長崎原爆投下後の8月11日

長崎の医師、永井博士ら救護班は生存者を陸軍病院に運び、死者を火葬していた
長崎医科大学の多くの教え子たちが死んだ
ほとんどが熱線により顔が黒焦げになり
身元がわからなくなっていたが
彼らが帰ってこず探しにきていた父兄たちは
服に縫い付けられた名札を見て呆然と立ち尽くしていた。
遺体なかには黒焦げの骨しかないのも多く
どれがだれがわからないままそれに手を合わせるしかないものもいた。

※永井隆「長崎の鐘」を参考に当時の様子を書いてみました。

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