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複雑な家庭環境

私の生い立ち①

あれは三年前の秋だった。
今思えばコロナと共に、私の人生にも不穏な空気が流れ始めていた。
予兆はあったのだが残念な事に、人と言うのは後からになってみないとその事に気付かないものだ。

三年前の秋の夜、外は雨が降っていた。
閑静な住宅街の雨の夜に、私は実家の玄関の外で大きな声を上げて泣いていた。想像して欲しい。もう中年に差し掛かる女が、雨の夜に濡れながらわんわんと泣いているのだ。もうそれだけで恐ろしく、普通じゃない事が伝わるだろう。あの日、私の砂の城が壊れたのだ。

私は田舎の裕福な家庭に育った。
父は代々続く医者の跡取りで、母は専業主婦。大きなお屋敷に住み、庭にはブランコがあり、犬もいた。外車が常に何台かあり、運転手や家政婦もいた。家にはお金の話をしに来る人、銀行やデパートの担当者が出入りするような、一見華やかな環境だった。
ここだけ見れば夢の世界だ。おとぎ話がハッピーエンドで閉じ、続編が無い理由を私は分かる気がする。

実際はと言うと、とても複雑な家庭だった。
父は結婚が2回目で、前妻との間に男の子が2人いた。彼らは我が家から車で1時間半くらい離れた祖父母の家で暮らしていた。彼らの母親はいたものの、また別の街で暮らしていた。
祖父母からしたら兄達は、医者の跡取りになるはずの子なので大切なのだ。しょっちゅう我が家に来ては「あの子達が可哀そうだ」と嘆いて帰った。
兄達はときどき父に会いに来たし、前妻もお金の請求に来たりしていた。嫌味を言う姑や腹違いの子供はともかく、前妻まで来る環境は私の母にとっては穏やかでなかっただろう。
それでも私にとって兄は優しくて大好きな存在だったし、祖父母に嫌がらせをされた覚えはない。

長くなったので、続きはまたにしよう。
私の気の向くペースでかくので、おそらく週に1回くらいだと思っていて欲しい。

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