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シンガポール旅行⑤ 二日目 突撃ナイトサファリ

 疲れ果てた私と友人は、半ば眠りながらバスに揺られていた。時はシンガポール旅行二日目夕刻。ホテルから出発したバスは、数十分の道のりを経てようやく目的の場所に着こうかとしていた。  
 市街地から大きく離れ、近代的なビル群の代わりに熱帯雨林のような樹木が広がりだしたその場所に、ふいにロッジは現れた。
 木で作られたエントランスロッジの正面には、この場所を象徴する大きなマークが掲げられている。真っ黒な暗闇の中、青く光る動物の目。ここが今夜の目的地、ナイトサファリだ。

 ナイトサファリとはその名の通り夜の動物園で、野生の習性などを利用して檻のない状態で飼われている動物たちを専用のトラムに乗って見て回るものらしい。旅はフリープランをモットーとしている我々だが、このナイトサファリは交通の便がすこぶる悪いためホテルからそのままバスに乗れるオプショナルツアーに参加しているのだ。  

 バスから降りた我々はJTBのガイドさんに導かれるままにロッジの前まで移動し、手渡されたナイトサファリマークがついたシールを服に貼る。どうやらこれが許可証代わりになっているらしい。らしい、と言ってはいるものの、正直説明はろくに聞いていないのでよく分からない。ガイドに全て身を任せ、安心しきって思考停止状態だったのだ。  
 エントランスから入ったナイトサファリは想像よりはるかに近代的で、動物園というよりはUSJのようなテーマパークに近い雰囲気だった。
 テーマパークに近いのは何も雰囲気だけではない。サファリ内の物価もただでさえ高いシンガポールの市街地価格をさらに1.3倍程に乗じた夢の国価格になっていた。園内で売っているお土産もどれもUSJに売っていそうなラインナップで、ナイトサファリマーク入りのエコバックが千円以上、マグカップに至っては二千円越えと強気の価格設定の品がずらりと並ぶ。当然ながら私も友人も何一つとして土産を購入できずに終わった。  

 メインイベントのトラムに乗ってのサファリツアーまでにはかなり時間があるため、土産を買うこともできずに暇を持て余した私と友人は敷地内にあるボンゴバーガーというハンバーガー屋で夕食をとることにした。  
 友人の事前調査によると、ナイトサファリでは7時近くになるとファイヤーダンス的な、なんだかよく分からないがシンガポールの民族ダンス的なものが始まるらしい。そしてその鑑賞に、このボンゴバーガーのテラス席がうってつけらしいのだ。
 いそいそとボンゴバーガーのカウンター前に並ぶ私と友人。ボンゴバーガーの価格設定も土産物屋に勝るとも劣らぬ強気設定で、掲げられているメニュー表によるとハンバーガーにポテトのセットでお値段およそ千五百円だった。  
 もういい。落ち着こう。ここはそういうところなのだ。さっき買ったこのオラウータンの人形がなぜかストローと一体化しているマンゴージュースだって七百円くらいしたし、それから見ると固形物のセットで千五百円なんてむしろ安いくらいだ。そうだろ?ここで値段に文句を言うのはディズニーランドに来ておいて「ポップコーンまじ高くない?」などと難癖つけるに等しい愚行だ。無粋だ。正直ディズニーよりさらに高い気がするけれど。なんにせよ、なまじ貧乏だからついつい値段を凝視してしまうがもうやめよう。心を無にしよう。無に。

オラウータンの背中から飲む方式の
マンゴージュース。細い。

 価格に対する感受性を完全に殺し、気を取り直して目の前のボンゴバーガーにかぶりつく。肉厚で想像以上に大きいため一口でがぶっといけずに苦労するが、いかにも海外のハンバーガーを食べているといった感じだ。アツアツだし、味も普通に美味しい。向かいで食べている友人も苦戦しつつも満足そうだ。

