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【自己紹介③】アルコール病棟退院前の『酒歴発表』で娘の私が話したこと

前回の記事の続き。


猛スピードで転落していった母の生活は、可愛い孫の晴れ舞台も大好きなアイドルのコンサートも、酔って記憶のないまま過ぎてしまいます。
アポ無しでアパートに行けばお酒の匂いをプンプンさせてフラフラ歩いているくせに、呂律の回らない口で「飲んでない」と言い張りました。
酔っ払っていない母に会うことがほとんどなくなりました。

私の肝臓をあげてでも生きていてほしいと願ったのに、このままでは泥酔して転んで頭をうって呆気なく死んでしまうかもしれない。
あんなに痛い思いをしてもお酒を飲まずにいられないなんて病気なのかな?

やっと私がアルコール依存症と向き合う決心がつきました。

アルコール依存症について勉強していくうちに、自分が共依存になっていたことにも気付かされました。
意志が弱いだけの人だと思っていたのは間違いで、病気がそうさせているんだと思えるよいになりました。

「母」を嫌いになりそうだったけど、「母のアルコールに依存している所は嫌い」と変わっていったし、
どういう対応をするのが良いのかなども分かってきて、『本人が自分を病気だと認めて治療したいと思う』スタートラインにやっと立てたところです。

この病気は家族の病だといろいろな面で言われていますが、正しくそうだと実感しています。
家族の支え無しで克服できるほどの強い人なら、そもそも依存症なんてならないのかもしれません。

一度や二度入院しただけで『完治』するなんて都合の良い想像をしていたのも大間違いで、一生断酒という治療をし続ける病気なのだということも知りました。
実際 母も、一度目の退院をしてから3ヶ月ほどで再飲酒をし、少しずつお酒をやめている期間が短くなってきて、最終的には連続飲酒からの鬱になって二度目の入院となりました。

今回の入院になるまでは本人だけではなく周りを大きく巻き込む問題となっていて、目を離すことが不安で不安で、入院してくれた時は本当に心から安堵しました。
母が病院に居てくれてる3ヶ月間は、ここ数年でいちばん平和に暮らせたような気がします。
ずっとこの病院に居てくれたら…と正直よく思いました。


私には夫と子供がいて、最優先で守りたいものは子供なので、その優先順位だけは何があっても崩さずに退院後もサポートしていこうと思います。


私は、親から子への無償の愛はあるけれど子から親へは無条件ではないと思っていて、
母のことは大切だし助けたいけれど、そのせいで私の子供も迷惑を被る形になるなら全力で逃げるつもりです。

そうならないように、退院したらまずは保留にしていた自分の問題を片付けて下さい。
それから、1人で抱えきれないほど大きくなる前に頼って下さい。
嘘も隠し事もせずに話してほしいです。

死ぬまでアルコール依存症と向き合って、断酒し続けて、長生きしてください。



これが、2024年6月時点での私の正直な気持ちだった。
母を信じて支えたいと思っていた。

結局、ダメでした………続く

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