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メビウスの輪

「理想が高すぎるんじゃないですか?」

37歳独身。初対面の人に独身で結婚歴も無いことを伝えるとよく言われるのがこの言葉だ。しかし何故か私の理想の女性像を語ったことのない無い人からも言われるのは謎だし、稀に思いもよらない人からそう言われることもある。

3月某日、私は単身京都に車を走らせ、とある神社に向かっていた。年始の2度目の緊急事態宣言を受け、職場からは依然として2名以上での会食を禁止する命令が出ており、仲間内の飲み会やイベント等に参加できない私にとって、休日の寺社仏閣巡りは数少ない娯楽となっていた。

日頃のストレスをひとり自然豊かな山間の神社で癒そうという寂しい小旅行である。駐車場で車を降り、鳥居をくぐると樹齢350年、雌株・雄株の2本の松が寄り添って生えている「相生の松」が見えてきた。この相生の松は古くから恋愛成就、夫婦和合の象徴として信仰されてきたものである。その松に手を合わせ、これから良い女性との出会いがありますようにと祈願する私の目からは何故か自然と涙があふれていた。その時は何故自分が泣いているのか分からなったが、しばらくすると体内の邪気が浄化されるかのように大量の鼻水が流れ、大きなくしゃみが出た。その瞬間に私は悟ったのである。ここは自然が豊かすぎて花粉がヤバイのだと。

当初予定していた滞在時間を大幅に短縮し、車に戻った私はたくさんのティッシュを消費した。こんなに遠くまで1人で来て、なんでこんな辛い思いをしなければならないのかという憤りを鼻からティッシュに向けて排出し、丸めたそれをコンビニのレジ袋に放り込み続けた。限りある資源を大切にできるほど、その時の私は穏やかではなかった。木が種の存続のために放出した花粉が人間の鼻に付着することによりティッシュが消費され、人間はティッシュをさらに生産するために木を伐採する。なんという因果であろうか。

やがて、落ち着きを取り戻した私は大阪の自宅へ帰るべく車を走らせた。

小雨のパラつき出した京都市内を走っている最中、信号待ちで停車した横断歩道の端に1人のお婆さんが立っていた。見るからにヨボヨボで、髪の毛は大半が白髪だが部分的に赤のカラーが入っており、履いているジャージ素材のズボンにはピンクの太いラインが入っている。よく見ると足元も赤系の派手なスニーカー。なんだかファンキーな婆さんだなと気になって見ていると、そのお婆さんが横断歩道を渡らずに私の車の方に向かってゆっくりと歩いてきた。やがてお婆さんは私の車の横に立ち、窓越しに「すみません、もし良かったら乗せてくれませんか?」と話しかけてきたのだった。

信号も変わりそうだったので「危ないのでとりあえず乗ってください」とお婆さんを車に乗せ、私は車を出発させた。正直警戒心はあったが、相手はