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薄く責任を感じながら


自分が後継(アトツギ)として何を考えて、今後やっていくべきか。
それは至上命題でもある。

2020年10月末に元マイクロソフト社長の成毛さんが学生へ宛てた投稿が後継としてとても勇気をもらった投稿だった。

学生の諸君へ、(なにかがおかしいと感じているサラリーマンの諸君へ) いまボクが付き合っている連中の60%は社長たちだ。残りの40%は編集者、研究者、医者、芸者、勇者など、怪しい者業の面々だ。 その社長たちとは熱海の畳屋、江別の製麺屋、伊...

Posted by 成毛 眞 on Sunday, October 25, 2020

最近、後継(アトツギ)の方と話をすることが多いので、今のうちに考えをまとめてみようと思ったのと、成毛さんの投稿を読んだ時に感じた感情を思い出し、改めて自分が後継(アトツギ)として今後、何を考えてやっていくべきかをまとめてみた。

僕は創業の祖父から3代目にあたる駄菓子の卸問屋の息子であり、
祖父から父へ、父から僕へと経営のバトンが受け継がれてきた。
現社長は父だが、会社の経営は実質僕が担っている。
33歳でこの経験させてもらえることにとても感謝しているし、父のビジネスのベースがあったから、継いでも会社が傾かず頑張れているのだと思う。
コロナ禍できつい面もあったが、今期からは堅調な数字が取れるとも思っている。

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本題に入るが、僕は父からも祖父からも「会社を継いでほしい」と言われたことはない。

僕は大学卒業後、2つの会社を経て家業に入ることとなった。
今思えば正直、マインド的に僕は会社員に向いてなかったのかもしれない。
小さな頃から両親が働く姿を見ており、一つ一つの仕事に一喜一憂する二人の姿を薄い記憶ながら覚えている。そんな姿を見ていた幼い頃の経験から、サラリーマン時代の自分は、サービス残業して会社のために働いたり、上司の機嫌を取ったりするのが本当の仕事なのか?と思ってしまっていた。
もちろん、上記のことが無駄と言うわけではない。僕の根底にある、父と母が二人で「やったね。すごいね。」と喜んでいた風景が、脳裏に焼き付いていることに気づいてしまったのだ。
大きな仕事が決まると、お祝いと称し家族で食事に連れて行ってくれたこともある。家族で仕事をして、家族でお祝いをする。僕にはこの思い出が強く残っていたのだ。

ある意味、僕が実家を継いだ理由の一つである。

今思えば、両親は戦っていたのだと思う。
僕には記憶がないが、会社が危なくなった時があったそうだ。
夜遅くに、自宅の向かいにある事務所に向かっていく背中を何度も見たことがある。何をしていたのかは知らないが、今思うと僕ら3兄妹のために戦っていたのだと思う。働く姿を見ていたことは、今では宝だ。特に幼少期に両親が働く姿は忘れないし、他の人にはない経験だと思っている。たまに事務所に遊びに行くと、背中の輪郭がパソコンのディスプレイによって煌々と光っていて、それは何かを生み出そうと考え、悩む後ろ姿だったはずなのだ。
この経験があるから、僕も子供にはできるだけ、自分の働く姿は見て欲しいと思っている。

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僕の周りは後継の会社経営者や職人の知り合いがとても多い。
皆、悩み、もがき、葛藤している。
父親のビジネスを引き継ぎ、リブランディングという「ソフト面」で成功する人間もいれば、技術継承などの「ハード面」を身につけようとしている人間もいる。

僕ら後継は「宿命」ではないのだけど、生まれながらに後を継ぐレールを敷かれた人もいるかもしれないし、僕のように緩い宿命のような感じで、「なんとなく継ぐんだろうな」と思っている人もいると思う。

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起業家のように、何もないところから起業して、0から100作る優秀な人もいる。でも僕は、それができるのは本当に優秀な人だけだと思っている。
誰にでも地元があるように、家業とは別の会社へ就職して、もし合わなくても、帰ってこれる家があり、戻る場所がある。親のスネをかじっているようだが、それが後継の強みだなと思う部分もある。
それに、後継は0からではなく、今まで祖父や父が作ってきたベースがあって挑戦できる環境がある。簡単に言うと売り上げは0からではなく、既存の売り上げがある状態でチャレンジできることも後継の特権だと思っている。
僕自身それをアドバンテージにチャレンジやテストマーケティングを繰り返してきた。そうして少しずつ自分の中の教科書というかノウハウを増やしてきた。
サラリーマンをやっていた時よりも裁量も段違いで多いし、自分に責任が乗っかってくる分、仕事に対してのやりがいや楽しみも増えた。
こうなってみると、ある意味、父親や母親には後を継ぐように教育されてきたのかもしれない。

挑戦を続けること


これから僕はもっと挑戦しなければならない。
ある飲食店(ステーキ店)の後継の方から聞いた言葉がある。
「父親がいなくなって、店の味を自分の味に変えた。そこからが勝負だ。父親のお客さんはどんどん歳をとっていき、脂っこいものを食べることができなくなる。僕は父親のことを尊重しつつも、僕のお客さんを作らなければならない。」
この言葉を聞いた時に、僕は自分がやらねばならないと気付いた。

きっと僕は父親とは違うお客さんを相手に仕事をし、違ったやり方を見つけなければならない。
父親が祖父の後を継いだ時は携帯やスマホはなかった。インターネットもなかった。時代が変わればニーズやシーズも変わってくる。当たり前のことだ。
僕が後継として新しく顧客を生み出し、満足度を上げていかなければならないのだ。

だからこそ僕は祖父や父が作ってきたベースをもとに、新しい市場を生み出し、ニーズに応えることをしなければ、会社は続いていかないと思う。祖父や父が作ってきたベースがある分、それに僕のやりたことを積み重ねていくことが後継の仕事だと思っている。
そうやって歴史が積み重なって今があるのだと、最近思う。

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元々、僕自身仕事に安定など求めていなかった。安定などないものと思っていた。それは両親の働く姿を見てきたからでもある。

家業へ戻り、やりたいこととやれないこと、想いをなかなか理解してもらえず、苦悩した数年もあった。でも、父から受け取ったバトンの、揺るがない基盤は大切にして、僕は僕にしかやれないことを強みに、これからも進んでいくしかない。いまは、家業の後を継ぎ本当に良かったと思う。
組み飴の仕事は好きだし、技術を後世に残すことは僕のライフワークになるだろう。職人さん達の協力を得ながら、ずっとこの仕事を続けていければと考えている。
今だからこそ、後を継いだからこそ、祖父や父から受け継いだ責任を薄く感じながら、ベースにしながら、僕は新しいコトにチャレンジし続ける。失敗しても、またチャレンジすればいいのだから。

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