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エッセイ 「懐かしいね」


 ずっと昔、まだマンションに住んでいた頃のこと。

 うちの家では、手持ち花火で遊ぶのはマンションのすぐ近くの小さな公園と決まっていた。

 どれだけ近いかというと、ベランダの手すりから手を伸ばせば、公園の樫の木の葉に触れそうなほど。もちろん、その公園で花火をするのはうちの家だけじゃない。

 夏の夜、食卓の片付けが終わりそろそろお風呂でも入ろうかという頃なんか、開け放たれた窓からは、手持ち花火の煙のかすかな匂いと、どこかの家族の笑い声がよく聞こえていた。

 花火をしていると、他のご家族と一緒になることも度々あった。でも、大抵は見知った方ばかりだったから、挨拶も程々に親同士は世間話を愉しみ、子供たちは夜に友達と遊べる非日常感を満喫していた。

 少し困ったのは、親同士は仲がいいのに子供同士はそうではないとき。わたしは早く家に帰ってダラダラしたいのに、親同士が盛り上がって帰してくれないのだ。

 あの夜も、そうだった。



 わたしたち家族は、夏にやり残した手持ち花火の残りを使い切るために、近くの公園に来ていた。

 わたしは小学校六年生で、もうお年頃というか、花火ではしゃぎまわる男子たちをみて、「花火とかでテンション上がるとか、マジ子供過ぎん?」とか、「どうせやったら彼氏作って浴衣着てお祭行きたいわ」とか思うようになっていた。

 公園のベンチに座るわたしは、他の家族と楽しそうにおしゃべりする母の後ろ姿を憎々しげに眺めていた。早く帰りたいのに。早く帰ってアイドル雑誌をダラダラ読んでいたいのに。そんなことを思いながら、弟の振り回す手持ち花火の煙が顔にかからないようヒラヒラと手で扇ぎ、ベンチにもたれてため息をついていると―――。

 「長く、なりそうだね」

 涼しげな男子の声。

 いつの間に隣に来たのでしょうか。

 火のついていない花火を片手に持って、ベンチの座るとこに片足を乗っけて斜に構えて。

 同い年に見えなくもないが、こんなにきれいな男子が学校にいれば、絶対噂になっているはず。だから、わたしより年上なのだろうが、幼いような、でも大人びているような、中学生にしては線が細すぎるし、てか睫毛なげー…。

 「あ、あのう。だだ、誰どすか?」

 今まで生きてきた人生(たかが12年だけど)の中で最高のイケメンが隣に座り話しかけてきてくれて、ちょっと混乱、いやめちゃくちゃ混乱したわたしは、そう問いかけた。

 そのイケメンは、「……ん」と言って、わたしの母と楽しそうに話し込んでいる妙齢の女性にそのシャープな顎先(てか輪郭めっちゃきれーだな)を向けた。

 そうなんですね。あのきれいな方のご子息様なんですね。ところでモデルかなにかされてます? 写真ください。おかずにします!

 わたしの声にならない声なんて、イケメンに届くはずなどない。いや、届いてはほしくなかった。女の煩悩など。

 「……嫌になっちゃうよね。明日から、試合なのに」

 気怠そうな表情で夜空を見上げるイケメン。まるでドラマのワンシーンのよう。わたしは横顔フェチなので、鼻とか、おでこをとか、顎のラインとか、スッとした喉元やエッジの立った鎖骨やら、やらやらむにゃむにゃ…。

 「しし、しあい? しあいとは、なな、なんぞ?」

 もうやめとけ。話すな。変なやつだと思われてるぞ。わたしの心がそういっているのがわかった。イケメンを前にするとまともに話せなくなる自分が辛かった。イケメンは言った。

 「テニスの」

 「ペペ……」

 「テニスだよ」

 イケメンは少し眉を潜めた。その隙をわたしは見逃さなかった。畳み掛けろ! コミュニケーションは〝押し〟が大事!

 「テニス! テニス! テニスですよね! わたし。テニス。好き!」

 「経験者?」

 「ハイ! 経験者デス! 玉打つやつ!」

 わたしの超絶トークに、イケメンは「なにそれ。パチンコじゃん」と言って笑った。

 少しはまともな受け答えができたことに自信がついたわたしは、このまま告白するところまで行ってみる気になっていたが、残念なことに親同士の話しが終わっていたようで、気が付くと花火の後片付けが始まっていた。

 「ゴメン、もう行くわ」

 イケメンが立ち上がった。

 待って。まだ言いたいことがあるんです。

  「あ、あの、すす、好き…」

 好きだと伝えたいのに。
 夏の夜が二人を引き裂いていく。

 イケメンは言った。

 「君、中学生になったらテニス部に入りなよ。教えてあげるから」

 何だよ、両思いじゃん!

 どこが両思いなんだろうか。イケメンの言葉に、そんな阿呆な思いに駆られたわたしだ。

 「ハイ! ふつつか者ですが、お、お世話になります!」

 と、身も心も捧げる思いでそう返事した。

 少し笑ったイケメンは、去り際、片手に持った火のついていない花火に気付いた。そしてちょっと考えるふりをして、あろうことか、わたしに「悪い、これ、捨てといて」と渡してきた。

 おいおいおい。これにはさすがのわたしも、おいおいおい、蛙化しちゃうぞ? となった。イケメンのあまりにオラオラした感じにわたしは心底ガッカリした。いやいや、ちょっと待て、わたしはあなたの雑用係か? いくらイケメンでも、それはだめじゃないか? 自分のものは責任を持って自分で捨てる! それがSDGs(ちょっと違う)ってもんだろうが! てか、手が女の子みたいにきれーだな。

 わたしはイケメンに言ってやった。

 「ハイ! 捨てます!(大切にします!)」




 家に帰る途中のこと。

 わたしは、イケメンからプレゼントされた(?)手持ち花火を指先でいぢりながら母と話していた。

 「お母さん、わたし、中学はテニスがしたい」

 母は言った。

 「あんた、あの子と話してたもんね」

 「…うん。かっこよかった。初めて男の子を好きになったかも」

 「まあ、あの見た目じゃそうなるわなあ」

 「え?」

 「あの子、女の子だよ」

 ( Д ) ゚ ゚


 その後、わたしは野球部のマネージャーになった。




[おわり]



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