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カサンドラになってよかったこと

今は「ちこちゃん」という、普段妻から呼ばれている名前でTwitterをやっているが、もともとは「ぐっばいカサンドラ」というアカウント名であった。

発達障害者の弟と仕事でかかわって消耗し、いわゆるカサンドラ症候群と呼ばれる適応障害らしき状態に陥った当時に書き記した手記群が「ぐっばいカサンドラ」である。

当時は弟を恨んだし、とても苦しかった。

弟のせいで何もかも失ったような気になっていた。

実際、私がカサンドラになったのは弟が原因であることに違いはないし、彼にはあまりに能力が足りなかった。カサンドラ化は必然といえる。

一方で、そんな彼を生かす能力が私に足りなかったのも事実である。そして当時の私には、発達障害というものに対する理解や対策などの情報が圧倒的に足りていなかった。

さて、それはそうとカサンドラ症候群になって体験した地獄のような4年間。

カサンドラになった翌年、私は10年以上かけて育てた事業を手放し、顧客も失い、事業所も手放し、住居も失った。財産も失い、長らく住んだ東京を離れあえなく田舎に引っ込むことになった。

文字通り、家庭以外のほぼすべてを失った。

もちろんこれらを決断したのは私自身だが、そうせざるを得ない苦渋の決断である。本当はすべて手放したくなかった。

でも、失敗したならただでは倒れたくはない。「この失敗をしてよかったと言えるように、時間をかけて必ず回収してやる」という意気込みで早くから計画を用意していた。その計画に従った上での決断でもあった。

ようやく「あのとき、カサンドラになってよかった」と心から言えるようになったので、その変化をここに記す。

変化① ライフスタイルが変わった

療養期間を設けて、ライフスタイルが大きく変化したのが一番よかった。

これまでも比較的自由に生きてきたが、それでも仕事には熱心だったため、タイトなスケジュールで業務をこなしたり、国内外出張や商談など利益を出したりすることには積極的だった。

しかし療養期間中はできるだけ仕事のタスクとストレスを削減するため、「好きなことしかない」と「高単価の仕事しかしない」という2つの条件を自ら設けた。

その結果、以前よりも効率的かつスピーディに収入が得られるようになり、それでいて以前よりも圧倒的に自由な時間が増えたのである。

今はほとんど月の2/3以上を遊んで暮らしており、これは私が理想とするワークライフバランスである。

こうしたワークライフバランスをどうしてもっと早く実現できなかったのかと考えると、「毎日働くのが当たり前」という先入観があったことと、「それを実践する機会がなかった」こと、そして「基本的に働くのが好きだった」ことが挙げられる。

カサンドラになって仕事を失った私は、また一からやり直さなければならなかった。今までと同じようなことを同じような手間や時間をかけてやっていられないわけである。なのでいかに早く結果と成果をあげられるか考え、戦略を合理化&最適化した。具体的には先述したように「好きなことしかない」と「高単価の仕事しかしない」が主軸である。

細かい工夫はほかにもいろいろあるが、お陰で理想的なワークライフバランスの実現を試す機会に恵まれ成功した。

以前よりもワンランク上のライフスタイルを手に入れられたのは、紛れもなくカサンドラを経験したからである。

変化② やりたいことが増えた

こちらも仕事にかかわる変化だが、カサンドラを経験したがゆえの着想や、将来的に新しくやりたいことが生まれたのも大きい。

発達障害者の楽園に書いたように、私は将来的に発達障害者を支援できるような事業をしたいと思っている。ただ、ぶっちゃけ支援はついでみたいなもので事業そのものの本筋ではない。ついでに支援できるならしといた方がいいよねくらいのものである。

ただ、先の「好きなことしかしない」に通じるが、好きなことしかしないと決めてしまうと、そのベクトルでどんどん新しいアイデアが生まれ、やりたいことが増え、やがてその一つひとつの点が一本の線でつながるのだ。こうして、今後自分が進む楽しそうな道とワクワクするビジョンが自ずと決まっていく。

今の自分は以前よりも人生の希望と期待に満ちている。好きなことに没頭し、何ができるか、何を創造できるか、どんな可能性を生み出せるかを考えるのはとても楽しい。

利益を出すことに集中していたら見えなかった世界だと思う。この楽しさ、快適さ、心地よさを知ってしまった今、以前のようにある意味で社会の模範的なストイックさを持った生き方はもうできないだろう。

変化③ 障害について考える機会が増えた

自分自身を納得させるため、私には発達障害への理解が必要だった。カサンドラ期間は、とにかく発達障害についていろいろと調べたり勉強したりした。私があんな目に遭わなければならなかった納得できる理由を探していたのだ。

Twitterの皆さんのお陰で、そのミッションは達成された。

発達障害は確かに厄介である。しかしそれは必ずしも「社会のお荷物」ではないし、ましてや人の品格や価値を左右するものではない。むしろそれがお荷物になるような社会を持続させてはいけないと思うようになった。障害についてまったくの無知あるいは無関心であった以前の自分にはなかった視点である。

障害がどうこうという話でなく私が言いたいのは、きっかけが何であれ(今回はたまたま発達障害というトピックだったが)、自分自身の視野が広がったことが重要である。

新たな世界を知り、新たな知識や情報に触れ、新たな考えや価値観が自分の中に生まれ、それにより新たな自分が生まれる。

これはまぎれもなく進化(成長や発展という言い方でも良い)だと思う。

きっかけは何であれ、経緯がどうあれ、進化には大きな価値がある。どんなトピックであれ、世界が広がれば人生はそれだけ楽しくなるし豊かになるからだ。

ハッピーエンドを作る心

カサンドラ当時の私は、まぎれもなく人生の敗者であった。発達障害という未知なるものにうまく対応できず、最終的に多くのものを犠牲にしたのだから。自分の人生に負けたのだ。

ただこの時、カサンドラ症候群に苦しみながらも、頭の片隅に「これは人生をもっといい方向に舵取りするチャンスかもしれない」という考えがあったのも事実である。

今、私は自分を敗者と思っていない。むしろ敗北をきっかけに勝ちを取ったと思っている。これからさらに大きな勝ちを取りに行こうというところだ。

確かに当時は苦しかったし家族にも心配や迷惑をかけた。文字だけでは語り尽くせない大変なことがたくさんあった。

でも、どんな経緯があろうとも、最後に笑っていれば一時の負けなど取るに足らないと感じる。今回もそうだったしこれまでもそうだった。私の人生は失敗の繰り返しだ。大切なのは、同じ過ちを繰り返さないことである。

そして、失った以上のものを最後に手にすれば結果オーライだ。

敗れること自体は問題ではない。

大切なのはその敗北を次の勝利に生かすこと。

敗北に意味を持たせること。

敗北から学ぶことだ。

敗北をバネに勝利をつかんだなら、その敗北はすでに敗北ではないではないか。敗北がネガティブではなくポジティブな意味を持てば、それはもう恥じるべき忌むべき避けるべき敗北ではないのだ。

つまりハッピーエンドにはすべてのネガティブな敗北を無効化する偉大な力がある。

最後、「良い人生だった」と言って死ねた人間が最強だろう。

私は最強になりたい。

だからこれからも敗北に意味を持たせながら生き続けるつもりである。

どこからでもかかってこいだ。

すべての敗北を食らい、人生に勝つための栄養にしてやる。

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