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アドラーと妻②

引き続きアドラー心理学の本を読んでいるが、この本を読んでいてもっとも衝撃的なのが、私がこれまで人生のさまざまな課題と向き合いながら考え、模索し、時には痛みを甘受しつつ導き出した自分の考え方や人生観が、ほとんどそのままに言葉で描写されていることだ。

この本を読んでいて、最初は「おお、俺が自力で辿りついた答えがここに書いてある。俺は間違っていなかったんだ」という快感を覚えた。

しかし次第にその快感は不穏な感覚へと変わっていき、「これ以上この本を読むのは自分のためにならない」と本能が警鐘を鳴らし始めた。

なぜこのような感覚に陥るのか考えてみたところ、ある一つの仮説に辿りついた。

私はまだ自分の考え方や感覚が洗練されていると思っていないし、これからもブラッシュアップしたい。もっといろいろなことを実地で学んでいきたい。

しかし、アドラーという権威性のある偉人の言葉に今の自分の思考が肯定されたら「ここがゴールだ」と錯覚し、思考停止してしまいそうなのである。

「自分は正しかったんだ」とほっとするにはまだあまりに早すぎる。

こうした類の本は、実際に行動していろいろなデータを収集してから最後に答え合わせ程度で読むのが良い。なぜなら、最初に答えらしきものを本によって提示されると、その答えに寄せたデータを無意識に収集しかねないからだ。

今後、この本をどのように読み進めようか目下検討中である。

そういえば、妻と私は物事の考え方や感受性がまったく異なるが、一緒に過ごすにあたり彼女は私のことをよく理解してくれている。私と出会って考え方が(良い意味で)変わった部分も少なくないと聞く。

もしかすると私がわざわざ翻訳せずとも、彼女にこの本を読んでもらえば要点を汲み取ってもらえるかもしれない。

というわけで、彼女に読んでもらう方向で調整してみようと思う。


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