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潜る場所、熟成する時間

その喫茶店は、とあるビルの地下にある。

大人一人がやっと通れるほどの狭い階段を降りて、ドアを開ける。そこにはマホガニーの大きなカウンターと椅子があって、反対には小さめのテーブル席が5つほど用意されている。

狭い店だ。席を埋めようとしても、15人は入れないだろう。

この店には大きな特徴がある。店内はメニュー含めてすべて撮影禁止なのだ。注意書きがきちんとマジックの太字で、誰でも見えるよう壁に掲げられている。

明らかに人を選びそうな、やや昔気質で、決して万人受けなどしなさそうな雰囲気でも、いざ休日の午後となればずいぶんと盛況で、時に満席になるほどの賑わいだったりする。

ぼくがここに行くときはいつも一人だ。深煎りのブレンドコーヒーをすすりながら、ノートとペンを出して書きものをしたり、本を読んだり、あるいはちゃんと現代っ子らしくスマホを触ったりしている。

ぼんやりと店内を眺めると、あちこちから漂うたばこの煙、隣の席で話に夢中なカップル、そして、カウンターに立つマスターと常連さんと思しきお客さんの雑談。そんな光景がみえてくる。

地下に店があるという条件も相まって、なんとなくここが自分にとっての隠れ家のように思えることがある。

居心地がいい隠れ家かと言われると、必ずしもそうとは言い切れない。でも誰にも邪魔されず、またひとりで時間を過ごすための場所として、時々「潜りに行きたくなる」ような場所なのだ。

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インターネットのおかげで、どれだけ遠くにいようと、あるいは自分の交友関係から離れた人でも、意見を読んだり聞いたり、あるいはそうした人に向けて自由に発信できるようになった。

特に、ツイッターやインスタのようなSNSのおかげで、誰もがいつでもつながり、その日の出来事やその人の考え方を知ることができるようになった。

20世紀の終わりに生まれたぼくも、例にもれずしっかりとSNS中毒だ。ツイッターもインスタもこまめにチェックしているし、今こうしてnoteに文章を書いて、定期的に公開している。そして、SNSがなかったら出会うはずもなかった人がたくさんいる。確実に自分の世界は広くなった。

でもそんな中で、ほんとうの意味での「ひとりの時間」を持つことは難しくなったのかもしれない。

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ぼくたちには「熟成する時間」が必要だと感じる時がある。

日々の仕事や社会生活において、人と会ったり話をしたり、テレビを見たりスマホを触ったり、ぼくたちは周囲の影響をたくさん受けながら日々の時間を過ごしている。

むりやり料理に例えると、それはいろいろな調味料を入れたり、火をかけたりする時間に似ている。調味料を入れるように外から何か情報を加えたり、熱を加えるようにして、自分の環境に変化を与えていくようなものだ。

それとは別に、外から得られた情報や刺激をもとににして、自分自身の中身を「熟成させていく」時間がある。漬物や煮込み料理が、人が手を加える以外の「寝かせる時間」に味がきまっていくように、人間としてのおもしろさやたのしさは、この「熟成する時間」がつくっているのかもしれない。

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スマホ1つあればどんな情報でも手に入ったり、どんな世界にもつながるような刺激的な時代。何かを知ったり、興奮するような体験を得ることはもちろん楽しいことだ。

でも、誰かとつながったり、共感したり、一緒に過ごしたりするだけでは、真のおもしろさは生まれない。

それは「おもしろさ」というものは、自分と他人の感覚の違い、あるいは世界に対する認識の差によって生まれるからだ。おもしろさが生まれるためには「違い」がなければいけないのだ。

「違い」をつくるには、1日のどこかの時間で、自分だけの考える場所や時間をもつ必要がある。それは世の中から切り離されたかのように感じられる、時に退屈かもしれない時間だ。

でもそれこそが、「おもしろさ」に結びつくために必要な熟成を与えてくれるのだと思う。同時にぼくたちは、じっくりと考えや体験、それに知識を熟成させるために「潜る場所」を見つけなければいけないと思っている。

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一体ぼくたちは、どんな場所で「潜ること」ができるのだろうか。

たくさんの情報や刺激から逃れて、あたかも水の中やどこか別の場所に潜り込んでいくかのように、自分だけの時間を過ごせる場所。

一人の時間。誰にも邪魔されない時間。じっくりと、あるいはぼんやりと、自分の体験や考え方を寝かせて、おもしろいことや楽しいことを作り出していく時間。そんな時間を過ごせる場所はどこだろう。

おそらくそれはどこでもいい。カフェでコーヒー片手に物思いにふける人もいるし、温泉や銭湯に行ってお風呂に入りながら考える人もいる。移動中の電車の中でもいいし、もしくは布団の中にあるのかもしれない。

大事なのは、自分だけの「潜る場所」をきちんと見つけることであり、「熟成させる」時間を守ることだ。

どれだけ忙しい時間を送ろうとも、潜ることができる場所、そして熟成するための時間を手放さないように生きていくことで、人とは違うおもしろさに出会うことができるのだと思っている。

それと同時に、「潜る場所」や「熟成する時間」をきちんと大切に守っていくことは、ゆくゆくはあなた自身をつくり、同時に守っていくことになるかもしれない。それは自分自身を失わないようにするために、とても大切なことだ。

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