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文化の激流 阿波踊り

今年、大人になってからはじめて徳島県の祖父母の家に帰省した。
そして、物心ついてからはじめて阿波踊りを見に行くことになった。

当日、もちろん私もわくわくしていたが、生粋の徳島県民である母、伯母、祖父母の方がもっと浮足立っていた。

私なりにとても楽しみにしていたが、母いわく私はまだまだ「阿波踊りを軽んじている」らしい。

母が運転する車の中で、家族みんなで耳を澄ませ、ラジオで近くの駐車場の混雑情報を聞く。そうでもしないと、熱狂する徳島県民の隙間に車を停めることは不可能なのだ。

ようやっと車を停め、ごった返す人混みをかき分けて商店街を歩き進めると、コーンで区切られた商店街の道路の奥で、衣装に身を包んだ踊り子たちがそわそわと談笑していた。

始まるよ、と母が私と妹を人の前へ押しやる。

かねの軽やかな音がてんててんてと鳴り、腹に響く低い太鼓が鳴り始めた。

あれだけいた人の波が、一気に静かになる。

さっきまで無邪気に笑っていた少女たちが、きりりとした笑顔をたたえ、たおやかに、しなやかに舞い、行進しはじめた。

その後ろでは、法被を着た男性たちが重心を落としてさも愉快そうに踊り、さらに後ろには、全体を音で包み込む かね、太鼓、三味線などの鳴り物がずらりと列をなす。

老いも若いも動きを揃えて、本当に踊ることが楽しい、と弾ける感情を全身で表していた。

その列は厚く、長く、果てしない。

数秒前の和やかな雑踏は、今やあまりに純度が高く巨大な文化の塊となって、空間をとっぷりと飲み込んだ。

私の目の前では、歴史が少女の、青年の、中年の、老年の体をして行進していた。

この場所では、文化が確かに息をして、大きく吠えていたのだった。

同じ国にいるとは思えない。

そう感じながら、私はただ圧倒されて、その場に立ち尽くすことしかできなかった。

帰りの道すがら、一緒に来ていた母と伯母に話を聞くと、子どもの頃は学校の帰りに遠くの練習場まで出向き、毎日数時間単位で練習していたらしい。

あの下り坂でバランスが崩れて足が痛いんよ、今日は見れんかったけど本当はあの踊りが好きなんよ、じいちゃんは昔あの楽器を使っとったんよ、とまるで昨日のことみたいにはしゃぐ姿を見て、阿波踊りが季節の、人生のうちに占める比重の大きさを感じた。

そして、帰ったら帰ったでまたテレビで実況を見て皆でやいのやいの言い合うのだった。

本当に好きなんだなあ、と微笑ましく家族を見守る時間が、とても愛しかった。


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