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愛に飢えていると感じていますか?Starved for Love

今までのあなたの人生の中で、あなたはあなたの心の隙間や虚しさを何らかのことで満たそうとしたことがありますか?

しかし、実際には、あなたの気持ちが満たされるよりも、あなたの心には、不満足な気持ちが発生しませんでしたか?

私たち人間は『自分のことを愛してくれる誰かが欲しい』と思ってしまう生き物です。

あなたは今、愛されている確信を持てない状態ですか?

もしも今現在、あなたが誰かから愛されている確信が持てない状態である場合、もしかしたら、あなたは愛に飢えているように感じているかもしれません。

もしもあなたが愛に飢えていると感じているとしたら、その状態は神様があなたに望んでいることではありません。

神様は、神の子供である私たちが愛に飢えていると感じていることを望んではいません。

実際には、神様は神の子供である私たちに、喜び(Joy)と、神様からのたくさんの愛を実感してもらいたいと願っています。

しかしながら、多くの人々は、神様の愛を感じることができる神様との深い関係を築く機会を今だに逃しており、

神様との深い関係を築くよりも、自分たちの満たされない心の隙間を、お金、セックス、アルコール、社会的地位や名声、SNSやYou Tubeといったネット媒体といったもので埋めようとしているのです。

その結果として、自分たちが抱える虚しさや心の隙間が完全に埋まることはなく、実際には、益々、心の隙間が広がるような悪循環に陥っていくのです。

私たち人間が、どんなにお金を儲けて大金持ちになっても、私たちがこの世を去る時に、そのお金は持っていくことができません。

私は長年、夫婦関係の修復のサポートのお仕事に従事しておりますが、既婚者の不倫問題は、まったく珍しい話ではなく、多くの私のクライアントの皆さんの配偶者は不倫をしている状態です。

既婚者であるのにも関わらず、別の異性と性欲にまみれている人たちは大勢います。

私はそのような人たちを、今まで大勢見てきましたが、セックスを求めて性欲まみれになっても、結局のところ、彼ら(彼女たち)の心は満たされません。

私のクライアントの皆さんの配偶者たちには、アルコールの多量摂取により、アルコール依存症になっていらっしゃる方たちも多数お見受けしますが、アルコールに溺れた結果、正常な生活ができない状態になっていらっしゃる方たちも意外と多く、アルコールによって心が満たされるということもありません。

この世では、社会的地位や名声を求め、権力を欲する方たちも大勢おられますが、仮に、社会的地位が高まり、名声を得て、権力を手に入れても、それすらも、あなたがこの世での命を終えた後は、まったく、意味がないものになるのです。

近年は、SNS や You Tubeといったネット媒体に、たくさんの時間を費やしている人たちが増えておりますが、このような娯楽においても、これらのこと続けても、心が満たされることはありません。

人が愛に飢えている状態というのはどのような状態なのでしょうか。

また、人が愛に飢えているというのはどのような意味なのでしょうか。

人が愛に飢えているとき、以下のことが発生します。

(1)道徳に反する不品行なことに関与する。(Become involved in immoral situations.)
人々が自分自身が抱える虚しさを満たす何かを探している時、多くの人間は『SEX』を愛と混同してしまい、SEX = 愛 であると誤解する。この代表的なものが不倫ということになる。

(2)罪を犯す。(Commit crimes.)
精神面での支援を必要としている愛に飢えている人間は、自分を他者に知ってもらうために犯罪を犯す。

(3)自分自身を愛さない。(Don’t love themselves.)
誰からも愛されないと感じることによって、他者を愛することができなくなる。他者に親切にすることもできない。

(4)過度にお金をたくさん使う。(Engage in excessive spending.)
一部の人たちは、買い物やギャンブルなどの誘惑に弱く、それらにたくさんのお金を費やし、自分たちの満たされない心の隙間や空しさを埋めようとする。

(5)孤独感を感じている。(Experience loneliness.)
愛に飢えている人々は、たとえ、他者と一緒にいても、自分自身は孤独であり、孤立していると感じている。彼ら(彼女たち)は、結婚によってそれが解決されると思い込んでいるが、実際にはそうではない。

