見出し画像

「僕は幸せを追わない」幸せの国デンマークで考えた、私の幸せ論

「まずは、幸せの定義から始めようか。」そうして始まったデンマーク人との会話は、なんと2時間にも及んだ。
今回は、2人のデンマーク人と1対1で将来や幸せについて考えたことを文字に残しておきたい。

なぜ幸せを考えるか


最近、幸せや人生について真面目に考えることが多い。というのも、現在大学四年生の私は絶賛就職活動中であり、自分は将来どうありたいかを考えさせられる機会が多いからだ。

キャリアコンサルタントと呼ばれるような人は「まずは、自分のなりたい姿を想像してみよう!その差を埋められるように逆算して人生設計をしよう!」と口をそろえる。その通りだ。しかし、どんな姿になりたいのか、どうなったら幸せなのかということを言語化する作業に、私は苦戦していた。

「勤勉だったら幸せになれる?」


ひょんなことから、私はそのことをデンマーク人の友達に話した。

「自分が将来、どんな風になりたいのか具体的に想像できない。だから就職活動も気が乗らない。将来が不安でしょうがない。」と。

するとその友人は、「Nanahaは頑張り屋さんで優しいから、きっと幸せになれるよ。」と答えた。

そこで私は、「いやいや、勤勉で優しいのと幸せになれるのは別でしょう?」と返した。

それに対して彼は「そうか、そうしたら、幸せを定義することから始めよう。」「幸せって、良い学校に行くこと?良い会社に入ること?ほしいものを買うこと?大切な誰かと過ごすこと?」。。。

ここから、私たちの長い長い議論が始まることになる。

「僕は幸せを追うことはやめたんだ。」

次に、彼は続けた。
「僕は幸せを追求するのはやめて、自分が満足している状態を追求する人生にすると決めているんだ。幸せというのは、脳の中でセロトニンとオキシトシンが分泌されて、喜びを感じた時に得られるもの。例えば、欲しいものを買ったときとか。でもね、それはほんの一瞬だけなんだ。それから、もし欲しいものを買えたとしても、まだまだ欲しいものは出てくる。だから、終わりがないんだよ。その代わりに、満足した状態というのは、自分が決められる。それに、安定して続けられる。

私は、なるほど、、、と思った。
そうして彼は、なぜそう考えるようになったのかという経緯も話してくれた。
彼は、幼いころから自閉症や、アスペルガー症候群を持ち、対人関係に悩んで学校に行けなくなってしまったことがあったという。そして、これらによってうつ病を発症し、今でも薬でセロトニンの分泌をコントロールしているらしい。そんな彼からすると、幸せはとても儚いものだという。


何が満足させるのか


そして、「何が自分を満足させるのか」と聞いた。
すると彼は「まずは、身の安全・安心を感じること。そして、誰かの役に立つこと。」と答えた。

とてもシンプルだ。身の安全は、生きていくうえで必要不可欠である。これは、うつ状態になったときに改めて感じたという。また、まずは自分が健全でないと、人助けもできない。そして「誰かの役に立つことで、自分の命がほかのだれかにも宿るような気がする。そこに、自分の生きる価値を感じる。」と言っていた。

私は、私の幸せや将来を考える上で大切なヒントをもらった。

何を追求するかを自分なりに定義する事。彼は、自分が満足している状態であると定義した。彼と話す中で、私も同じように定義しようと思った。
そして、どうなったら自分が満足するのか。これは、一つに限定しなくても良いと思う。日常生活の中で、これからもたくさん見つけていきたい。

「人生で何かを成し遂げようと考えるのは危険だよ。」

また別の日。図書館で友人と脳神経の話をしていたところ、そばに座っていたデンマーク人が声をかけてくれた。

「その会話、とても興味深いね。少し入れてくれない?」
話していくと、彼はデンマークでお医者さんをしており、専門を脳神経に絞るためにちょうどその分野を勉強している最中だという。そして、様々な興味深い話を聞かせてくれた。

そんな彼に、先日友達と話した内容を話そうとした。

その中で、私が「人生で何を成し遂げたいのか、何をしたいのかがあまりはっきりしない。」というと、
彼は「人生で何かを成し遂げようと考えるのは危険だよ。
と言った。

人生の目標はいつでも自分が幸せになること

なぜ?と聞くと、
「人生で何かの目標を立ててそれを成し遂げようとすると、時に自分の幸せを見失ってしまう。だから人生の目標はいつでも自分が幸せになることでいいんだ。それ以上に大事なことなんてないでしょう。そして、何を成し遂げたいかという代わりに、自分が何をしたいかを考えて生きていくべき。」

と答えてくれた。

共通のキーワード


話していくうちに気づいたのは、彼もまた、最初に話したデンマーク人と同じよう「自分の安全が守られていること」が一番大切だと考えているということだった。
文脈は違えど、先日話したデンマーク人と共通のキーワードとしてsecure(安全・安心)という言葉が出てきた。まずは最低限自分の安全が守られていること。そして、自分が興味があることややりたいことに突き進むこと。
これが、彼が考える人生で大切にしたいことだという。

最後に

私は今までありがたいことに「自分の安全・安心が守られていること」について深く考えたことがなかった。
しかし、人生の上で大切な要素であることに間違いない。

自分の安全には、物理的に何かの脅威に晒されていない状態だけではなくて、精神的な安定や金銭的な余裕も入るだろう。また、広義には一緒にいると安心する友人の存在も含まれるかもしれない。
まだまだ英語を日々練習している私にとって、このような難しいテーマを話し合うことはより複雑になることもあるが、これからも人との対話を大切にして考えを深めたいと思っている。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?