「美味しいじゃん!これ!」
「美味しいよね!圧倒的価格だけど」
「いや、圧倒的価格なだけあって美味しい」  

 値段への固執を捨てきれぬまま付け合わせのポテトをチリソースに付けてチビチビ食べていると、徐々に周りの席が埋まってきた。ショーの開催時間が近づいているようだ。心持ち周囲の人々も、落ち着きなくそわそわしているような気がする。  
 開始時間を告げるらしいアナウンスの声がすると、ドコドコと鳴る太鼓の音をベースにいかにもな民族音楽と謎の歌声が聞こえてくる。すると奥から、これまた民族衣装っぽいものを着たムキムキの兄ちゃん二人が登場した。手には棒と酒瓶のようなものをもっている。どうやらこの二人がこれから始まるファイヤーダンスの主役らしい。  

 リズミカルな音楽の流れる中、やおら棒に火をつけ両端に火のついたバトンのようにすると、踊りながらめちゃくちゃに回す兄ちゃん。そしてめっちゃ火を吹く。すると隣の兄ちゃんが火のついたヌンチャクのようなものを踊りながらめちゃくちゃに回しだす。そしてめっちゃ火を吹く。とにかく二人ともめっちゃ火を吹く。踊りながらも火を吹く。いくら訓練してるからって声帯とか大丈夫なのかな?と、こちらが心配になるほど火を吹きまくる。正直無料だからとなめきってたが、凄いクオリティだ。めっちゃ火を吹く。

 ただ、どうにも気になる事が一つだけあった。この兄ちゃんたち、二人とも物凄い無表情なのだ。二人ともタイプの違ったワイルド系イケメンでそれはキャスティングありがとうといった感じなのだが、こういったショーにありがちな「ほぉ~ら!今からめちゃくちゃ火を吹くぜぇえ!?(おどけた顔)」といったドヤ感が全く存在しない。かといって別に嫌々やっているようにも見えない。早朝工事現場に来た土方の兄ちゃんと同じくらいのテンションで踊り、つるはしを振るう感覚で火を吹いている。色白の方の兄ちゃんにいたっては踊りをところどころ忘れているらしく、ちらちらと隣を確認してはふわっとした動きでごまかしているふしさえ見える。  
 このテンション。まさか学生バイトか?けど、学生がこんな火を吹くような危険行為(?)許されるのだろうか。そもそも火を吹くにはなにか許可とかが必要なのか?火吹きのプロが存在するものなのか?  
 私の脳内で渦巻く疑問とファイヤーダンスは時と共に激しさを増し、途中前列に座っていた一般男性をも巻き込み大盛況の中でショーは終わった。  

 時間ギリギリまでダンスを楽しんでいた私達は小走りで集合場所へとたどり着いた。ちょうどガイドさんが人数を数えているところだ。いよいよこれから、本日の最大イベント、ナイトサファリツアーが始まるのだ。沸き立つ心と共に、ガイドに導かれ園内奥にあるトラム乗り場へと向かう。  

 トラムトラムと言ってはいるものの正直トラムが何なのか全く知らなかったのだが、実際に見たトラムはゴルフ場などで移動の際に用いるゴルフカートのバス版、といった様子だった。あのゴルフカートが四人一掛けくらいの座席でバスになって、何台も何台も連結されている。それがトラムだった。  
 ガイドさんに案内され四人一掛けの座席に腰かける。私は左から二番目、そして友人はちょうど一番左端の席だ。出発の時間まで、トラムで観覧する際の注意事項や案内事項がアナウンスされている。カメラ撮影はご連慮願います。動物たちは園内で自由に過ごしておりますので、トラムから触れられる程の距離にくる場合もございます。

 「…ふふっ…」  
 アナウンスを聞きながら、突如として友人が笑い出した。  
 「どうしたん?」  
 訝し気に聞く私に対し、なおも笑いながら友人は答えた。  
 「いや、ここに座ってみ?思った以上に、完全にないから」  
 「完全にない?」  
 「側面がね。側面がもう完全にない。剥き出しだから。本気で走り出したら落ちそうで怖いのと、それとね、ふふっ…動物が近くに来たら…ふふっ…間違いなく…ふふっ…食われる…」  

