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相手が見せてくれた、過去の私の心の傷

鏡の法則について

いま、誰かから酷いことをされて、辛い状況にある人にとって、「誰かにされたことは、自分もやったこと」という考え方は、

辛い自分を、さらに責められているように感じてしまうかもしれません。

そんなときは、この記事に書いてあることは、サラッと読み流して、ご自分の心を守ることを一番にしてください🕊️

私も、一番辛い状況のときは、受け入れられないときもあったのですが、それでも、

「誰かにされたことは、自分もやったこと」という鏡の法則に沿って、目の前の現実を見ていったら、

あぁ、確かにその通りだった、相手は鏡だった!という気づきを得たので、

noteでシェアしてみたいと思いました。

彼にされたことは、私が母にしたこと

昨年末、自己破産する事態になったことをパートナーに打ち明けたときに、

私は、彼から

「今すぐ、この部屋から出ていけ、実家に帰れよ」と言われました。

てっきり、慰めの言葉をかけてもらえるものだとばかり思っていたので、予想外すぎる発言にビックリ仰天。

酷い!そんな言い方しなくてもいいのに!と、彼のことを、死ぬほど恨みました。

(別にお金を出してって言ったわけでもないのに、話もロクに聞かずに帰れなんて!ありえない!と、プンスカ、メソメソしながら実家に帰りました)

でも、鏡の法則で、自分としっかり向き合ったら、

あぁ!彼と同じような酷いことを、私、母に言ってた!ということに気がつきました。

母にマウントを取っていた私

元夫と結婚していたとき、私たち夫婦は家を購入しました。

そして、当時、一人暮らしをしていた母に、私は、新しい家で同居することを提案したのです。

(元夫は、快諾してくれてました)

そして、私は外へ働きに出て、家事は母がほとんどをしてくれていました。

元夫も、その状況に何も文句は言いませんでした。

私が働いて稼いだお金の使い道も、ほとんど自由にさせてくれて。

しかも、元夫は、私に甘えたことは一切言わない、具合が悪かろうがなんだろうが、自分の面倒は自分で見るという、

とても自立した人でした。

私は、父に対する罪悪感(「自分だけ楽をしていてズルい人間だ」)を根底に持っていたので、

家の中で、なんの苦労もせず、楽ばかりして、元夫の役に立てていない自分のことを、恥じていました。

その苛立ちを、母にぶつけていったのです。

また、誰かを助けることで、自分は罪悪感から逃れられる、許されると思っていた私には、「助ける人」も必要でした。

だから、母に家事の面で助けてもらってばかりだったくせに、

「私が、お母さんのことを同居させてあげているのよ、助けてやっているのよ」と母にマウントを取ることで、何とか自分を保とうとしていました。

”助ける側”の自分=優位で、”助けられる側の自分”=劣位、という上下思考を、きっと、子どものころに握りしめていたんだと思います。

優位に立ちたい私は、母以外にも、常に誰か助けたい人を探していて、学生の頃から、いつも人の相談に乗ったり、

職場でも、一人でハリキリすぎるところがありました。

でも、きっと私の魂ちゃんは、あの時点で、「もう人を助けるの、限界!」で、「本当は助けてほしい!」となってたのです。

その抑圧していた感情が、生理前に爆発して、母への八つ当たりを引き起こしていました⚡️

自分から母に同居することを提案したくせに、

「もう、この家から出ていってよ!」と何回も、何回も、言ったことがありました。

彼を姿を通して、過去の私の心を癒す

この一連の流れを俯瞰してみたとき、

いまの彼も、過去の私と同じように、人を助けることで優位に立ち、自分を保ってきたのだろうなと感じました。

彼の態度から、私や、自分の家族、職場の人に対して、「自分は、これだけ頑張ってやっているんだ、助けてやっているんだ」というのが伝わってきていたから。

でも、彼も、もう助ける側にいるのが、限界だったんだと思います。

だからこその、冒頭の私への暴言。

私は、そんな彼の姿を通して、あの頃の私が、どんなに苦しかったのかを、改めて思い知ることができました。

私は、あんなにも苦しんでいた過去の私のことを、隅に追いやって、ないものとして消し去ろうとしていました。

母に八つ当たりして、暴言を吐いた私。
攻撃的で、優しさのかけらもない、薄情な私。
みっともなくて、恥ずかしい私。

あんな私がいなければ、もしかしたら、離婚しないで済んでいたかもしれないのに。

離婚したことも、元夫を傷付けたことも、全部、過去の私のせいにして、責めていました。

でも、過去の私も、どうにか必死に生きようとしていた。
なりたくて、あぁなったわけじゃなかった。

なのに、私は彼女=過去の私のことを、守ってあげなかった。弁護してあげなかった。

過去の私も、尊くて、愛すべき存在。
ママに暴言を吐いちゃった、みっともない私でも、愛して。認めて。
どうして認めてくれないの?

それに気づくため、学ぶための、いまのパートナーとの出会いだったのかなと思います。

最後に…

どんなに嫌いな相手でも、どんなに憎い相手でも、何かの縁が在って、人と人は出会います。

そして、自分が嫌いで憎い人ほど、隠している自分を見せてくれる存在。

隠してきた自分を認めて、受け入れれば、過去の自分の傷が癒されます。

「誰かにされたことは、自分もしたこと」という以外にも、色んな紐解き方が鏡の法則にはあるので、

ゆるゆるペースで、少しずつ記事にしていこうと思います🪞

長い記事を、最後までお読みいただき、ありがとうございました♡



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