スポンジとザル


目の前でゴクゴクと音を鳴らして飲み込まれていく黄色い液体。
ジョッキビール片手にラムチョップを食らう友人の姿はまるで海賊だ。
そのとき私は水をしきりに飲んで,胃の中の蛙を救うべくりんごサワーを薄めようと努力していた。
「こういうのをザルっていうのかな」と羨みながら,もういつトイレに行こうかを考えている。

お酒で失敗したことはない,と記憶していた。
10割の確率で,「お酒強そう」と言われるが,弱い。
でも弱いと本格的に自覚したのはここ2年ほどで,それまでは普通だと思っていた。
だから飲めばその分強くなると思って飲んでいた,が,思い返せば決まって具合は悪くなっていたし,
幾度となくトイレで吐いてきたし,普通に失敗してしまったこともあった。

始まりは京都の駅前の植木への嘔吐(京都の方々,ごめんなさい,許してください)。
一番落ち込んだのは回らない鮨屋(すし〇んまいではない)のテーブルでの嘔吐。
そして一番最近,今年の誕生日はパートナーと良いホテルに泊まってフレンチコースを食べながらスパークリングワインをいただき,
部屋には1本のシャンパンが運ばれてきた。
東京タワーを眺めながら窓辺で飲んだ,飲んだ,飲んだ。
そして急激にやってきた吐き気と,本当にやばいときのサーっと血の気が下がる感覚。
急いでトイレに駆け込んで滝のように吐いた。
水分量が尋常じゃなく,本当に滝のようだった。

トロンとしていた目と頭はその瞬間スッと冷静なものになり,素面に戻る。
素敵な誕生日にもこんなことをやっているということが,とても愚かだと感じられた。

元々羽目を外して喜ぶタイプでもない。
盛大に人様に迷惑をかけたり,税金を無駄にしたりしたことがないだけまだいいか,と思っている自分もまだいる。


まあそんなことがあって,もうお酒は諦めようと思いつつある。
ため込んで,バっと出して,0になる。
スポンジのようではないか。


大学院生のとき,実習先の病院で精神科医から「真っ白なスポンジだ」と言われた。
私の知識の無さはただの不勉強なのだが,不勉強である自覚もあったためか素直だったとは思う。
だからか,私の頭の空っぽさをいい意味でなんでも吸収する「真っ白なスポンジ」とおっしゃってくれたのだ。

確かに理解力はある方で,教えられたことはどんどん吸収する節がある。自覚がある。
そしてすぐ失われる。
先生,ごめんなさい,期待してくださったのに,私は教えられたことを維持できません。
そして大学生のときに宇宙人にさらわれて努力できない体に改造されたことで,その後何も積み重なっていません。

あと,先生から借りた本を借りパクしています。

もう結論が見えてきただろうけれど,私の頭はザルなのだった。


スポンジの身体にザルの頭をもった悲しきモンスター。

スポ〇ジボブ。

逆だったらよかったのにね。

言いたかったことは,ただそれだけです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?