(6)怒りの感情を抱く。(Get Angry.)
愛が不足していることによって、一部の人々は、怒りという感情を構築していく。彼ら(彼女たち)は、特定の誰かに怒りの気持ちを表現するのではなく、苛立ち感を頻繁に感じている。理由は、『自分の気持ちを満たすための精神的な支援を誰かから得ること』に失敗したからである。

私たち人間が、実際に誰かを本気で心の底から愛するということは、実際には非常に難しいことだと私は思っております。

よく、テレビドラマや映画などの中では、簡単に異性に対して、「愛しているよ。」という言葉が出てきますし、ボーイフレンドやガールフレンドの間でも、少しの間、短期間、お付き合いをしただけで、「愛している。」という言葉が使われていると思います。

しかしながら、本気で誰かを愛するというのは、そう簡単にはいかないことであり、実際には、私個人的には、この世の中で、はたして一体、どれくらいの人たちが、『本当の意味での愛すること』を、貫くことができているのか、疑問に思っています。

『愛』というのは、ある人を好きだとか、大好きだとか、そういった変わりやすい刹那的な感情のことではありません。

『愛』とは不変的に長期間に渡って続く『コミットメント』であり、しかもその愛を、自分の行動を通して示す必要があるものです。

ちなみに『刹那的(せつなてき)』の意味は、時間が短い期間のことや今というこの瞬間だけといったような『短期間』的な意味あいを持っています。

つまり、愛というのは、好きとか嫌いだとかいう一時的な感情で左右されるものではなく、ある意味『不変』であり、なおかつ『長期間』に渡るものになるということです。

不変とはまったく変わらないことです。

人間の性質上、はたして、人間は不変の愛を長期間に渡って貫くことができるのでしょうか。

あなたは、誰かに対するご自分の愛を、全く変わることなく、長期間に渡って貫くことができますか?

たとえば、子供に対する親の愛について考えてみましょう。

親から子供に与える愛というのは、愛の代表的なものと言えるかもしれません。

子供に対する親の愛というのは、1年や2年といった、たった数年で終わるものではなく、

おそらく、親にとっては親が死ぬまでというかなりの長期間に渡って、子供に対して注がれるものであるはずです。

しかし、世の中には、実際には、それができない親たちも大勢おります。

ただ、それができない親たちというのも、通常、自分たちの親から十分に愛情を受け取っていなかったというケースがほとんどです。

世の中には、いわゆる『毒親』と呼ばれる人たちもおります。

そのような人たちのほとんどは、自分の両親や他者から、愛情をもらわない状態で大人になっている状態だったりもします。

もしかしたら、今、この記事を読んでいらっしゃるあなたも、ご自分の両親から十分に愛情を注いでもらった経験がないかもしれません。

あるいは、それとは逆に、もしも、あなたがご自分の両親から、十分に愛情を注いでもらった場合、あなたはそのような両親を持ち、恵まれていると思っていただいた方がいいでしょう。

理由は、たとえ親であったとしても、長期間、愛がある行動を一貫して示し続けることは、実際にはそう簡単にできることではないからです。

仮に、親から子供への愛がどれくらいの期間、続くものになるのかを、単純計算してみましょう。

例えば、ある親が30歳の時に、子供が生まれ、親になったと仮定します。

仮に、その親のこの世での寿命が80歳だとしたら、その親は子供に対して50年間、愛を示し続けるということになるわけです。

50年間なんて、かなりの年数です。

しかも、その50年間、愛を示す行動をし続けないといけないわけですから、愛を貫くということは簡単にできることではないという意味をご理解いただけるのではないでしょうか。

また、お子さんをお持ちの方であれば、おそらく誰もが体験したことがあることだと思いますが、子供を愛しているからこそ、子供が何か適切ではないことをおこなったとしても、親は子供を赦す(ゆるす)ということも必要になってくるわけです。

親子の愛について考える時、私は『神様と神の子供である私たちの愛』について考えさせられます。

神様は、神の子供である私たちを愛してくださいます。

聖書には「神は愛である」と書かれています。(ヨハネの手紙1の4:16)

神様の私たちに対する愛は、私たち人間の愛と異なり、不変なものです。

しかも、神様の愛は無限であり、それは変わることなく、永遠に持続します。

では、私たちの神様に対する愛はどうなのでしょうか。

神様があなたを愛してくださるように、あなたも神様を愛していますか?

もしもあなたがお子さんをお持ちの親の立場である場合、親であるあなたはあなたの子供を愛しているのに、あなたの子供は親であるあなたを愛していない…。

これは、親にとっては、とても悲しいことなのではないでしょうか。

そのことを考えたとき、もしも、神の子供である私たちが、「神様のことを愛していない。」と言ったら、私たちの父なる神様は一体、どのようにお感じになるのでしょうか。

聖書のホセア書6:6 には、次のような神様の言葉があります。

いけにえはいらない。わたしを愛してほしいのだ。ささげ物もいらない。わたしを知ってほしいのだ。(ホセア書6:6/リビングバイブル)
I don’t want your sacrifices—I want your love; I don’t want your offerings—I want you to know me. (Hosea 6:6/Living Bible)

神様は、私たちが神様を愛することを望んでいらっしゃいます。

神様が喜ばれることは、私たちが神様をもっとよく知ることであり、神様が望まれることは、私たちが神様のことを愛することなのです。

もしかしたら、私たちの多くは、自分が愛情を受け取ることばかりを求めていて、大切な神様との関係性の中で、神様を愛するということをおざなりにしているときがあるのではないでしょうか。

私たちは、自分が愛されたいということばかりに気持ちが集中してしまい、私たちが神様からの愛を十分にいただいていることに気が付いていないのではないでしょうか。

イエス様は、次のようにおっしゃっておられます。

イエスは言われました。「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。」(ヨハネの福音書15:9)
I have loved you even as the Father has loved me. Live within my love.(John15:9)

英語の聖書では、『Live within my love』と書かれており、これを日本語に訳すと、『私の愛の中で生きなさい』という意味になります。

イエス様の愛の中で生きる…。

この言葉の意味は、イエス様の愛に満たされた状態で生きていくという意味になります。

もしも私たちが、イエス様の愛に満たされて生きていくのであれば、私たちは、決して、愛に飢えた状態にはならないでしょう。

私たち人間の心の隙間や虚しさというのは、お金、セックス、アルコール、社会的地位や名声、SNSやYou Tubeといったネット媒体といったもので埋めることはできません。

しかし、私たちがイエス様の愛に満たされた状態で生きていくのであれば、そもそもの話で、私たちの心には、心の隙間や空しさというものは生まれないのです。

イエス様は、ヨハネの福音書15:5-6の中で、ぶどうの木のたとえをもって、このようにおっしゃっておられます。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたはその枝です。人がわたしのうちに生き、わたしもその人のうちに生きているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては何もできません。 わたしから離れる者はだれでも、役に立たない枝のように投げ捨てられ、枯れてしまいます。最後には、ほかの枝といっしょに積み上げられ、焼かれてしまうのです。」

I am the Vine; you are the branches. Whoever lives in me and I in him shall produce a large crop of fruit. For apart from me you can’t do a thing. 6 If anyone separates from me, he is thrown away like a useless branch, withers, and is gathered into a pile with all the others and burned. (John 15:5-6)

ぶどうは、枝が木に密着していなければ、実を結ぶことができません。
また、幹から切り離された枝は、実を結ぼうとしても結ぶことができません。

それと同じように、私たちはイエス様という生命の木に結びついていると、イエス様から流れてくる不思議なパワーによって実っていくことができるのです。

しかし、もしもイエス様から離れてしまったら、幹から切り離された枝と同じで、実を結ぶことができず、幹からの栄養も届かなくなり、最終的には枯れ果ててしまうのです。

だからこそ、イエス様は私たちにこのようにおっしゃるのです。

「わたしの愛のうちにいなさい。」
Live within my love.
 

私たちに必要なことは、神様を愛し、イエス様の愛の中で生きていくこと。

このことによって、私たちは愛に飢えた状態になることはないのです。

あなたが、神様の愛を感じ、神様の愛で満たされたお気持ちになり、豊かな心で毎日を過ごされることを私は切に願います。

Article by Toshie Ito ©copyright Good news Minstries with Toshie Ito

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