刺繍屋が障がい者施設をつくりました。

創業者である私の祖父はミシン1台で刺繍屋を始め、ゴーダEMBの基盤を作りました。
戦後まもない頃で、アメリカ進駐軍の軍服に入れるネーム刺繍を大量に受注して発展しました。
その頃、日本で初めてドイツから高額な工業用自動ミシンも輸入しました。
当時、誰もドイツ語が分からず、苦労をしながらミシン操作を研究したそうです。
時代は移り、戦後の経済の復興で大量生産の時代になりました。
そのミシンと経験が大活躍をしたのは言うまでもありません。
多くの同業者は無くなりましたが、我社は生き残りました。

父の時代になり日本は世界の先進国の仲間入りをして、刺繍は「刺繍業」という1つの安定した業種になりました。
その時期に、我社は刺繍業では日本で初めて中国に進出をしました。
当時の中国はまだまだ未開の地です。
中国生産は中々軌道に乗らず「何もわざわざ中国に行かなくても・・・」という同業者の声をよく耳にしたそうです。
そしてバブルが崩壊しました。
日本の製造業は一斉に中国生産にシフトを開始し、一足先に中国に進出していた我社は、再び生き残ったのです。

私の代になり、コロナが発生して世界中がパニックに陥りました。
我社は早々に日本生産の増強を決めて、大阪の和泉市に新工場をスタートしました。
ところが日本は慢性的に人手が不足しており、その悩みを私の知人に相談しました。
彼は100名以上の障がい者が在籍する施設を運営しています。
障がい者の可能性と共に、改めて「働くこと」について彼から学びました。

人間の幸せには4つあり。
①愛されること
②ほめられること
③人の役に立つこと
④人に必要とされること

そして②から④は「働くこと」から生まれる、という話が心に残りました。
日本の障がい者の数は人口の7%と発表されていますが、実際にはその数倍になるそうです。

労働力不足と彼らの雇用がうまくマッチングすれば、「働くこと」で人間の幸せも創造することが出来て、同時に製造業にとっても大きなチャンスになります。

彼からアドバイスを頂き、障がい者就労支援B型事業所「愛・あーる」を作ることを決断しました。

次の世代にとって、これが大きな生き残り策となるかは不明です。しかし先代、先々代を見習い、常にチャレンジ精神を忘れない様にしようと思います。

先日、この「愛・あーる」の開所パーティーを堺のAGORA REGENCYホテルで開催しました。

このパーティでは新工場の2周年、愛・あーるの開所の他に「コロナの終焉」を祝うという目的がありました。
中国工場からも幹部スタッフを招集し、約4年ぶりにグループの従業員が集まり、楽しい時間を過ごしました。

私が尊敬する納税額日本一の斎藤一人さんはこう言います。

「嫌なことは毎日やってくる、楽しいことは自分で作らないと出来ないよ、
だから皆でパーティーをしようよ」

パーティーを通じて我社の歴史と会社の目指すことを、改めて社内に共有することが出来ました。

いつまでもコロナを引きずらず、頭を切り替えて新世界でもチャレンジしていきます。
そしてこれからもパーティーをしていきます!

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