短編小説 『足らぬ頭で釈迦に苦虫』
桃源郷のほど近く。
蓮池の辺りには、桃を収穫する少年が一人。
ここ、桃源郷の桃は、それはもう絶品で。釈迦の御口にも献上される最高の甘露(かんろ)、―――のはずですが。
「おお嫌だ。虫が食っておりますね。」
いつもなら千切って捨てるところですが、何を考えたのか、少年は虫に喰われた桃をそのまま籠に放り込みました。
見つかったら、やばいですよ!
って言ってやりたいのですが、どうやらこちらの声は聞こえていない様子。
はてさて、どうなることやら。
生まれつきの足りない頭を乗っけた少年は、もう桃のことなんか忘れてしまったようですね。
桃を載せた車を押す手が「疲れたでヤンス」と言い出すやいなや。
「はて? おれはなぜ車を引かずに押しているのか。これは引き車のはずだったが。」
―――と、もともと足りない頭をグリグリひねり、どうでもいいことをぶつぶつと言いながら蓮池の周りを10歩程歩いた後、綺麗な蛙を追いかけて、何処かへ行ってしまいました。
「しめしめ。頭の足りぬ少年が、桃を置いて行ってしまった。」
と、一人の山賊が引き車に飛びつきました。
皆様、ご存知ないかも知れませんが、山賊をするのはとっても腹が減るのです。そこで、
「腹が減っては引き車を押せぬ。ならばどうする。ジャムにしよう。」
と、砂糖と鍋を抱えて再びやってきた山賊は、ポコポコ、クツクツ――、ジャムを作り始めました。
蓮池の畔(ほとり)には、乱れ咲く蓮がもう満開で。
釈迦が散歩に来るような、それはそれは美しい景色なのですが、今辺りを覆う桃ジャムの香りは、景色などどうでも良くなるくらいに山賊の心を甘くホクホクさせていきます。
「何やら甘い良い香り。いやはやなんとも、焼肉の匂いでないのは確かだが。」
と、チャッチャカ爪を鳴らしてやってきたのは白い竜。
「ふむふむ。状況から察するに、ソロキャンプ中の山賊が、野外で桃ジャムクッキング。さしずめ女子力アピールといったところ。だが、致命的な問題が一つだけ―――」
と、蓮の葉を布団代わりにポカポカ寝ている山賊を見下ろして、
「―――今、わたしにできることは、これが精一杯」
と、自分の家からパンを咥えて持ってきて、ジャムが煮える鍋のそばにそっと置いて去りました。
そこにやってきたのは蛙を追いかける一人の少年。
「はて、あれは。」
自分が押していた引き車のことなんてもうすっかり覚えていない彼も、とうとういい加減蛙を追いかけるのも飽きてしまい、良い具合に煮詰まった桃ジャムに近づくと、お皿に乗った齧りかけのコッペパンと、一枚のメモ―――。
『致命的な唯一の欠陥。
①パンが足らぬ、
②パンに塗るスプーンが足らぬ。
(白い竜より)』
が置かれておりました。
しかしまぁ文字も読めぬ彼からすれば、出来たてのジャムがあり、齧りかけだが一本のコッペパンがあり、蓮の葉に包まれたツヤツヤぷくぷくの女山賊がスヤスヤ寝ているなんて、上げ膳据え膳―――。
と、思いきや、急に頭をクリクリ考え出す始末。どうやらコッペパンを一人で食べるか、女山賊と分けようか迷っているようですね。
「う〜ん。どうするべきなのか。これは釈迦でもわかるまいて。」
そういう彼は段々と女の顔が釈迦に見えてくるじゃありませんか。
そこでやっと自分の仕事を思い出した彼は、コッペパンを半分に千切り、片方だけに甘い桃ジャムをかけて釈迦の元に駆けました。
「ああ。オレの頭が足らぬばっかりに。桃はジャムになってしまい、コッペパンは、半分こ。美しい女山賊は怒るだろうか。釈迦様は―――。どうか足らぬ私をゆるして下さい。」
さて、桃源郷の果てにある、入江の奥の椰子が茂る木陰の隅。
椰子の影が一段と濃くなった場所に建つ細木と藁で編まれたパーゴラのテーブルには、釈迦の朝ごはんが用意されています。
良かった良かった間に合ったと、桃ジャムをたっぷり掛けた半分このコッペパンをテーブルに置いた少年の安堵の後ろ姿が見えなくなる頃のこと。
眠気まなこで顔を洗うのも早々に、「YouTubeは寝る前に見るもんじゃないな」とため息を吐きながらテーブルについた釈迦。
眼の前には、豪華な朝食には似つかわしくない、ベタベタで齧りかけの小汚いパンが置かれております。
ふと、何かを見つけた釈迦。
恐る恐る、箸でツンツンコ。
ジャムを掘り起こすと―――。
そこにはホクホクに茹で上がった、プリプリの芋虫が。
その時の釈迦の顔と言ったら。
苦虫を噛み潰すって、こんな顔を言うのでしょうね。
少しばかり人より足らぬ少年は、今度はヤドカリを追いかけて波打ち際を跳ね回っています。
大きなクシャメは、潮風で舞い上がった砂のせいなのか。
釈迦の小言のせいなのか。
それとも、美しい女山賊のせいなのでしょうか。
[おわり]
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