見出し画像

<タンボ・タンボ・タンボ>  羊じゃないよ、カエルだよ

現福寺のある徳島県小松島市大林町は田舎でございます。今年も寺は、農家の皆さんが作った美しい水田に囲まれました。そしてゲロゲロの季節となるのです。

田んぼができると、あっちゅう間ですわ

どこから出てくるのか分からないのであるが、たちまちです。そらまあ大挙して現れ、毎夜ゲロゲロの大合唱となるのです。奴ら、一晩中あきないこっちゃ。調べてみると、鳴くのはオスだけで、求愛の叫びらしい。なるほど必死だわね。カエルの寿命は、と調べてみると、結構生きますねえ。5年ほどだといいますよ。

奴らと言うぐらいだから、うるさいねえ、という話になると想像した人もいるでしょうが、そうじゃありません。ボクはこの季節が大好きなのです。以前組んでいた音楽ユニットも「カエル本舗」といいます。カエル本舗のゲロタン1号、「ゲロタン1号 旅日記」なる本も出版しています。カエル好きなんです。

●●●田んぼって、さ

ところでっ、と。ここから本題。先日ふとしたことから、「田んぼの役割って何だろう?」って考えることがありました。食料自給率を維持しなければならない。日本の食を守らなければならない。と、漢字多めの文章ならまずそんなことを考えてしまいますし、もちろん大事なことではあるんですが、忘れてはならないのはカエルの合唱なんです。カエルが鳴く生活空間というのがむちゃくちゃ大事なんです。

これが日本ということでもあります。ああカエルが鳴く季節だねえ、とお米が日本に上陸して以来数千年、日本人は言い続けてきたんです。アジアにいきゃどこでもあるじゃん、とはいいなさんな。田んぼは日本の一部分。日本人の心と体をかたちづくってきたんですね。農業がどうにかなっちゃえば、日本がどうにかなっちゃうぐらい大変なことなのに、農業は割に合う仕事になってませんね。お医者さんと同じぐらいの報酬があってもいいんじゃないですかね。みなさんはどう思われますか。


●●●幸福はお米のように

さて、ここでいつものように仏教うんちくです。お坊さんがつけている袈裟のことを別名「福田衣(ふくでんね)」といいます。昔々は布が非常に貴重なものであった。袈裟を作る時にも一枚の生地によって仕立てるということはなく、落ちているボロ布などを集め、パッチワークのように繋ぎ合わせて仕上げたそうです。それがあたかも田んぼのように見えたからそう呼ばれるようになったといいます。

 田が実りを生じるように、福徳を生じる。幸福を生じる功徳の種を蒔き、智恵を獲得し解脱という実りを実現する。仏教を体現したような、ユニホームです。仏教が信仰されてきた国々はアジア圏ですから、米と幸福が等号で結べたんですね。

●●●さあて愚僧チョークー、今回の結論です

環境というものが、自然を育み、人を育み、国を育み、宗教を育んでいる。現福寺の周りの田んぼという環境が、ボクたちの心や思考を育んでいると確実にいえますね。この環境が失われることは日本人にとって大きなダメージとなりますよ。クリスマスの1週間後に初詣にいく国民でっせ。信仰心の根っ子には自然信仰が沈殿しています。

環境の変化は、これからの日本人にとっての宗教に対する考え方にも大きな影響を与えることでしょう。農業が立ちゆかなくなるようなら、これまでとこれからと、日本人は大きく変わるんじゃないですかね。よい方に変わればいいですが、そりゃちょっとどうかなあ。できればこれからもカエルの大合唱が聞こえてくるような初夏であってほしい、と愚僧チョークーは思うのであります。合掌。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?