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始めちゃいましょうか

さても、さても

始めちゃいますよ。チョークー和尚の人生いろいろβ版。仏教的に世の中を読み解いてみよう、という大それた試みです。

はるか昔、心の時代などと言われたことがあったけれど、残念ながら、そんなものは来やしなかった。代わりにやってきたのが、お金の時代。まあ、言うまでもなく、お金はずっと力をもってきたわけだけど、今の万能感たるや。お金持ちの人はどんどんお金持ちになり、そうでない人はやっぱりそうではなく、いわゆる分断というのが、世界的にどんどん広がっているよね。

拙僧AIに驚く

チャットGPTというんですか、生成AIの代表選手らしいけれど、ありゃすごいねえ。何でも答えてくれる。人間の仕事の多くを奪ってしまうほどの能力があるそうです。そのうち、脳みそをあれに交換しちゃえ、となるかもね。こんなもん出てきたら、人間ってなんやろう、と考えてしまいます。

メタバースってのもあるそうですな。もうこうなれば、人間の本質とはなんぞや、と問われれば、「情報の集積体にすぎません」となるかもね。人類誕生以来、あまたの哲学者が考えてきた問題にけりがつくわけです。それでも拙僧はね、おいおいそんなわけないやろ、と考えたいわけです。小説の「1984」であるまいし、分断の拡大する世界の課題をチャットGPTがすべて解決してくれるわけはない、と仕事柄、信じたいわけです。オーウェルはすごいねえ、と感心しつつも、拙僧のような仏教徒のはしくれの知識が、読者の人生に少々役立つ、そんなページになれば、と思います。

私とは誰か

哲学的な小見出しにしてしまいましたが、ちっとも哲学的でない、ワタクシのプロフィールを少々。

ワタクシ、1962年、大阪の生まれです。勉強もせず、ぐーたら過ごしていたら、ふとしたことで高野山に行くことになったんです。で、お山に上ったにもかかわらず、修行にあけくれることはなく、バンド活動にあけくれしているうちに、坊さんですわ。これがね、案外あっとったみたいです。ついには本業になってしまいました。それからね、高野山の米国別院駐在開教師としてアメリカ上陸。帰ってからは「行ってくれるか」「はいわかりました」ということで、徳島県小松島市の高野山真言宗現福寺の住職を務めております。

そんなワタクシではありますが、還暦も過ぎ、読者の皆さんの悩みに少しでも寄り添えないかと日々考えております。実はこちらは分家でして、徳島新聞社デジタル版で「人生いろいろ」好評連載中。さすがにね、新聞社のサイトだけあって、公序良俗を踏み外して何でもかんでもご自由に、というわけにもいきまへんのや。こちらでは本家で書き切れなかったことを書いていこうと思います。人生とはなんぞや! よろしく。


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