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天の嘆き

『歴史から学べることは、人間は歴史から学べないということだ』
『歴史は繰り返す』
この言葉たちからもわかるように、人間の本質というものは何を繰り返そうと変わらんらしい。悲しいことだ。
人間たちも、輪廻転生というものは知っているだろう。あれは事実、ある。
魂というものは何度も使われ、磨き込まれていく代ものだ。魂の創造にだって、限りがある。そうそう新しく創り出すことはできぬものなのだ。
だからこそ、燃え盛るような"歴史"というものが紡がれる。どの魂も、以前より良い命のために生きているから。そうでなければ、生活、ひいては文化は生まれ得ない。
幾つもの肉体を渡り、幾つもの生活を経験できるのは、魂を持つものの特権と言える。
俺たちやアイツでさえも、そんな人間たちの軌跡を作ることは不可能だ。道があることを教えることはできても、その先は作れない。道の先を選び、進んでいけるのは人間だけが持つ力だ。
頭は憶えていなくとも、魂には記憶されている。今まで選んできた道の正しさ、愚かさ、優しさ、傲慢さが。

…………だというのに。
人間は、何を学び何を成し遂げようとしている? 何千年も世界を見つめてきた魂は、いったいどこで成長を止めた?
かつての"単純な理由から発展した小競り合い"は、時を経て、"複雑な事情から発展した大騒動"になってしまっている。昔から、根本的な何かが変わっていないではないか。
長く生まれ続け、社会を作ってきたはずなのに、何が人間を破壊の生命体へと矯正してしまうのか。俺にはてんで理解できない。
……したくもない。
人間の間に語られる宗教というものでは、泥から生まれたとか、神の体の欠片で作られたとかいう話がある。それは大きな誤解だ。
人間は、慈しみの中で生み出した。
よく憶えている。片手間でも、俺たちを崇拝させるためでもない。
ただ、俺たちのようなものでは成しえないことのできる存在を望み、希望を抱いて生みだした。意思、感情、その凡ゆる可能性を人間という存在に委ねた。それが身勝手だったのだろうか。
何故こんなことになったのか、俺には答えられぬ。きっと、誰にも答えられぬ。
もしや、魂がいけなかったのだろうか。
アイツが作りだし人間に与えた、小さくも明るい灯火。それは、大いなる欠陥だったのか? それとも、使い込まれていくうちおかしくなったのか? 魂自体、あってはならなかったのか? 俺はアイツに、魂を作ることをやめさせるべきだったと?
……もう手遅れ、何を言っても仕方のないことだ。あぁ、まったく……。
どこへ行った、あの人間たちは?
空に描かれた星々に思い思いの物語を見出していた創造性。
地球と共に、自然の赴くままに生きていた豊かさ。
無知をありのまま生きる、愛い愚かさ。
愛すべきものを真っ直ぐに愛すべく生きていた、穢れなき美しい生き様。

────返せ、返せ返せ返せ!!

俺たちが愛していた人間たちは、どこへ消えてしまった? 最初から幻だったのか?
……であるならば、行く末を見守ることしか、俺にはできぬ。自ずから地獄を作るというのなら、その地獄に生きる様を傍観するだけだ。介入する義務もその意欲も、他の奴らは知らんが、俺には無い。
そうしていつか人間が消えたなら、他の奴らは泣き、憂い、また新たな存在を模索するのだろう。今度こそ、と期待をして。
俺はもう、真っ平御免だ。
しかし少しでも、あの頃の魂の記憶が残っているのならば、思い起こすことができるのならば。
俺のささやかな願いが、もしも、小さく脆く目映い魂に届くのならば。

……己の中の悪意を、殺意を、破滅の力を、その膿んだ傷を憎め、人間ども。