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ここは編集者として生きる道。夢を叶えて思うこと。

僕が大好きな北海道を去って東京に就職したのは、出版業界に入りたかったからだ。出版社の就活はとても厳しくて、かなり苦労した。僕は小説を読むことが好きだったので、総合出版社と呼ばれる会社と、文芸版元と呼ばれる会社を中心に受けたのだが、それはそれは長い道のりだった。…というのは語ればいくらでも語れるが、またそれを知りたい人が現れたときに話したいと思う。
特に優れた能力を持っているわけでもないが運よく拾われて、次の三月でもう社会人生活も四年になる。過ぎてみればとても早い。

同期の中でもかなり異動が多かったので、ウェブメディア、営業、文芸編集者とすでに3つの部署を経験している。それぞれに楽しいこともあったし、それなりに辛いこともあった。いずれにしても、よい先輩に出会い、たくさんの学びがあった。
今は文芸編集者として作家と仕事をする毎日なのだが、原稿をもらってゲラにして、雑誌の形に整えていく作業は楽しい。憧れの作家にも会えた。作家ではない人にちょっとしたエッセイを書いてもらったりと、自由にやらせてもらっている。
ただ、就活生の頃から薄々わかっていたのだが、僕のような人見知りにはかなり辛い仕事でもある。〇〇賞の受賞パーティーなんかに行って他社のベテラン編集者に混じって作家と話し、自分を売り込んで覚えてもらい、原稿をもらう…編集者の仕事とはやはりそういった社交の場とは無縁ではいられない(全然できていない)。どれだけ仕事が溜まっていても、夜中まで続く会食はあるし、作家に原稿の感想を伝えるのもなかなか神経を使う仕事である。
いつもは優しい先輩編集者が、モードを切り替えて作家と関わっているのを見て、自分はこうなれるだろうかと思う。いや、もっと正直に、正確に言えば、自分はこうなりたいだろうか、と思うのだ。

例えばパーティーに駆けつけた夕刻の高級ホテルで、例えば深夜の銀座のバーで、例えば明け方のタクシーの中で、東京の街を見ながら思う。今、札幌の空気はどんな匂いがするのだろうかと。
札幌で就職して、生涯を北の都で過ごすという道もあったのだ。でも、自分でこの道を選んだ。容易ではなかった就活を経て、会社では同期にも同僚にも恵まれた。けれどどうして、何か満たされない思いが拭えない。
「小説が好き」という気持ちが揺らぎ、知らない人たちの輪に入っていくことへの苦痛の気持ちばかりが膨らむ。先輩編集者が僕を作家に紹介するときの「期待の若者なんです」「文芸志望の20代ですよ」という言葉に、毎回少し、胸が痛い。

就職してからも毎年数回は札幌に行っている。僕はただ、現実逃避の手段として札幌を使っているだけなのだろうか。
「なんでそんなに札幌が好きかね」
と札幌育ちの友人にも言われる。今はただ、水が合うからとしか言えない。
けれど、それがもっと明確に言語化できたときに、僕は札幌への移住を決意するかもしれない。あるいは、東京で編集者として生きようとこの生活を受け入れるのかもしれない。

ステラプレイスの館内放送が、狸小路の喧騒が、快速エアポートのアナウンスが、(再)上京から四年経っても頭に聞こえてくるとは思わなかった。みんなすごいな、ほんとうに。現実を受け入れて、暮らしているんですね。
僕はまだ、学生気分の抜けない甘ったれだと言われても、今はもう少し考えさせてほしい。自分がどこで生きていくのか。それは僕にとっては、お金よりも仕事よりも、もしかしたら大切なことかもしれないのだから。

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