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深夜3時のティータイム

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訪れた場所や街の印象というものは、そこで見た景色というよりも、もしかすると、そこで出会った人たちと過ごす時間によって決まるのかもしれない。

僕たちは、見知らぬ土地で知り合った人たちを通じて、そして彼らと共に時間を過ごすことによって、ようやくその土地自体を理解できるようになるのだと思う。

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はじめて香港を訪れたのは6年前。僕が大学生の頃だった。

東京からは飛行機で4時間半。沖縄や台湾よりも少し遠いくらいで着いてしまうこの街は、一度来てみると、想像以上に距離の近さを感じる。

日本は冬も目前だというのに、香港の気温は20度を越えていた。

空港へ行くのにしっかりめのジャケットを着ていた日本とは違い、たどり着いた香港はまるで初夏のような陽気だ。ずいぶんと南にやってきた。

空港の外には、市内へと向かうバスが停まっている。ロンドンバスのような2階建て車両ばかりが並んでいて、この街がかつてイギリスの植民地であった歴史を感じさせる。

バスに乗って市内を目指す。空港から市内まではおよそ40分だ。大きな橋をいくつも渡り、香港名物の高層アパート群を横目に、バスは高速道路を一目散に駆けてゆく。

旅の疲れが出てきたのか、座席でぼんやりうとうとしかけていた頃、乗っていたバスは目的地の尖沙咀(チムサーチョイ)にたどり着いた。

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僕はこの旅で、はじめて「カウチサーフィン(Couch Surfing)」というサービスを使うことにしていた。

カウチサーフィンとは、無料で旅行者を泊めてくれるホストと、反対に旅先で泊まる場所を探すゲストをつなぐ、SNSのようなサービスだ。

欧米ではすでに有名らしく、僕の知人にも体験者がいた。彼の話によれば、宿代を節約できるメリットだけでなく、現地での交流やつながりも含めておもしろい体験だったという。

なんとなく興味が湧いてきた。治安の悪い国なら二の足を踏みそうなサービスだけど、幸い香港に関してはその心配はない。出発前、さっそく香港のホストを探しながら、数人にメッセージを送った。

僕のホストになってくれたのは、大学の医学部に通う、ケイティという女性だった。年齢は僕と同じくらいで20代前半。看護師を目指しているらしい。

国際都市・香港。数多くのホストがいた中で彼女にコンタクトを取った理由は、彼女自身もまたカウチサーフィンをフルに活用し、世界何十カ国を旅した経験を持つバックパッカーだというプロフィールを目にしたからだ。

そして何より、彼女自身が香港に戻ってからも、その経験を生かして積極的にホストを受け入れていた事実も、僕にとっては好印象だった。初めてのサービスで戸惑うことがあっても、これならなんとかなりそうだ。

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僕たちは、地下鉄の駅で待ち合わせた。

やや小柄で顔立ちが若く見える、かわいらしい印象を持つ女性だった。軽くあいさつをして歩き始めた。

道中いろいろと雑談をした。彼女の豊富な旅の経験を聞きつつも、どことなく彼女自身の話す言葉から知性を感じた。旧イギリス植民地、その香港でもトップレベルの学校に通う学生というせいか、とても流暢なイギリス式英語で、これまでの旅について話をしてくれた。

駅から坂道を登って15分ほど歩くと、大学のドミトリーが見えてくる。どうやらここが今回の宿になるらしい。東京にもあるごく普通の団地とも似た、少し古ぼけた鉄筋コンクリートの建物だ。

中に入ろうとして思わず気がついた。ここは女子寮だ。異邦人の男がのこのこ入ってもよいのだろうか。しかしケイティは構わず中に入るよう促した。

やがてひとつの部屋に案内された。ドミトリーの4人部屋だった。

過去にゲストたちを泊めていたのもここらしい。部屋の真ん中を通路にして、彼女たちがふだん寝ている2段ベッドがその両側に並び、そしてゲスト用の寝袋とマットがその下の通路に置かれている。けっこう奇妙な光景だ。

同室のメンバーのうち、2人は数日間外出していて不在だという。部屋にはもうひとりのルームメイトがいた。名前をアリソンといった。メガネをかけた、やはり同い年ぐらいの女子学生だった。

ケイティとアリソン、この2人にいろいろなことを教わりながら、僕はこの香港という街を少しずつ覚えていった。

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香港の人たちは、一言でいえばとても夜型だと思う。

地下鉄が24時間走るニューヨークとは異なるけれど、それでも早朝から深夜まで地下鉄や路面電車が走っていて、電車が走らない真夜中でも繁華街と郊外を結ぶミニバスが至るところを走っている。

