脚本:深淵の草双紙
●登場人物
小泉 七緒<こいずみ ななお> (25)
高木 環 <たかぎ たまき> (23)
佐伯 一郎 <さえき いちろう> (63)
■喫茶店
午後の喧噪に包まれている店内。
陰鬱な雰囲気の若い女性、小泉七緒がコーヒーを飲んでいる。
その片手は何やらテーブルに置かれたバッグの表面を撫でており、七緒の表情は愛しそう。
入り口のベルが鳴り、七緒より若く快活そうな女性の高木環が入ってくる。
環「小泉先輩、お待たせしました!」
慌てて七緒の対面席に座る環。
七緒「私も今来たところよ、環ちゃん」
環、店員に「ホットコーヒーで」と注文しながら。
環「先輩と二人きりなんて久しぶりですよね~。お互い結構忙しくなっちゃったから」
七緒「そうね。ブームもあるけれど、お互い需要も被っちゃってるから」
環「戦場ですからね――女性怪奇作家の世界も」
意味深に笑みを返す七緒。
環「それで話したいことって何です? 新ネタの情報交換とかですか?」
七緒「似たようなものね。それとちょっとお願いごとがあって」
環「お願いごと?」
七緒「ええ、まず先に話をさせてちょうだい」
■田んぼに囲まれた路線を往く電車
T『数か月前』
■車両の少ない電車内
一人で窓際席に座り、外を眺める七緒。
七緒M「『それ』を紹介してくれたのは、世話になっている編集部の編集長だった」
灰色の雲に覆われた、薄暗い曇り。
七緒M「『それ』を保管しているのは編集長の親類で、A県の旧家らしい」
手元のメモ帳に何やら手記のようなものを残している七緒。
七緒M「『それ』はいわゆる呪物の類とは異なる代物なのだが、私のように怪談を蒐集する者にはとても重要な取材対象だった」
メモ帳に書いた字を凝視する七緒。
『新発見の妖怪草双紙について』と書かれている。
■駅
到着する電車、人気のないホームに降り
立つ七緒。
改札を出ると、そこには初老の男性、佐伯が立っていた。
佐伯「人気怪奇作家の小泉七緒さん、で間違いありませんかね」
七緒「泣かず飛ばずで人気はありませんが――佐伯さんですね」
頷く佐伯。
■A県S村
田園だらけの寂しい寒村、駅を出て歩く小泉と佐伯。
七緒「すみません、突然取材をお願いして……こうして案内まで」
佐伯「いえいえ、構わんです。あれがどういったものなのか、調べてもらうだけでも助かりますんで」
七緒「……本当なんですか? 世に出ていない、妖怪物の草双紙だなんて」
佐伯「ええ……あれは曾祖父が決して家から出さなかったそうで。そうそう古いものではないはずなのですが」
何やら言いあぐねている佐伯。
七緒「最近になっておかしなことが続いている、のですね。編集長に聞いています」
佐伯「…………彼にも親戚というだけで、面倒を押し付けてしまいました」
七緒「編集長も仕事ですから。それで、おかしなことと言うのは……」
佐伯、躊躇しながらも頷く。
× × ×
佐伯邸・数日前の夜。
古い屋敷、和室の奥にある金庫。
佐伯N「草双紙は私が管理する金庫で、厳重に管理しているのですが……」
トイレに起きた佐伯が、部屋の前を通りかかると。
開いた襖の向こう、カリカリ、カリカリと金庫の中から音が。
× × ×
佐伯「毎晩、中から音がするのです。まるで生き物が引っかいているような」
七緒「音……ですか」
佐伯「他にもゴソゴソと何かが歩き回るような音も……その都度確認しましたが、中には草双紙以外には何もないのです」
七緒「なるほど……よくある怪奇現象ですね」
佐伯「よくある……?」
七緒「……すみません、仕事柄この手の話は大量に摂取しておりまして」
佐伯「摂取……」
七緒「信じてないわけではありませんよ。何かが起きていることは事実かと思いますので、まずは物を確認させてください」
佐伯、訝しんでいる。
■佐伯邸・外観
古いが大きな屋敷。
■同・玄関
扉が開き、七緒と佐伯が入ってくる。
佐伯「どうぞ、遠慮なくおあがりください」
七緒「ありがとうございます。ご家族は今いらっしゃるんですか?」
佐伯「両親は早くに亡くなりました。妻も病気で、一昨年――子どももおりませんで」
七緒「それは……大変失礼いたしました」
佐伯「いえ、構わんです。さあ、金庫は奥の間にありますので」
七緒「はい、お邪魔します」
■同・和室
昼なのに異様なほど暗い室内、重く淀んだ空気。
緊張した様子で入ってくる佐伯と七緒。
部屋の隅、静かに鎮座する金庫。
七緒、目を細めて。
七緒M「入った瞬間にわかった。これは『本物』だと」
佐伯「では、開けます……」
金庫のダイヤルに手をかける佐伯。
すぐ扉が開き、闇の奥に色褪せた草双紙。