 なにがおかしいのか、『間違いなく食われる』という状況がツボに入ったらしい友人は話し終わってもなお笑い続けている。私の方はというと、正直「食われることがあっても端に座る友人からだろう」という安心感があるため全くと言っていいほど恐怖は感じていなかった。
 「大丈夫じゃない?なんか高低差?とか動物の習性?とかを利用して、トラとかライオンとかはここまで近づけないようにしてるんでしょ?いざとなったらこの天井に着いてる緊急事態ボタンを押したら助けがくるらしいし」  
 私がアナウンスで案内されたばかりのトラム天井に設置されている緊急ボタンを指さすも、友人は半笑いのままだ。
 「いやいや、トラにだって個体差はあるじゃん?本気を出したら2メートルの高さくらい飛び越えられるよってタイプのトラも、多分いるじゃん?それにさ、仮に、仮にトラがトラムから剥き出しの私をがぶーっと食べ始めたとして、『わぁー、大変だよぉー、ボタン押さなきゃ…』って、ボタンを押した時点でもう…手遅れやろ。下半身くらい無くなってるわけだから。」  

 ほんとその通りだ。  

 そう思ったが口には出さなかった。仮に友人の下半身が無くなってもその時はまだ私は上半身も下半身もあるのだ。そして友人の上半身が食われている頃には、多分助けがくる。

 「ふふっ…だってもう、自分が腹減ってるトラだとして…こんなに人間がぞろぞろと剥き出しのトラムに乗ってやってくるんだから…ふふっ…こんなもんもう…回転寿司…」  

 友人の不吉な予言と共に、ようやくトラムは動き出した。  
 トラムは自転車程度のスピードで、サファリ内をゆっくりと走っていく。サファリ内を一周するまでに三~四十分はかかるらしく、動物が住むエリアにに近づくと歩くくらいにスピードダウンし、それぞれの動物についての解説が始まるのだ。  

 そして、あれだけ難癖をつけておいてなんだが、結論から言うとすごくよかった。  
 動物たちは広い敷地の中での放し飼いのような格好のため、「むしろ動物園で見た方が近かったのでは?」という距離のものの方が多かったのだが、それでも夜の暗闇のせいか檻がないせいか、まるで本当に冒険にきて、野生の動物を覗き見ているような気持になれたのだ。通常動物園で動物を見る際に否が応なしに発生する「檻狭いな…せっかくライオンに生まれてきたのに、こいつの人生って一体…」というような余計な感慨がほとんど入らないため、純粋に動物を見ることを楽しめる。  

 薄闇の中に白い模様を浮かび上がらせながらバクがもそもそと動いたり、ライオンが砂の上にごろりと転がっている様子を見ると、なんだかもう、「おお!来たね!」という気持ちになる。何が来たのか、どこに来たのか自分でも分からない。が、動物好きな人間ならばとにかくワクワクすること請け合いだ。写真撮影が禁止されていたため写真が一枚もないのが残念だが、ここではもう、いい写真をとろうとフィルター越しに試行錯誤するよりも、生の動物を見ることをとことん楽しむことの方が正解のような気もする。  
 心配していたトラ対策も、エリアごとにライフルを肩にかけた警備員らしき人が立っており、「あぁ、いざとなったらこの人がくるから大量虐殺は免れるな」という半端な安心感を与えてくれた。  
 私達はその後の動物ショーに行っていたので体験できていないのだが、どうやらナイトサファリにはワラビーやハイエナ等の棲むエリアを徒歩で見て回るコースもいくつかあるらしく、時間と体力に余裕があれば夜のサファリ内をじっくり歩いて回るのも間違いなく楽しそうだ。ついでにいうなら私達が行った動物ショーの方は本当にどこにでもあるような動物ショーだったので、正直わざわざここで行く必要はなさそうだ。

 帰りのシャトルバスに乗り込んだ私と友人は口々に感想を述べながらも早朝からの疲労にのまれ、気付けばうつらうつらと眠っていた。シンガポールの移動手段は主に地下鉄だったため、早朝から常に荷物を抱えて歩行し続けているような状態だったのだ。このナイトサファリの予定ですら、行きのバスの中の時点では「動物が見れる」というよりも「やっと座って足を休められる」という喜びの方がはるかに勝っていた。
 そんな極限状態の我々を乗せて、本日最後の目的地に向けバスは緩やかに走り始めた。

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