台湾旅行⑨ 二日目 突撃、真夜中のマッサージ


 夜道をさまよい歩き、ようやくホテルにたどり着いたのは時計の針が11時をまわった頃だった。

 疲れた。本当に疲れた。朝から変身写真をとり、故宮博物院を鑑賞したあと龍山寺で参拝し、中華を食べたと思ったら夜市を闊歩し、さらに行天宮でもまたまた参拝し、そんでもってその足で迷い込んだ占い横町で死刑宣告を受け、そのまた挙句に台湾の町中を右往左往してきたのだ。こんなもんもう「弾丸トラベラー」の撮影でも二日に分けるべき内容量だ。旅行というより行軍に近い。

 ふかふかのベッドの上に敷かれた乾いたシーツに身を横たえると、心地よいスプリングが身体を受け止めてくれ一気に力が抜ける。身体だけでなく意識までも、ベッドの底まで沈んでいきそうだ。一秒でも早く、このまま泥のように眠ってしまいたい。今日はもう風呂ではなくシャワーだけですまそう。何にせよ無事にホテルまで帰って来られて本当に良かった。

 ベッドに横たわりながら伸びをする私の横で、いまだ椅子にすら座らない友人が言葉を発したのはその時だった。

 「これからマッサージに行かない?24時間営業のマッサージ屋があるんだけど。」

 こいつは何を言ってるんだ、と思った。
 時刻はもうすぐ12時。いくら台湾の治安が良いとはいえ、日本よりは遙かに悪いのだ。深夜も深夜のこの時間帯に外を出歩くだなんて、不用心にも程がある。そのうえ今からマッサージに行って帰ってきて寝支度を整え寝るとなると、どう見積もっても三時近くになる。明日はまた早朝から活動するのだ。マッサージに行ったせいでかえって疲れる結果になったら目も当てられない。なによりもう、本当に疲れ果てているのだ。早く寝たい。

 ベッドにトドのように打ち上げられたままそんなニュアンスのことをだらだらと反論した私は、「どうしても行きたいなら一人で行ってくれ。私は寝ておくから。」そう結んで話を終えた。先ほど占い横町のあった地下に降りる際には、あんなに「台湾は安全!私たちは一心同体!旅の仲間!」感を出していたのに、我ながら驚くほどの変わり身の早さだ。

 そんな薄情過ぎる私の返答にも、友人は微塵も表情を動かすことはなかった。そして彫刻のような顔で「私は台湾に来たからにはマッサージを受けたい。けれどさすがに一人ではいけない。悪いが一緒に来てもらう。送迎はついてるから。」と静かに言った。

 ・・・確固たる意志!!

 死ぬほどめんどくさかったが行くことになるだろうな、と感じた。友人は牛若丸と弁慶で言ったら確実に弁慶タイプなのだ。矢を全身に受けても立ちながら死ぬタイプ。

 つまり何が言いたいかというと、一度強い意志を持つと死んでも曲げない人となりをしているのだ。ユニセフあたりに参加してアフリカの貧しい子供たちに触れ、「この子たちを救わねばならない!!」と決意してくれれば相当世界にとって有益な人物になると思うのだが、生憎ながら今それは台湾で自分が受けるマッサージに対して発揮されている。

 私が打ち上げられたトドから諦めのトドへとグレードアップしベッドをごろりごろりと転がっている間に、部屋を出ていった友人は12時半からのマッサージの予約と、ホテルまでの迎えの約束を店に取り付け戻ってきた。中国語が喋れないのにいったいどうやったんだ。弁慶のポテンシャルは底知れない。

 もうじき迎えが来ると友人にせき立てられホテルの前の通りにでた。時刻が12時過ぎるだけあって通りを走る車の数はまばらで、静かで薄暗い通りをかすかなエンジン音と共に時折ぽつりぽつりと車が通過していく様子はうら寂しささえ感じる。

 生暖かい風に吹かれ、旅愁を感じているその時、ひとりの小太りの中年男性が日本語で声をかけてきた。

 「あなたは○○(友人の名前)ですか?マッサージの車、向こうにとめています。来てください。」

 どうやらこの人がマッサージ屋の迎えらしい。にしてもポロシャツに短パンと、休日にゴルフに出かける前のお父さんのような恰好をしている。勤め人の感じが全くしない。この人は本当にマッサージ屋の従業員なのだろうか。