――本が見える。
七緒「これが……新発見の妖怪草双紙……」
じっと見入っている七緒、振り返り。
七緒「手に取ってみてもよろしいですか」
佐伯「え、ええ……」
ゴム手袋をする七緒、慎重に本を手にしてめくる。
そこに描かれているのは、一般的に知られていないオリジナルの妖怪達。
七緒「……確かに、見たことがない妖怪の絵がたくさん載っていますね。私もそれなりの知識があるつもりですが」
佐伯「少し前に古美術鑑定のバラエティ番組で、新発見の妖怪絵巻が注目されてましたよね。これもそういった類なのでしょうか」
七緒「出自は伝わっているのですか?」
佐伯「いえ、曾祖父の時代にはこの家にあったそうなのですが……どこの誰が書いたのかは伝わっておらず……」
七緒「ふむ……」
佐伯「ただ、以前からこう言われていたそうです。『この本を長く読んでいると、よくないことが起こる』と」
七緒「そうですか」
気にせず、じっと本を見ている七緒。
佐伯「…………」
七緒「少しの間、この草双紙を預かってもいいでしょうか。近くに用意した民宿でいろいろ調べてみますので」
佐伯「はあ、か、構いませんが……」
七緒「……?」
佐伯「これが恐ろしくないんですか、貴方は」
七緒「…………」
■村の民宿(夜)
小さな宿、星の綺麗な夜にフクロウの声。
■同・和室
襖を開け、入ってくる七緒。
七緒「さて……さっそくはじめるかな」
ゴソゴソと鞄を探り、本を取り出して机の前に座る七緒。
七緒M「怪奇現象が恐ろしくないのか、と言われれば嘘になる――私だって、それらは怖い」
眼鏡をかけ、ゴム手袋をする七緒。
七緒M「しかし子どものころから妖怪に触れていた私にとって、それらは強い憧れの対象だ。妖怪を安易に『怪異』と呼び変える行為を忌み嫌うほどに」
ルーペを取り出し、本の表面を見る七緒。
七緒M「本気で妖怪の実在を信じ、大学ではあえて理数系を学び、妖怪が存在できる法則を探したように――私は本気なのだ」
本を丁寧な仕種でめくる七緒。
七緒M「怪奇作家になってからも、私は妖怪の物理的実在を前提として、妖怪を語った。未だその証拠は見つからないが」
薄い笑みを浮かべる。
七緒「これが本当に、妖怪と関わるものなら……」
改めて本の表面に触れる七緒。
七緒M「それにしても、やはりこの草双紙は奇妙だ。最初は気づかなかったが、表紙に触れていると不思議な熱を感じる」
獣を撫でるように表紙を撫でる七緒。
七緒M「私の体が冷えていたからだろうか。あるいは微生物などの影響か?」
七緒、溜め息を吐いて。
七緒M「温度については私の勘違いかもしれない。後回しにする」
さらに裏表紙に触れる七緒。
七緒「これは……?」
よく見ると、表面の一部に羽毛のようなものが。
七緒M「本の一部に、毛のようなものが見られる。繊毛は原始的なゾウリムシにも見られるものだが、カビか何かだろうか……」
七緒、毛をむしろうとしてみるが、取れない。
七緒M「いや……生えている。この毛のようなものは、本から直接生えてきている……」
怪訝そうにしながらも、にっこり楽しそうな笑みを浮かべる七緒。
七緒M「結局その夜は、それ以上のことはわからなかった」
× × ×
翌朝、窓から差す朝日。
七緒M「翌日は丸ごと、それに向き合うことにした」
ぼさぼさの髪で起き上がる七緒、布団から這い出て机に向かう。
× × ×
本の隣にはノートパソコン、メール画面が表示されている。
七緒M「念のために類似する草双紙がないか調べてみたが、見つからない」
さらに画面が切り替わり、鳥山石燕などの有名な妖怪絵巻が表示される。
七緒M「描かれている妖怪に名前らしきものが表記されていないため、同名の妖怪絵が他にあるかもわからなかった」
改めてゴム手袋をつけて本に触れようとする七緒、ふと違和感をおぼえる。本の表面に、とても薄くはがれた表紙の一部が。
指でつまんでみると、半透明の薄い表紙がぴりぴりと剥がれてくる。
七緒「これは……『皮』……?」
七緒M「それはまるで虫や爬虫類が脱皮した皮だった。こんな現象は佐伯氏にも聞かされていない」
本の皮を机に拡げる七緒。
七緒「どうして今になって……金庫の外に出したからか? それとも……」
七緒M「――私は、わかりかけていた」
七緒、背綴じに触れてみる。
草双紙には珍しい、黒く硬そうな素材で本が綴じられている。
七緒M「最初は気づかなかったが、本の背綴じにも違和感があった。これは私の勘が間違っていないのであれば……」
さらに背綴じをルーペで拡大する七緒。
七緒M「硬い。それは蟹の外殻のような、いわばこの本の『骨』だ。そして――」
