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アドラーと妻③

妻と課題の分離について話し合ってから半年以上が経過した。
課題の分離という概念を理解できなかった妻は、あれからことあるごとに「これは課題を分離できている?できていない?」と私に訊いてくるようになり、そのたびに回答と説明をしてきた。

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事の発端を簡単に説明するとこうだ。
キッチンで洗い物などをした際、シンク周りに跳ねた水を私が拭かないのが彼女は気に入らない。なので彼女は親切のつもりで、いつも私の知らないうちにシンク周りを拭いていた。
しかし遂に嫌気が差したのか、「どうしていつも拭いてくれないの⁉」と私を責め始めた。
それに対し、いつもの私なら謝って改めるところだが、今回はそうしなかった。なぜなら彼女の主張が理不尽だったからだ。

私は「代わりに拭いてくれていたのはありがたいが、俺はその事実を知らないし、そもそも俺の代わりに拭いてくれていたのは妻ちゃんの選択だ。不満があるなら俺に直接指摘すればよかった。それをせず、今になって俺を責めるのはほとんど八つ当たりだ」と主張した。

しかし彼女は「どうして?善いことをしたのにそんなふうに言われる筋合いなくない?」といった調子である。

私は「これは課題をしっかり認識できていないな……」と感じるとともに、アドラーが唱える「課題の分離」を思い出した。

こういった経緯で、妻に課題を分離する技術を習得してもらうため、課題の分離について二人で考察し始めたのである。

さて、その後である。

妻は言葉で課題の分離について説明しても要領を得ない様子だった。これは別に珍しいことでなく、彼女は言語から情報を理解する力にやや乏しい。その代わり抽象的なものへの解像度が高く、物事を感覚的に理解するタイプである。私にもそういうところがあるからよくわかる。

そんな彼女に有効なのは、課題の分離がテーマになるようなさまざまな局面で細切れに説明&解説していく方法だ。経験値を積んで課題の分離法を感覚的に少しずつ覚えていく反復練習である。私はこれを実行した。

実践して一か月も経つ頃には、彼女はアドラーの本を一切読むことがないまま、課題を分離する技術を感覚的に習得した。かなり高いレベルで課題を分離できるようになったのだ。見事である。

しかし、たまに彼女が課題を分離できない場合がある。そういう時は「課題をちゃんと分離してる?」と一言投げかけると、彼女は即座に「そっかそっか、これはできていないね」といった具合に軌道修正できるほどに成長した。

そうした中、こんな出来事があった。

妻が食器類を入れ終えてセッティングしてある食洗器に、私は追加で小皿を入れようとした。
妻の入れ方はあまり合理的でなかったが、私はそれをわかった上で配置を直しもせず、半ば無理やり小皿を詰め込んだのだ。案の定、一枚の小皿がバランスを崩して落下し、割れた。
ここで私は妻の食器の入れ方に不満を覚え、近くにいた妻にイライラした口調でこういった。

「今度からこういう食器はこうやって入れて?わかった?」

妻は「わかった」と答え、ひとまずこの件は終わった。

しかし私は、この時点で自分が課題を分離していないことに気づいていた。
本来なら私が食器をセットし直し、それから小皿を入れるべきだったのだ。
だが私は食器をセットし直す手間を惜しみ、その結果として小皿が割れてしまった責任を自分で負うのでなく妻に押し付けたのだ。
つまり私はイライラを自分で処理するのを拒否し、妻に責任転嫁した。
さらにそういう自覚がありながら、私は妻に甘えたのだ。
今から三か月ほど前の出来事である。

つい先日、妻と一緒に出掛けた際の車中にて、話の流れから妻がこの時の出来事を持ち出してきた。

妻はこう言った。
「ちこちゃんはあの時、課題を分離できていなかったよね?」

それに対し私はこう答えた。
「できていなかった。というより、妻ちゃんに甘えてしなかったのだと思う。謝るよ。ごめんね。ところで俺が課題を分離できていなかったこと、やっぱわかってたんだね?」

「うん」

「わかっていたなら、あの時率直に指摘してくれたらよかったのに」

すると妻はこう言った。
「もしあのとき私が率直に指摘したら気分悪いでしょ?きっとちこちゃんは私の指摘を受け入れるだろうけど、抵抗もあるんじゃない?だから時間が経ってから言おうと思ったの。そうすれば抵抗なく受け入れられるでしょ?わざわざ気分を悪くさせる必要ないもんね?」

「……人間できすぎじゃね?」

「でしょ!」

課題の分離を習得した妻。

次は私が彼女の人間力を見習う番だ。

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