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【書評】『日の名残り』カズオ・イシグロ【読書感想文】

執事スティーブンスは、主人に許可を貰い旅に出る。
その渦中、長年使えたダーリントン卿との思い出を回想する。


久しぶりに凄まじい作品を読んだ。
カズオ・イシグロ作品を読むのはこれで三作目なのだが、そのどれもが凄まじく良いので、この作家は傑作しか書けないのではないかと思ってしまう。

内容としてはあらすじの通りなのだが、物語を通じて常に高貴さが漂い、英国の独特の雰囲気が感じられる。
その上で、複雑なテーマを題材として取り扱い、読者に考える事を促すという、まさに文学作品の真骨頂といったところだ。

さて、このような作品を前にして、エピソードに対するくだらない感想を言うのも相応しくないと思うので、今回は、本作に散りばめられた幾つかのテーマについて少し語っていこうと思う。
例えば、スティーブンスは回想の中で、「偉大な執事とは何か」という議論を好む。
そこで、執事に必要な資格として品格を挙げる。

さて、今作を読むにあたって、自らも未熟ながら品格について少し考えてみた。
そこで思いついたのは以下のようなことだ。
品格とは、他者との関係性の間に規定される概念であり、一番関連性のある言葉は「配慮」ではないだろうか。
これは、人に対する配慮だけではなく、色々な物事への配慮、即ち思慮深さとも密接に関わっている。
では配慮とは何なのかと言えば、簡潔に言って、気を回す事である。
しかも、自分以外の他者(≒世界)に対して気を回す、そういった行動から生まれるものが品格ではないかと考えた。

しかし、本作で示されるスティーブンスの父親の行動は、このような表面的な言葉の定義で解釈していいものなのか考えものである。
曰く、父親のエピソードは以下の2つ。
1つ目は、屋敷に来た客達がドライブする最中、下卑た真似をし、父親の雇人をも侮辱し始めた所、車を停め、毅然と対応した話。
2つ目は、長男を犬死させた指揮官が客として訪れた際、態度を変えず最良の対応を貫いた話。

これをスティーブンスは、「職業的あり方を貫き、それに堪える能力」として評価した。
確かに、父親がこの姿勢に当てはまるのは言うまでもないが、これだと2つの疑問が生まれる。
1つは、品格を必要としない職業において、このような軸で評価は出来ないのではないか。
2つは、そもそも執事における職業的あり方とはなんであろうか。

それを踏まえて考えてみると、指揮官が訪れたエピソードでは、確かに雇人の要求を満たすという点において、執事の職業的あり方を満たしているのだろうと考えられる。
しかし、ドライブのエピソードはどうであろうか。
これは一見すると、客の反感を買う行為であるのだが、何よりまず先に雇人の名誉を守る為の行動でもあり、そうしてみると、やはり職業的あり方を貫いていると見える。
しかし、それだけではない。
このエピソードは憤怒に基いているものではない。
ただ毅然とドアの前に立っていただけである。
声を荒らげたり舌戦を交わしたりしたのではないのだ。
では、ここには何が伴ったかと言うと、やはり私は主人の尊厳への意識、もっというと配慮だと思うのだ。
自らも下卑た真似をし格を落とす事なく、更には相手を怒らすのではなく、相手に内省を促すのであるから、見方によってはこの客に対する配慮でもあるかもしれない。
少なくとも、思慮深いのは間違いない。

こうして見ると、今作は配慮の元にあるもの、つまり心の余裕というものが伺え、更に、心の余裕からの配慮、そこで生まれる品格、この3つが常に雰囲気として漂っている。
特に語り手のスティーブンスがそれに当てはまるが、それだけではなく、この英国の雰囲気全体に高貴さが感じられるのだ。

しかし、今作はこの品格というものを無批判に礼賛することもない。
最終的には英国紳士が陥った失敗について触れられる。
つまるところ、その当時確かに社会に存在していた雰囲気というのを懐古的に描き、その感動を煽るだけではなく、なぜそれが淘汰されたかも含めて描くのだが、しかし、これはいっそうノスタルジーを掻き立てるのに貢献しているのだ。

そして、『わたしを離さないで』にも共通するのだが、今作は独白の形式を取っている。
その事により、出来事は全て過ぎ去りし事として描写されるのだが、これによって、読み手は安直な感情に突き動かされる事無く、一つ一つを吟味して読み進めていく事になる。
実際に、出来事というのは、起きたばかりの時は考えもあまり沢山思い浮かばないが、時間が経つにつれ冷静に見つめ返せるようになるように。
この構造は、個人的には、カズオ・イシグロ作品の素晴らしさである、思慮深い感動を産むひとつのキーではないかと思う。

そして、一度、記憶となったものは、感覚的なものになり、イメージ的なものになり、そしてその時の思いが強く付随する。
これは、そもそも印象が強く残っていない出来事は、記憶として残らないからだ。
人は皆、記憶というものが常に情緒的で感傷的なものだという事を知っている。
本作はその例に漏れず、スティーブンスの追憶への共感が止まらなくなる事により、彼の情緒的な思慮をそのまま追体験出来るのだ。
まさに今世紀を代表するといっていい名作家、カズオ・イシグロのなせる技であるといえる、素晴らしい名作であった。


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