美大時代は多様性の大きな器だった
今日は昨日まで否定してた過去がひっくり返った話。大学時代の自分を劣等生とずーっと否定し続けけていたけど、今日急に考え方が180度変わった。その瞬間の思いを勢いでアウトプット。あとで読み返してどう思うのかわからないけど、今日思ったことをそのまま残します。
* * *
東京造形大学の絵画学科の時間を思い出した。
あの場所は多様性を受け入れる大きな器で守られていたし、みんながそのままで存在できる唯一の場所だった。
わたしの存在はわたしとしてそのままを受け入れてくれていた。
あの世界は誰をどうだと批判しない。それぞれがそれぞれでいることに非常に寛容だし、それぞれが自分の価値観を表現する。
そしてお互いのそれに一生懸命目や耳を傾けてきた。そしてここがいいこれはこうした方がいいと純粋に真面目に向き合い語りあってもきた。
学校を離れれば兄妹や家族のように暮らし、貧富にも環境にもばらつきがあったけど、それでもお互いをどうこう言わずにそれぞれを認め合って過ごしてた。
男だから女だからも歳の違いも関係なかったし、お洒落な子もいれば山から出てきたようなボロボロの人もいた。清潔か不潔かも関係なかった。誰が誰とつるもうが文句も悪口もでないし。仲間でいたり1人でいたり勉強したり遊んだり。
どこで何をしようが自由だった。
タバコもよく吸ってた。わたしは男子に混じって麻雀もしたけど、女の子ともよく遊んだ。いろんな作品も見に行ったし、旅もしたし仕事もした。課題の前にはアトリエに泊まり込んでみんな作業してたっけ。
ホームセンターから軽トラで木材を運んだりサンダーで磨いたりしてたっけ。
隣の彫刻家の人たちはタオルを巻いてつなぎを着て黙々と作ってたな。
いつなにを飲もうが食べようか平気だったし。だからって別に問題は起こらなかったし。
とにかく変な人ばっかりで何が普通でなにが変だかわからなかった。
しかし今となってはあれが本来あるべき姿なんじゃないかと思えてきた。
みんな自分らしく生きること、自分を表現することに必死に向かってた。
あんな自由はどこにもなかったな。
そうだ、あの時間は最高だった。
こういう世界もあるんだよ。
わたしはここで育ったんだった。
そしてやっぱり個性の世界が好きだった。だれも何も止めない。それぞれがそれぞれでいる世界。いいも悪いもジャッジしないそのままの世界。
そしてそれが成り立つ貴重な時間を過ごしたんだ。
あー今頃気がつくなんて。
あー。
あー。
あー。
今こそこの多様性が認められる時代。世の中の主流になる時だと感じる。
おわり
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