福島聴空
般若心経をほぼ完訳しました。
中央アジアのトゥバ共和国への旅。喉歌ホーメイの修行、荒廃したチベット仏教寺院の支援が目的でした。抱腹絶倒、仰天の連続、とまでは言いませんが、日本ではなかなか体験できない体験の連続でした。
さても、さても 始めちゃいますよ。チョークー和尚の人生いろいろβ版。仏教的に世の中を読み解いてみよう、という大それた試みです。 はるか昔、心の時代などと言われたことがあったけれど、残念ながら、そんなものは来やしなかった。代わりにやってきたのが、お金の時代。まあ、言うまでもなく、お金はずっと力をもってきたわけだけど、今の万能感たるや。お金持ちの人はどんどんお金持ちになり、そうでない人はやっぱりそうではなく、いわゆる分断というのが、世界的にどんどん広がっているよね。 拙僧A
服藤さんのこと そんな中、服藤さんら当時のメンバーは捜査に積極的に関わり、前代未聞 の大事件を解決に導いた。それまで通りの振る舞いだったなら、事件の終結はいつになったことだろう。服藤さんらの活躍あってこそである。宮城さんは原稿を「長いものに巻かれてはいけない」との一文で締めくくっていた。 事件発生が1995年だから、もう30年になる。教祖・麻原彰晃(本名・松本智津夫)はじめ、関わった教団幹部の死刑は既に執行され、事件は表面的には解決したように見える。 課題だらけ謎だ
もう一つ、例を挙げますよ。アナウンサーの古館伊知郎さんも、ボクと同じ「釈迦推し」らしいですね。仏教学者の佐々木閑さんと『人生後半、そろそろ仏教にふれよう』(PHP新書)という本を書かれています。その中に、興味深い一節があるんです。 🔴幸福って何ですか ブラジルで、狩猟採集生活の先住民を取材した時のこと。集落の長に「あなた方の幸福感を教えてほしい」と尋ねたのだそうです。 びっくりするような答えが返ってきました。 「聞いてくれるのはうれしいけれど、われわれは、あなたのおっ
🔴芸術は爆発だ とすれば、「未開」などという言葉に、それほど意味はないですね。不思議かつダイナミックな縄文土器や土偶を見てごらん、ということよね。 芸術家の岡本太郎さんは、縄文に強い関心を示していました。「あれはね、四次元的世界と密接に結びついていたんだ」なんてことも言っておられました。縄文人は、目には見えない世界と対話していたのではないか。そんな感性で生きていたのではないか、とボクも思います。 人工物に取り囲まれ、安全地帯にいるボクらとは、同じ自然を眺めても全く違う景
●●何もないとき 皆さん、どうしてます にわかに思いつかないので 友人のねこでもアップしておきましょう ¥¥¥¥¥ ¥¥¥¥¥ ¥¥¥¥¥ ¥¥¥¥¥ ¥¥¥¥¥ 諸行無常 ¥¥¥¥¥ ~チョークーでした~
そのうちの一つ、三好市井川町の長楽寺(瀧本快真住職)にて先日開催された「第2回四国阿波・八供養菩薩霊場大祭」で、ありがたいことに法話を担当させていただきました。「仏教の源流から学ぶ パート1」と題し、初期仏教にフォーカスして1時間程、お釈迦さまの時代はどうだったのだろう、とあれこれ。喜んでもらえたでしょうか。 八供養菩薩とは何か、というところから説明します 弘法さんの真言密教は、金剛頂経と大日経を最も大切な「両部の経典」と位置づけています。その世界観を示すのが金剛界曼荼羅
「十日の菊」なんていいますね。9月9日は菊の節句、昔は端午の節句よりも盛んだったそうですが、それはさておき、十日に咲いたって間に合わないじゃん、といったことで、時季をはずしてしまい、役にたたないことをいいます。 上下にわかれた今回の巻きのテーマは、まさに十日の菊、六日の菖蒲でした。これはひとえに編集担当の不手際というわけではありますが、チョークープロジェクト、内輪もめもいけません。取りあえず今回のテーマは お彼岸ですよね。 でした。日本の仏教行事の中でも
今から50年近く前、「西遊記」と題したTVドラマがござんした。三蔵法師が、唐といやあ中国ですな、そこを出発し、悟空、猪八戒、沙悟浄のお供と一緒にインドに向かって旅をする痛快エンターテイメントなのである。 ●●●フィクションとはいえ お供の3人はフィクションだけど、三蔵法師は本当にいたんだよ、知っている? 名を玄奘(げんじょう)といいます。そもそも「西遊記」は玄奘が書いた旅日記「大唐西域記」がベースになっているんです。 ちなみに「三蔵」とは名前ではありません。お経を3つに
