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『デザインのまなざし』のこぼれ話 vol.7

マガジンハウスが運営している、福祉をたずねるクリエイティブマガジン「こここ」で、グッドデザイン賞の連載『デザインのまなざし』の最新エピソードが公開されました。

『デザインのまなざし』とは
「福祉」と「デザイン」の交わるところにある、人を中心に考えるまなざし。その中に、これからの社会を豊かにするヒントがあるのではと考え、福祉に関わるプロダクトやプロジェクトと、それを生み出したり実践されたりしている方々を訪ねる連載です。
https://co-coco.jp/series/design/

第7回に登場してもらったのは、2022年度「グッドデザイン・ベスト100」と「グッドフォーカス賞 新ビジネスデザイン」を受賞した「キヤスク」を運営する株式会社コワードローブの前田哲平さんです。

「キヤスク」は、障害や病気などで、自分の好みより着やすさ優先で服を選ばざるを得ない人に向けて、好みの既製服を身体の不自由に合わせてお直しできるオンラインサービスです。

このnoteでは、本編には文字数の関係で載せきれなかった前田さんのお話を、こぼれ話としてお伝えします。

撮影:加藤甫/ 写真提供:マガジンハウス〈こここ〉編集部



株式会社コワードローブ 代表取締役CEO 前田哲平さん

ー前田さんの職歴がとてもユニークだと思ったので、キヤスクを始める前までの話をもう少し詳しくお伺いします。

前田:出身は福岡で、東京の大学に入ったのですが、どうも東京の暮らしぶりに馴染めなかったのです。今は関東で生活していながら、こうした話をするのは妙なのですが、当時はとても違和感があったのです。

それで、卒業したら「福岡に帰る」と決めて大学生活を過ごしました。行きたい企業が福岡にあったというよりも、「東京からとにかく離れたい」という思いでした。

最近の福岡は、IT企業やスタートアップが増え、若い世代にとても人気がありますが、20年前は就職先の選択肢がとても限られていました。大手だと銀行や電力会社などのインフラ系しかなかったのです。

大学4年になってすぐのタイミングで内定をもらえたのが福岡銀行で、そのままあまり深く考えずに1998年に入行しました。福岡に戻れて、かつ安定した就職先につけたので安心しました。

ですが、そのあと「私は何でここに入ったのか?」と自問自答するようになったのです。「何のために働くのか?」「自分の可能性は?」など、もっと考えるべきだったととても後悔して。そんな想いが頭をよぎると、私は続けられないタイプなので、「考えるために」銀行を2年で辞めました。

ー辞めた後、ファーストリテイリング(ユニクロ)を偶然知って2000年に転職したのですね。今でこそグローバル企業になりましたが、当時からこんなに大きな会社になると思っていましたか?

前田:ちょうど大ブームになり知名度も上がってきたタイミングで、確実に大きくなると感じていました。さすがに、ここまで一気に世界的な企業になるとは思っていませんでしたが……。

柳井正社長の強力な個性と「世界一の会社になる」という大きなビジョンに強くひかれました。「この社長のもとで働きたい」「会社の成長が自分の成長にもなるかもしれない」が志望理由です。

入社後、最初は東京の武蔵村山の店舗に配属され、店長を務めたあとに、新規事業が立ち上がると知り志願して異動しました。

ーどんな新事業だったのですか?

前田:今では知っている人はほとんどいませんが、ユニクロが野菜販売の新事業を2002年に始めたのです。服と同様、生産から販売までを一貫したオペレーションを、旬の野菜で実現しようとする意欲的な事業でした。

ーあ、知ってます。「あのユニクロが野菜事業に参入!」と話題になりましたね。確か「SKIP」という糸井重里さんのネーミングでしたよね。

前田:はい、そうです。現在GUの社長である柚木治さんが発案した新規事業で、私も立ち上げメンバーになりました。全く一から立ち上げるビジネスで、すべてが試行錯誤の繰り返しでした。学ぶことも多かったのですが、残念ながらSKIPは2年も経たずに撤退となり、ユニクロ本部に戻りました。

今考えると、SKIPは時代を先取りし過ぎたように思います。オイシックスがスタートしたのもその頃ですし。

ー前田さんはその頃から、前例のない新しい事業に興味をもつ方だったのですね。ところで、グッドデザイン賞にはコワードローブと博報堂ケトルとの連名で応募されてますが、これはどういった背景によるものですか?

前田:高校の同級生に日野昌暢さんという人がいます。今にいたるまで30年間ずっと親交が深い親友です。彼は大学卒業後、博報堂での14年間の営業職を経て、現在はクリエイティブエージェンシーの博報堂ケトルでプロデューサーをしているのですが、彼との個人的な深い縁が背景にあります。

ーキヤスクのグラフィックやウェブのデザイン、コピーなどがとても明確で、わかりやすく、どなたと組んで製作をしたのかが気になっていたのですが、もしかしたらその日野さんが担っているのですか?

前田:はい、実はそうなんです。キヤスクの企画段階から一緒にやっていますし、クリエイティブは全面的に日野さんに見てもらっています。

ユニクロを辞めた直後に、日野さんに「障害や病気のある人とそうでない人の服の選択肢を同じにできる事業をやりたい」と相談しました。日野さんは最初は親友として相談に乗ってくれていたのですが、そのうちに「この事業にはアートディレクションが必要だ」と、資金の無いキヤスクのために、“非公式”にキヤスクをバックアップするチームを博報堂ケトルの中に作ってくれたんです。そこから徐々に社内の承認をとりながら進めてくれたおかげで、今では博報堂ケトルの数人が、正式なチームとして参画してくれています。

ーそうだったのですね。グッドデザイン賞への応募が、コワードローブと博報堂ケトルの連名だった謎も解けました。

前田:クラウドファンディングが成功したのも日野さんたちの協力のおかげです。実はグッドデザイン賞に応募したらどう?と進言してくれたのも日野さんなのです。ですので、受賞が決まった時も二人で祝杯をあげました!


キヤスクは画期的なサービスで、クリエイティブが果たしている役割も大きく、それはどうした体制によるものか、取材をするまでわかっていませんでした。
前田さん自身は、デザインの学校の出身ではありませんが、「こここ」で触れたように、デザイン的思考をとても持った方で、それはユニクロというデザイン経営を推進する企業に20年間在籍したことも要因のような気がします。さらに、クリエイティブエージェンシーの現役プロデューサーの大親友が側近にいたため、ビジネスとデザインがうまく融合した新しいサービスが誕生したのです。
キヤスクの魅力については、「こここ」の連載『デザインのまなざし』本編を、ぜひご覧ください。