 少しの不安と共についていくと、裏路地にライトバンが止められていた。闇に溶け込むようにして停車しているライトバンにはマッサージ店の店名のペイントなどは一切なく、よくよく見ても通りを走る一般車との違いは全くない。車の中は真っ暗で、外から車内の様子は何もうかがい知ることができない。早く車に近づき乗るよううながすおっちゃん。ますます増大する不安。

 しかしながらもはや不安を抱くことすら面倒くさくなってきていた私たちは、考えることをやめ車に乗り込むことにした。さはれ。
 思い返せば深夜の外国で不用心極まりないのだが、とにかくもう心底疲労困憊状態で、一所で身体を休めたかったのだ。

 車内の揺れに身を任せ、うつらうつらとしていた私たちを乗せた車が停車したのは大きなビルの前だった。
 おっちゃんに促されるまま車を降りた私たちの目の前には、五、六メートルの幅はありそうな地下へと続く階段がのびている。どうやら目の前のビルは地下一階、一階、二階をぶち抜いて広々としたフロントを作っているらしく、全面ガラス張りのその室内からは巨大なシャンデリアが白金の光を道路にばらまいていた。

 なんだかもの凄いところに来たな。

 いまだ夢うつつ状態で階段を降り、入り口からフロントにはいるとふかふかした椅子に案内された。
 室内はシャンデリアの明かりで煌々と照らされ、高級そうな家具たちが当然のように鎮座している。正直マッサージ屋というよりはどこぞのクラブやキャバクラのようだ。

 大丈夫なのか。ここ。結構本気でぼったくりバー的な場所なんじゃないのか。さっきのおやじに騙されたんじゃ。仮に本当にマッサージ屋だとしても、法外な値段をふっかけられるのでは。じゃないとこんなどでかいフロントやシャンデリアができるものか。室内の調度品がそのままこの店の利益率の高さを表してるんじゃないだろうな。

 急速に眠気がさめ不安が迫る。友人を見ると同じように室内を見渡していた。いざとなったら言葉が分からないふりをしてさっさと店を出よう。ここからあの階段を上りきるまで、店員に捕まらずに駆け抜けられるだろうか。

 密かにそう決意を固めていたその時、にこにこ笑顔のフロントのおばちゃんがA4サイズの大きなパネルを手に近寄ってきた。明らかな作り笑顔で怪しさに拍車がかかる。思わず身構える私たちに向けて、おばちゃんは日本語でこう発した。

 「ココ、シムラケン、キテルヨー。」

 おばちゃんの差し出すパネルを見れば、そこには番組のロケで来たであろう志村けんが店内で穏やかな笑みを浮かべている写真がラミネート加工されていた。

 台湾で志村けんが爆発的な人気なのか、はたまた志村けんが台湾好きなのかは知らないが、この国に降り立ってからと言うもの、この「シムラケンキテルヨ」宣言を店主から誇らしげにされることは実は今までも何回かあったのだ。その度に「そんな志村けんの来訪を全面に押し出されても・・・何を目的としたアピールなんだ?一種のステータスなのか?」と疑問を抱きつつ得意の薄笑いで凌ぐ日々を送っていた。

 けれどもようやく今、その「シムラケンキテルヨ」の言葉の意味が分かった。

 この店の中で穏やかな笑顔を浮かべる志村けんの写真。それを見た、ただそれだけで目の前の霧が晴れていくように今まで私たちを包んでいた重苦しい不安が一気に霧散したのだ。

 大丈夫だ。なんせ、この店は志村けんが来ている。

 今さっきまで店を駆け出す算段をしていたというのに、急にそんなことを考えて怯えていた事自体がバカバカしくなった。いまだに料金体系の説明すら受けていないが、そんなことでいちいち不安になるなんてどうかしている。なんせこの店には志村けんが来ているのだ。おばちゃんがこちらに向ける笑顔だって、好意以外の感情が読みとれないではないか。とりあえず大丈夫だ。なんせこの店には志村けんが来ている。

