのではなく、あなた自身で聖書を学び、神様の言葉と御心を正しく理解することが極めて重要です。

もしも聖書を理解することが難しいと感じる場合は、ぜひ、ホーリスピリット(精霊)の力を与えていただけるように、神様にお願いして下さい。

私たち人間が、神様の言葉である聖書を正しく理解するためには、私たちにはホーリスピリット(精霊)の力が必要です。

まだ、あなたにそれが与えられていない場合は、どうぞぜひ、このように神様にお祈りして下さい。

「神様、私はあなたの言葉である聖書を正しく理解したいと思っています。

どうぞ、私があなたの言葉を正しく理解できるように、ホーリスピリット(精霊)の力を与えて下さい。

主イエスキリストの御名によって祈ります。アーメン」

神様は、あなたが切実な思いで熱心にお願いすれば、あなたの願いを叶えてくださいます。

あなたが、神様の栄光を表す働きをおこない、あなたの最大限の力が神様のお役に立てる結果になることを私は切に願っています。

Article by Toshie Ito ©copyright Good news Minstries with Toshie Ito

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