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〚鰯の鱗の国の姫〛Ⅱ #シロクマ文芸部 #花吹雪




 月から降る〝いわし

 それを、きみは〝あめ〟と呼んでいた




 「ねえ〝いわし〟は分かるけどさ、きみのいう〝アメ〟って一体何なのさ……」ってぼくいうと、きみは不思議そうに首をかしげた。

 「―――〝あめ〟、知らないの?」

 この国には月から降るのは〝いわし〟くらいしかいなくって、きみのいった〝水玉の降る雨〟なんてぼくはみたことがなかった。もしあれば、素敵なんだろう、けどさ〝水玉の降る雨〟なんてどうせいつものきみのお話なんだろ? きみは、〝ぼくら〟とは少し感じ方が違うから。

 そしたら、きみはぼくの胸をさすってこういった。

 「おかしいなあ。胸のここんとこにちゃんと覚えてるはずなんだけど。きみにも知らないことがあるんだね」

 ぼくは知らないことだらけだよ。

 〝あめ〟が、こんなに美しいなんて、全然、知らなかったんだ。





 〝いわし〟に乗って、〝水玉の雨〟が降る月に降りたぼくは誰もいない月の街を歩いていた。

 〝水玉の雨〟がぼくを濡らして、まぶたは水玉のカーテンみたいに重たくって。まばたきをするたびに月の街の明かりが虹色の光を放つのをぼくは見た。

 きみは知っているのかな。

 〝月の雨〟って、〝いわしウロコ〟みたいに虹に光るんだぜ。これはきっと、星屑の涙なんだ。月から降ってくる〝いわし〟は、きっと星屑の涙から生まれたんだ。

 見上げるとずっと遠くにミルクをこぼしたみたいに真白く光る川が流れていた。星屑の涙はその川の底から落ちていた。




 川はいった。

 きみは、なぜ、ここにいる? 〝ウロコ〟を止めれば、きみはどうなる 〝いわしウロコ〟で作られた、きみは 〝ウロコ〟を止めれば心は散り散りに放たれる 宇宙の膨張速度に〝心〟の素粒子《ボォゾン》はついていけないじゃないか 極限に薄まりつつあって、なおも深淵を目指す宇宙において〝心〟など、無力だ



 ぼくは川を見上げていった。

 〝いわしウロコ〟は耐えてたよ



 川はいった。

 〝いわし〟の弱さは強さだ
 個々の〝いわし〟に意志はないのだ 弱さゆえ個を諦めた生き物が〝いわし〟 群体としか生きれぬほどの弱さが、心を持てないほど弱い〝いわし〟こそがマクロとミクロを同義とし量子のゆらぎが極限に遠ざかる〝心〟の素粒子《ボォゾン》に、膨張を続ける無限の孤独に耐えることができるのだ

 それを、なぜ、きみが止める?



 ぼくはいった。

 彼女が〝独り〟だったから



 川は笑った。

 ふははっ! 過去とも現在とも未来とも違う繋がらぬ平行線が繋がった世界ヘ行こうというのか! 極限へと薄まりつつあって状態ベクトルもオブザーバルの測定すらも無意味となったこの宇宙はすでにきみの思考と一体となり、きみの宇宙ヘと変化し始めている! 必要なのは世界を終わらせるきみの勇気だけだ! ふはは、だが彼女が〝独り〟だと? 〝いわし〟も、〝この世界〟も、〝彼女〟さえも、全て、きみの心が、孤独を耐えるために作った“ウロコ”じゃないか!






 川は去った。

 ぼくがピストルの引き金を引くと月の雨が止んだ。

 「ありがとう」

 ぼくの耳には確かにそう聞こえた。聞き慣れた甘い声。ぼくを慕う女の子の声。でもその声の主がどこの誰だったのか弾けた頭ではわからなかった。

 まあいいや
 きみはもう独りじゃないからさ
 待っててすぐに迎えに行くよ

 そうして膨張を続けていたぼくの宇宙は孤独に耐えることをあきらめて極限の収束へと向かっていった。





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