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母が編んでくれたセーター


ミックス毛糸のセーター



冬になると登場するお気に入りのセーター。
黄緑と白と、ラメのミックス
メリヤス編み10段、ガーター編み3段を繰り返している。

私がそのセーターを着ているのを見て、母が言った。
「あら、すてきね。」

まあ!
「これ、お母さんが編んでくれたよ。私が高校生の時かな? 50年近く経つよ。」

今でも着れるということは、相当ゆとりをもって編んだのだろう。
でも、あまりブカブカした記憶はないから、セーターが伸びたのかな?

母は記憶の糸をたぐるようにしげしげと見つめる。

忘れても仕方ないよ。
長い年月に、驚くほどの数を編んだり縫ったりしたのだから。

子どもの頃の服



子どもの頃、服は母が作ってくれた。
母の若い頃の服をリメイクして。
今のように便利な洋服屋さんがなかったのと、お金も無かったのと。

加えて、冬物は編んでくれた。
カーディガン、セーター、腹巻、靴下。

私にサイズが合わなくなると妹にお下がり。
妹にも合わなくなると、さらに下の妹にお下がり。
3人着るとさすがに傷む。

傷んだ毛糸で編む



傷んだらほどく。
私は母の前に座り、両手を差し出す。
母は私の腕に、ほどきながら毛糸を巻き付ける。
私は、母が巻き付けやすいように微妙に両腕を左右に揺らす。

ほどいたら湯煎する。
それを干したら、お湯の熱と重みで、ちりちりだった毛糸が伸びる。

そういった毛糸を2本どりで、次のセーターを編む。ミックス毛糸だ。

新しいセーターができる。
私が着て、妹が着て、さらに一番下の妹が着る。

母の忙しい人生



今考えると、よくそんな時間と心の余裕があったなと驚く。
母は昼は働いて、夜は編み物や縫い物をした。
父は入退院を繰り返していたから、休みの日はお見舞いに行った。

信じられないほどパワフルだ。

最近になって母に聞いた。
「どうしてそんなに頑張れたの?」
「何かしていないと、不安でたまらなかった。気持ちを紛らしてたよ。」
と母は言う。
父は重い病気で、手術をした。闘病生活は長く、母はさぞ心細かったろう。
経過が思わしくなく、覚悟を決めた時もあった。
父が退院して自宅療養中、私たち子どもは静かに過ごすように気をつけていたなぁ。
しかし、しばらくするとまた入院する、の繰り返しだった。

それにしても…。
母はどこで編み方を覚えたのか謎だ。
結婚前は仕事一筋で、洋裁や編み物はしていない。
その前は戦争中だから、一切していないはず。
祖母や叔母たちには編み物をする人はいない。

セーターのことから、いろんな疑問がわく。

今やっと、母の編んだセーターを着ながら母の人生や昔の生活に思いをはせる。
苦労もあったろうが、父との信頼関係と深い愛情で乗り越えてきたのだろうな。

後年、運よく父は元気になり、夫婦で楽しい時間を持てたことが救いだ。
楽しい思い出を残して少し先に旅立って行った父。
母はまた父に会えることを楽しみにしているようだ。

母が元気なうちに、人生で大変なことの乗り越え方など、たくさん教わっておこうと思う。














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