見出し画像

ショートショート『歌』

幼い頃によく聴いた歌は、どうして、いつまでも離れてくれないのだろう。

メロディーは一音も飛ばず、フレーズは一言一句ただしく浮かび上がってくる。私は今年で50歳。中には45年ほど前に耳にしたはずであろう童謡さえ、この有り様だ。

歌とは、記憶の再現装置として、写真に次いで有能だと私は考えている。いや、現実をありのままに映した写真より、想像を働かせる余白が広い分、ときに歌のほうが記憶を自由自在に呼び起こすのかもしれない。

意識しようがしまいがにかかわらず、どこかの景色を見たり、何かを食べたりして体内のある部分が触発されると、勝手に脳内で歌が奏で始められ、思い出を引っ張り出す。こんな作業を繰り返しているうちに、思い出の輪郭は曖昧になっていっても、かたちある歌だけは明確に残り続ける。「昔の歌は良かった」なんて多くの人は言うが、本当のところは、こういった歌の特性に、過去を美化したくなる人間の精神性が合わさってのことなのではないだろうか。

私は、歌や音楽に感謝している。

これまで聴いてきたいくつものメロディーが、数々のフレーズが、私という人間をつくってくれた。私のように不格好な男が日本中から称賛を受けて来られたのは、歌のおかげなのだ。

だから……仕方ないのだ。

過去の楽曲に似ているといわれたって。

思い出の核心とともに私の細胞レベルにまで深くインプットされたものを源にアウトプットするしかないのだから。

私が最近手がけたいくつかの楽曲について「盗作疑惑」が持ち上がっている。

全盛期に比べて旬を過ぎたのも影響しているかもしれない。力ある者に人は弱いが、弱者、とりわけ、落ち目の元強者に対する世間の風当たりは強烈だ。報道は日に日に過熱している。

都内にあるホテルの高層階の一室で、ベッドに腰かけた私は窓から外を眺めている。

空が近い。

昔、子どもの頃に見た空は、どれだけ高いところに登って、どれだけ高く手を伸ばしても、届きそうな気分にさえなれないものだった。しかし、窓を開けて手を出せば、空を掴めそうだ。

空を見ると、いつも思い出す歌がある。おそらく死ぬまで、輪郭すら朽ちない記憶とともに。

私が7歳の頃、母が死んだ。

葬式の帰り道、涙をこらえて上を向くと、そこには雲一つない蒼い空があった。隣で私の手を引く父は、私を元気づけようと唇を震わせながら口ずさんでいた。

コンコン。ドアをノックされた。

入ってきたのはマネージャーだ。いつもはラフな格好なのに、今日はグレーのスーツを着用してる。スカート姿を見るのは何年ぶりだろうか。人が老いるのは世の常だが、急に目の下のクマが濃くなったような気がする。彼女も昨今の騒動に疲れ果てているのだ。長きにわたり私の作曲家人生を支えてくれた恩人であり、申し訳ない。

「先生、記者会見の準備ができました」

部屋を出て、エレベーターを乗り継いで会見場まで歩みを進める。途中、ふいにまた、母の顔、父の顔が思い出された。

やはり、あの歌は今も忘れられない。

ドアの前に立ち、深呼吸し終わると、それを待っていたかのようにマネージャーが扉を開けた。大量のフラッシュで視界が真っ白になったが、私はその一歩を踏み出した。

fin.

★Kindleにて小説「おばけのリベンジ」発売中!


よろしければ、サポートお願いいたします!頂戴しましたサポートは、PR支援や創作活動の費用として大切に使わせていただきます。