 自分でもどうしてここまで特段ファンでもない志村けんに全幅の信頼を置いているのか訳が分からないが、とにかく言えるのはその時友人も私も等しく「この店は大丈夫だぜ!!なんせあの!超一流芸能人の!志村けんが来ているんだからな!!アイーン!」と、急激に安心し強気でハイテンションな状態になったという事だけだ。これが明石屋さんまやダウンタウンの写真ではこうはいかなかっただろう。他の誰でもない、志村けんだからこそなせる技なのだ。もうほとんど仏である。

 そんなわけで、志村けんの力により笑顔を取り戻した私たちにおばちゃんが料金の説明をしてくれた。

 どうやらこの店は、足裏、かかと削り、顔の角質取りなどなど、基本的なマッサージの他に追加で様々なプランをつけられることが特徴らしい。追加分のマッサージは基本マッサージを受けている最中に別の施術師さんがきて同時に行ってくれるので時間もかからないしリッチな気分を味わえますよ!と猛プッシュしてくる。ひとまず台湾と言えば足ツボのイメージが強かったため、足ツボマッサージのみ追加することにした。

 施術室まで案内してくれるお姉さんの後をついて行くが、廊下はオレンジ系の薄明かりがついてはいるものの俄然暗い。そのうえ周囲にある部屋から暗闇の中、ざわめく人の気配とともに、中国語での話し声が聞こえてきて再び不安が頭をもたげる。

 ようやくついた部屋は友人と私の二人部屋となっており、各々リクライニングチェアに寝そべってマッサージを受ける形になっていた。
 ひとまずマッサージを受けるためにこれに着替えるようにとの言葉と浴衣を残し、部屋を出ていくおばちゃん。渡された浴衣に袖を通すべく取り上げると、そこには無数のバカ殿のキャラクターがプリントされていた。

 ・・・また会ったね。

 心の中でそうバカ殿に語りかけながら浴衣を着る。
 にしてもこのマッサージ屋、志村けんが共同経営者か何かなのか?おばちゃんが見せてくる写真くらいならまだしも、ここまでガッツリ志村けんを商業利用して、ロイヤリティ的なものはきちんと払われているのだろうか。人のいい志村けんはもしや無料で使用させているのでは?けれどもここまで志村けんの関与を全面に押し出したこのマッサージ屋で詐欺に近しい不祥事が起きてしまったら、志村けんまで何かとばっちりを受けることになるのではないか・・・?

 度重なる志村けんとの再会に、知りもしない志村けんのロイヤリティ事情や危機管理の心配までしてしまう。人生でここまで志村けんについて思い悩んだ日があっただろうか。

 浴衣に着替え、マッサージのお姉さんに指示された通りリクライニングチェアに横になっていると、急に入り口からぞろぞろと人が入ってくる。

 なんなんだ!?

 慌てて上体を起こすがお姉さんには焦った素振りは一切ない。どうやらこの人たちはこの店の関係者のようだ。

 ぞろぞろと入ってきた人々は私と友人の周りをそれぞれ取り囲み、「足の角質ケア、ついかしないー?日本だと高い、台湾安いよー。」と勧誘を始めだした。

 なるほど、この人々はそれぞれが追加プラン担当の施術師なのだな。そう理解して即座に「いらないです。」と断るも勧誘はなおも続く。「角質、きもちいいよー。足、つるつるになるよー。」大分食い下がってくる施術師。断り続ける私。
 施術師達の給与は歩合制なのか、勧誘自体はかなりしつこい。そして回遊魚さながらに入れ替わり立ち替わり様々な追加プランの担当者がやってきてまた新たな勧誘が始まるのだ。

 追加プラン自体、日本より安いとはいえそのお値段は2~3千円程度。正直、断るのが苦手な人がこの店に来店してしまった場合、あれよあれよと不要なプランを追加された挙げ句、当初の予定を大きくオーバーした金額を請求されてしまうのが目に見える。ノーと言えない日本人は生き残れない空間なのだ。
 ともあれあらゆる勧誘を断固として断った私たちは、リクライニングチェアに目をつぶって横たわり、ようやくマッサージに専念することとなった。

 このマッサージ、友人は心地よくて眠ってしまったといっていたのだが、私は正直に言うと、もう、痛くてひたすら「耐える」一択の時間を過ごしていた。
 だってもう痛いんだもの。最初に「万力かな?」と思うくらいの力でマッサージされた時に「痛いですか?」と聞かれた。そして私は「痛いです。」と答え力は少し弱まった。そしてまた「痛いですか。」と聞かれ「痛いです。」と答える私、若干弱まる力。けれどもそのやりとりを何度か繰り返しているうちに「痛いですか。」の問いかけに、「これ以上痛い痛いと言うのもなんか申し訳ないな。」という謎の遠慮が働き、いまだ痛いにも関わらず「大丈夫です。」とあろうことか答えてしまったのだ。

