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貧乏家庭で育った私の話-1.幼少期編-

本日、さっそく恋愛についてあーだこーだ書かせてもらったんだけど、皆さんの反応分かります。

お前、誰やねん。何様やねん。と!

だから私自身のことも書かせてもらおうかなと。
書いたところで説得力が増すとも思えないけど
せめてこれを書いてる私がどんな人か知ってほしいのでぜひお付き合いよろしくお願いします。

東北のとある県の中核市に産まれた私。
飲食店を営む父と専業主婦の母
長女として産まれた私はまるで一人っ子のように(後に妹が産まれます)溺愛され、かわいいかわいい世界で一番かわいいと半ば呪文のように言われ育てられました。

まるでお姫様のように両親に扱われてきた私の帰る家は県営住宅。
後に知るんだけど、県営住宅ってその家庭の年収で家賃が決まり私の家はもちろん1番安い家賃。

でも、まわりには大勢県営住宅仲間の友達がいたから自分が貧乏だなんて微塵も思わなかったし、なんならでっかい建物に住んでる私はお姫様だとさえ思ってた。そんな幼少期。


父の仕事は、上がり下がりの大きい仕事だから、
売上が多くあがった月なんかはかなりの豪遊ぷりで、それまでご飯、味噌汁、さんま1匹を母と半分ことか袋ラーメンを母と半分こしておにぎり1ことかの夕飯だったのに
いきなり焼肉を食べに行って親たちはお酒で気持ちよくなりタクシーでカラオケに行く(もちろんタクシーでは「釣りはいらねぇ」をかます)なんて日もあった。

いうなれば父は、あまりお金を計画的に使えるタイプの人間ではなかった。

そんな父であったが、母はあまり怒るタイプの人間ではなかったため父がこの家での正義だったし
飲食店をやってたからか年齢に反して周りの親たちよりはるかに若く見られることから同級生からは羨望の目で見られ、私にとっては自慢の父だった。

そんな父は私に服を買うのが大好きで
売上が良かった月はたくさんの服を買ってくれた

ミキハウス、コムサ、アトリエサブ、、、
私の持ってる子供服は全部ブランド物だった。

毎週日曜日は父の仕事が休みで、
家族みんなでお出かけする日だった。
お出かけの日は父が選んだ服に父がセットした髪型でおでかけをするのが日課。

その日は、安室ちゃんが好きな父が私にミニスカートとキャミソール、厚底サンダルを履かせ
5歳のちっさいギャルが誕生した。
この日のことはよく覚えている。

一通り遊んだ後、夕ご飯の買い物にスーパーに行き、父と母で買い物に夢中になってる中1人ぷらぷらしてた私。
すると、父よりちょっと年上の男の人が
「かわいいね、何歳?」と聞いてきた。

その時どんな会話をしたか覚えてないけど
その男性と話していると「何やってんだよ」と、父が男性の胸ぐらを掴んでぶちきれていた。
その男性も「すいません、すいません」と謝りたおしていた。
その男性がいなくなった後、父に
「せりなはかわいいんだから、1人で動きまわったら変な奴につれてかれる。気をつけなさい」
と言われた。

私はその時、その男性に対して怖いとかどうとかではなく、「さっきのお兄さんは私とどうしたかったんだろう」ということしか頭になかった。

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