飲食店を中心に、真夜中でも開いている店が多い。そして僕を案内してくれたケイティもアリソンも、明らかに夜型の人間だった。

彼女たちとはじめて会った翌日のこと、ケイティから連絡があった。

「今日の夜、時間ある?飲茶に行こうよ」

飲茶は僕の大好物だ。お茶を飲みながら点心をつまむ。アルコールが全然飲めない僕でも、いろいろなお茶を飲みながら美味しい料理を食べることは、大の得意だ。

ケイティが誘ってくれて、アリソンを含めて3人で行くことになった。アリソンは夜まで予定があり、ちょうど0時ごろ戻ってくるのでその後で行こうと言われた。

思わず気になった。そんな時間にやっている飲茶があるのだろうか。朝までやっている居酒屋ならまだしも、香港の飲茶とはそういう感じの場所なのだろうか。もしかすると、これまで日本で見てきた飲茶とは、まったく異なるタイプなのかもしれない。

ケイティから伝えられた通り、アリソンが部屋に戻ってきたのはちょうど日付が変わった頃だった。

外は少し雨が降っている。3人で部屋を出て、大通りのバス停に向かった。

間もなくやってきたバスに乗って、地下鉄の始発駅まで向かった。真夜中にも関わらずお客さんは大勢いた。

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深夜1時過ぎ、バスは地下鉄の駅前に着いた。すでに終電が出た後だったのか、入り口にはシャッターが閉められていた。

駅から5分ぐらい歩いたところに、そのお店はあった。

中に入ろうとして思わず目を疑った。30席近くあるだろう店内はほぼ満席だったからだ。3人分の席が空くのを待つことにした。

深夜の飲茶は想像以上に賑わっている。テーブルに座っていたのも、ごく普通の家族連れや友人・知人のグループと思しき人たちが大半で、気取った要素もなく、怪しげな雰囲気とも無縁な、庶民的な感じのお店だった。

入り口にはガラス張りの部屋があって、中では職人さんが休む間もなくシュウマイや餃子を蒸している。蒸し終わった点心はセイロに入れられ、湯気を立たせたセイロの数々が、続々と入口近くのテーブルに置かれていた。

席が空くのを待ちつつ、このお店のシステムを観察していた。どうやら点心に関しては、一つ一つ席で注文するのではなく、このできあがったセイロを客が勝手に持っていく仕組みらしい。要はセルフサービスだ。

席に案内されたので、3人でまずお茶を注文した。お茶だけは席で注文することになっている。さすが飲茶の本場らしく、メニュー表には見慣れないお茶の名前がたくさん書かれていた。

事前の予想通り、お客さんたちが自由気ままにセイロを自席まで持っていく光景がみえた。僕も彼らと同じように、セイロを選んでテーブルまで持っていった。

中に入っているのは、シウマイや肉まんなど。日本でもおなじみのメニューも多い。

それに加えて、ちまきや豚の角煮のようなもの、そして見慣れない料理もたくさん並んでいた。後から知ったけど、そのうちの一つは有名な香港式エッグタルト(蛋撻)だったらしい。

香港の点心は美味しい。おいしいお茶を飲みながら、蒸したてのセイロを持ってきて、食べたいだけ食べる。これほど楽しい時間があるだろうか。

気がつけば1時間以上、お茶を飲み、おしゃべりをしながら、思い切り点心を楽しんだ。

いろいろと食べてすっかりお腹いっぱいになった後、ケイティが言った。

「真夜中だけど、もう日付も変わってるし、これはむしろ”朝のティータイム”よね!」

僕たちは、その即席の「香港ジョーク」をきいて笑った後、腕時計をちらりと見た。もうすぐ深夜3時になろうとしていた。

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訪れた場所や街の印象というものは、そこで見た景色というよりも、もしかすると、そこで出会った人たちと過ごす時間によって決まるのかもしれない。

僕たちは、見知らぬ土地で知り合った人たちを通じて、そして彼らと共に時間を過ごすことによって、ようやくその土地自体を理解できるようになるのだと思う。

はじめて訪れたこの香港で、たまたま知り合った2人とともに時間を過ごしたことで、僕はほんの少しだけ、香港人の生活に近づけたのかもしれない。

僕にとっての香港の思い出は何かと聞かれたら、それはブランド品のショッピングでもなく、はたまた有名な2階建ての路面電車でもなく、きっとこの「深夜3時のティータイム」なのだと思う。

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