 そしてその結果、筋繊維の筋を断裂させるため骨に擦りつけているとしか思えないマッサージは延々と続き、私はひたすら「ポケモンでコクーンっていたな・・・。ずっと『固くなる』の技しか繰り出せないサナギみたいな奴。あいつってこんな気持ちだったのかな・・・。」といもしないコクーンの気持ちに思いを馳せ続けていた。

 一通りのマッサージが済んだ後、肩付近を揉んでいたおばちゃんから仕上げと言わんばかりにうつ伏せの体制にさせられた。
 背中の浴衣をはだけられると、そこに次々と大量の蒸しタオルを上にのせられる。十数枚くらいはあっただろうか。この蒸しタオルがもう、冬に入った小料理屋で渡されるおしぼりのような絶妙な温かさ!最高に心地いい。

 もうこれだけでいいわ。蒸しタオルの細かな蒸気がじんわりと肌に染み渡る。そういえば私は猛烈に眠かったのだ。このままうとうとと眠ってしまいたい。そんな温泉にでも入浴したような温かな気持ちになっていたところ、その背中におばちゃんがよいしょと乗り出した。

 内蔵が飛び出る!

 一気に覚醒し息をのむも、どうやら天井にある手すりをつかんで私にかかる体重を調整してくれているらしい。私にかかる圧力は、内蔵が飛び出ない程度のそこそこのものにとどまった。 

 むぎゅ・・・むぎゅ・・・。

 背中あたりを中心に、各所を踏み続けるおばちゃん。
 プロであるおばちゃんは完璧に体重をコントロールしてくれていると頭では分かってはいるのだが、いかんせん心はそうはいかない。身体の各所におばちゃんの足が乗り圧力がかかる度に、肋骨が粉砕されるのではないかという恐怖とともに少しでも自分の身を守ろうと自然と力が入る。

 それにしても先ほどから痛みを恐れる余りに全身に力を入れ続けていたため、もはやどこに力が入っているのかすら分からなくなってきた。本来マッサージとは全身の力を抜いてリラックスして行われる、気持ちのいいものなのに。だとしたら今のこの、全身を讃岐うどんさながらに踏みしめられ、それをガチガチに力を入れてひたすら耐え続けている状態はなんというんだ・・・。

 どれくらい時間がたっただろう。いい加減マッサージの痛みにもなれてきた頃、唐突にそれは始まった。

 「パン!パパパパン!パンパン!」

 何かの手拍子のようなリズミカルな音が、今まで静かだった室内に響きわたる。目を開けるのも億劫だが、それにしてもなんなのだろうこの愉快なリズムは。誰かがフラメンコでも踊っているのか?

 次の瞬間謎は解けた。

 「パパパン!パンパン!パパパン!」

 まるで呼応するかのように、今まで私の足裏マッサージをしていたおっちゃんが、私のふくらはぎをリズミカルに叩き出したのだ。

 うへぇええええー。なんなのぉおぉー???

 ぎょっとし目を開けるとそこには相も変わらず私のふくらはぎをアフリカの打楽器さながらに叩き鳴らしビートを刻む真顔のおっちゃんと、同様に友人のふくらはぎをリズミカルに叩くこれまた真顔のおっちゃんの姿があった。本気で意味が分からない。

 「パン!パパパパン!パパン!ッパーン!」

 いつしか二人のおっちゃんは叩くリズムを完全に合わせ、室内の二つの音は一体となっていた。

 こいつら・・・ひとのふくらはぎでセッションしてやがる。だいたいこの動きで何らかのコリがほぐれるとはとても思えないんだけれど、何を目的とした動きなんだこれは。にしてもまさか、人生においてふくらはぎで友人とセッションする日が来ようとは・・・ほんと、人生って何が起こるか分からんもんだな・・・。

 鳴り響くビートのなかまだ見ぬ人生の可能性を悟りつつ、台湾2日目の夜はしんしんと更けた。

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