抱いてるはずが抱きしめられてる
愛おしくて抱いてるのです。のはずが、写真を見返すとまったく逆でした。
と時間が経てば見方が変わることがある。この時は日に日に弱っていく愛犬を、ぎゅっと抱きしめることが多かった。
ただ、わたしがそうすることで、愛犬も安心するのかもしれないと思っていたからだ。
写真から読み取れること、それはその時、その時の自分の思いや感じ方によって変わるんだ。
あ、わたし抱きしめられてたんだ。
とはいえ、もう抱きしめることはできないのだ。
その短い生命をどこで、どんなひとと過ごしたいか。愛犬ぐぅはわたしのもとに来たいと思い生まれたんだ。
わたしも、きっと母をどこかで見つけ「このひとと一緒に笑いたい。」とか思って生まれてきたのでしょうか。
いま、となりにいる子どもは、お母さんを選んで生まれてきたという。お父さんではなく、お母さんを見つけて生まれてくるらしい。
そして、お母さんの感情だけに子どもは影響を受けるらしい。お母さんが嬉しそうだと子どもも嬉しい。お母さんが悲しそうにしてると、子どもも悲しくなるらしい。
さみしい話だが、お父さんの感情の影響は受けないことが多い。そんな話しを聞くと、お母さんという存在は子どもにとっていちばん大事なひとになる。
子どもをみているつもりが、子どもに見られてる。
抱きしめてるつもりが、ほんとは抱きしめられているのは、お母さんかもしれないです。
親を選べないというひともいますが、子どもは生まれる前から「このお母さんがいい。」と決めるらしいです。
お母さんを励ましたり、話し相手になったり、一緒に楽しみたいと思って生まれてくる。
さらに、延長線には夫も、そのまた延長線上に友人や縁のあったひとも、もともと出会うはずだったひとだと知れば、なんだか腑におちる。
初めて会った気がしないという感情は、これなのか。
うちの愛犬ぐぅも、どこかでわたしを見つけてきたんだと、「うんめい」だったと信じちゃう。
運がいいな、わたしは。
ありがとう、一緒にいられて幸せでしたと母と愛犬ぐぅに伝えたい。
そして、もしも「うんめい」というものを信じられないひとがいたら、「あるんだょーうんめいってー。」と言わせてください。
そしてそれを「運がいい。」といいます。
今日も一日ありがとうございました☻
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