背綴じの真ん中に、とても細かく小さな球状の物質が並んでいる。
七緒M「この、拡大しなければわからない小さな球状のものは――ひとつひとつが、濁った魚の眼球に似ている」
球状のひとつは人間の目のような形。
それが、ギロリと七緒を睨む。
ひっ、と本を床に落とす七緒。
七緒M「やはりそうだ――この草双紙は、紙でできたただの本などではない」
床の上で異様な存在感を放つ本。
七緒「この本は、生きている。この本は――」
壁に背をつき、ぞっと本を見下ろす七緒。
七緒「……『動物』!」
七緒M「さすがの私もそのときは衝撃が強く、その場から逃げようと思った」
七緒、本に背を向け、部屋の襖に手をかける。
七緒M「けど、すぐに気が変わった」
七緒「本のような生物……生き物……」
ぶつぶつ言いながらも、目に光が宿る七緒。
七緒「本物の――『妖怪』。ここで逃げるわけにはいかないッ!」
七緒、意を決して振り返る。
だが、落ちていたはずの本がそこに無い。
七緒「!?」
ハッと気づく。
七緒の足下に、本がいる。
自立した本が開き、中のページからは無数の繊毛が束ねられたクラゲのような長い触手が生え、蠢いている。
開かれた表紙と背表紙は魚のヒレのよう。
七緒「ひいっ……」
そのままぬるぬると七緒の足にまとわりつき、七緒の体を登ってくる本。
七緒「あああああああ……!」
見開かれた本が、七緒の顔に飛びつく。
七緒、剥がそうとするがへばりついて取れない。
口の中に、本の触手が入り込んでくる。
七緒「あぐぐ……」
やがて意識を失い、その場に倒れる七緒。
七緒M「私は確信を得た。この本の周囲におかしなことが多発し、今になって突然脱皮を行ったのは――」
× × ×
目を覚ます七緒。
本はなぜか机の上に戻っている。
七緒M「――目を覚ました私は本を佐伯氏に返すこともせず、本を持って民宿を出た」
■東京に戻る電車
窓際の席、呆然としたような顔で座っている七緒。
七緒M「それからのことはほとんど記憶がない。どうしてそのまま帰ってきてしまったのか。どうやって生活したのかも」
■病院・診察室
医者と向き合っている七緒。
七緒M「わかったことは」
七緒、愕然としている。
七緒M「自分が妊娠していた、ということ」
エコー写真に映る胎児。
七緒M「医者の言う通りならばその子は人間の胎児とまったく同じ外見、同じ体質だった。だが私にはわかっていた」
無表情に写真を見つめる七緒。
七緒M「それはあの『本』の子どもだと」
■七緒の部屋
ベッドの上で腹をさする七緒。
七緒M「この本がどこから来たのかはわからない」
七緒の表情には慈愛の色が浮かぶ。
七緒M「だがこれは明らかに生きている。生物的特徴から考えるに――何らかの深海生物が進化したものだと私は推測している」
× × ×
深海イメージ。メンダコやクラゲ、無数の甲殻類。
七緒M「暗く狭い金庫の中――まるで深海のような孤独な空間で、長く生き続けられる脅威の生態……」
× × ×
七緒M「そんな生物がなぜか草双紙に擬態し、今は胎児に擬態している」
七緒の傍らにある本。
七緒M「この本に何故既存の妖怪と異なる絵が載っているのもわからない」
ひとりでにパラパラと開かれていく本。
七緒M「あるいはこの本が、自分の遺伝子を主張しているのかもしれない。妖怪の絵は、遺伝情報なのだ」
怪しき創作妖怪の数々。
七緒M「いずれにせよ、やがてこの子も脱皮を繰り返し、人の姿から本に成長する」
× × ×
佐伯邸の金庫。
七緒M「あのとき佐伯氏の家には、女性が住んでいなかった。だから本は自ら動き出し、私を導いた――繁殖相手を探すため」
× × ×
七緒M「だが私は後悔していない。妖怪の実在を、自分の体で証明できるからだ」
うっとりしている七緒。
七緒M「それは私だからこそ可能な、怪奇作家にとって最高の新作と言えるだろう」
■冒頭の喫茶店
唖然としながら七緒の話を聞いていた、後輩の環。
環「…………」
七緒「やっぱり信じられない? そうよね、本の子どもを産むだなんて。怪談にしても奇抜すぎるもの」
環「先輩は……いえ、その、先輩の子どもは」
震える声で生唾を飲む環。
七緒の痩せた体は、妊婦のそれではない。
環「今、どこにいるんですか」
七緒「……勘がいいのね。そう、産まれた私の子どもは想像以上に成長が早かった。今はもう立派な大人なの――だから」
バッグから、新しい草双紙を取り出す七緒。
環、その背綴じから目を離せない。
七緒「私の孫を産んでくれない?」
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