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男が奢った方が良い理由を男なりに考える

「食事代は男性が奢るべき」
という女性の意見に対して実は共感している部分がある。

と言うのも私の場合、全く奢ってくれない上司がメチャクチャ嫌いだからだ。

どれだけ仕事が出来て、どんなに優くても、
毎回ワリカンの上司にはついて行こうと思わない。

逆に、多少ポンコツでも時々奢ってくれる上司には
「この人ポンコツだけど良い人だし、この人の為にも頑張るかー!」
と思えるものである。

前の職場で、喫茶店を毎回ワリカンにする上司がいた。
カフェ代のような小銭をケチるなよと思うし、何より大の大人が数百円づつ別で払う為にレジで並ぶ姿が恥ずかしい。

ちなみにその上司は海外の大学でMBAを取得した後に大手外資でバリバリ働いていた超エリートだった。MBAではビジネスは教えてくれてもこういうマナーまでは教えてくれないらしい。

とても優秀な人ではあったのだが、
「この人、自分のことしか考えてないんだな。」
と残念な気持ちになる。

いくら凄い経歴だろうが、一回も奢ろうとしない上司とは仕事をしたくないし何なら出来るだけ人間関係も持ちたくない。

別に毎回奢ってくれなくても良い。
ほんのカフェ代だって構わない。
同じ会社のサラリーマン同士、給料もそんなに差ある訳では無いことは知っている。
ただし、一回でも奢ってくれたかどうかは、その人が「ついていくべき人間なのか」の判断に直結する。

「男性が奢るべき」
と言う女性は、別に毎回奢って欲しいのではいと思う。
一回でも奢ろうとするその「姿勢」を言っているのではないかと思う。

つまり「他人の為に動ける人間かどうか」のフィルターをかけているのだ。

石原慎太郎のこの一節はまさに本質を突いている。

男にとっての最高の美徳は「自己犠牲」に他ならないと私は思う。
「私」と言う男の生涯(幻冬社単行本)石原慎太郎著 P204

なので私の場合は、女性とか年下の人に対しては、あまり何も考えずにとりあえず奢るようにしている。

自分の金が減ろうが、相手の人が美味しい食事を楽しんでくれて、それがお店の人の利益なるのであれば、広い目で見たら何も損はしていないのだと考える。

ちなみに、1軒目の御礼にと、2軒目のお代や2回目のデートの食事代を出してくれる女性は最高である。

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