●●●チョークー流の推し活なんです みうらじゅんさんは、ボクより4歳年上の京都生まれ、であり、漫画家・イラストレーター・エッセイスト・ミュージシャン・ラジオDJ等、マルチな才能を持つ文化人と言っていい。「マイブーム」や「ゆるキャラ」という言葉の生みの親でもあり、殊更、じゅんさんの仏教や仏像好きは有名で、相棒のいとうせいこうさんとの著書やTV番組も多数ある。 ボクは、じゅんさんの熱烈なファンで、このFESを以前から凄く楽しみにしていて、ボクが想像していた以上に面白く素敵な内
「バラナシ」は、3000年の歴史をもつヒンドゥー教の聖地です。ガンガー(ガンジス川)での沐浴で身体を清め、火葬し、遺骨を散骨して、輪廻からの解放を祈るのです。 もちろん、生者も。今回のインド旅行では、例にたがわずボクも沐浴を楽しみにしていました。 ***ついにきたよ 他の地域よりカオスに輪が掛かります。人の多さも匂いも騒音もグレードアップ。ホテルにチェックインして早めの夕食をとり、翌朝のガンガーに備えました。 起床は朝4時。さてとガンガーを目指します。まだ真っ暗なんだ
***チュンダ≠ユダ説 最期の供養者チュンダは、キリスト教におけるユダのような存在にも思えるんですけど、仏教とはまるで考え方が違いますね。ユダなんかいまでも、キリストを裏切った、と忌み嫌われていますもの。キリストだって一度死んで、復活しないとただの反政府主義者じゃないですか。ユダの裏切りだって、あらかじめ神の計画に入っていたのですから、2千年にもわたって嫌わなくてもいいんじゃないの、と思ったりもしますが、どうでしょう。 お釈迦様の葬儀は遺言の通り、弟子達ではなく在家信者に
勢いでつけてしまいましたが、愚人ども、とはこれいかにですよね。「ども」は、この旅、同行四人、うちの檀家さんです。愚人じゃありません。罰が当たります。 ***巨星落つ といっても、いまさらどうしようもないので続けちゃいます。今回はお釈迦様の涅槃の地であるクシナガラでございます。 静かで穏やかでしたね。寂寥感さえ漂っているような気がしました。でも、それって往々にして、先入観のなせるわざなんですよね。「お釈迦様が、ああ、ここで」なんて考えると、騒々しい車のクラクションさえ、し
お釈迦様が遊行をした場所は、北インドからネパール南部のあたりです。村から村へと歩くうち、弟子たちが増え、そのうち何十人、何百人の大集団になっていきました。出家集団「サンガ」の誕生です。 ***戒律とは サンガでは、お釈迦様の説法を聞いたり、瞑想をしたり、と修行に励んでおりました。大集団になりますと、ルールが必要になってくるんですね。それが「戒律」です。 「戒」と「律」。どちらも大事ですが、あえていえば「戒」。「律」は法律の律です。ルールを守れよ、でないと罰がありま
サルナートは「初転法輪の地」ですね。お釈迦様が解脱された後、初めて教えを説いた地です。ここは、お参りする場所が限られています。6世紀に建立された仏塔「ダメーク塔」がメーンです。近くに考古学博物館があります。お近くにお出かけの際は、せっかくなので見学しておきましょう。 ***悟ってしまったのだけれど ブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開いたお釈迦様は、しばらく心地よき感覚をゆっくりと味わっていたようです。チョー気持ちいい、って感じですかね。みんなに教えたいけど、なかなか難解
「ブッダガヤ」は仏教聖地の中でも特別な意味を持っています。お釈迦様が悟りを開かれた、まさしくここから仏教が始まったのです。 ***裸足でお参り 「マハーボーディ寺院(大菩提寺)」はその中心。入口で履物を脱ぎ、裸足になります。日本の寺院ではあまりない風習ですが、インドに限らず、聖地の参拝は裸足で、というところは珍しくはないですね。 足を踏み入れると寺院の象徴である大塔が出迎えてくれます。「ついにきた!」。実感が湧き起こってきました。興奮も冷めやらぬままに中へと進むと
お坊さんをしている限りにおいては、インドから目をそらすわけにはいかない。このあたり、キリスト教の牧師さんにとってのエルサレム、神父さんのローマみたいなもんかいな、と勝手に想像しとります。 言うまでもありません。インドは仏教の故郷、お釈迦様の誕生の地であります。正確にいえば若干違うのですが、あの辺りの話です。 ***インドへの道 というわけで思い切って10日間の「現福寺インドツアー」を企画しました。20年前のことです。かなり昔になりますが、ソクラテスよりは新しい物語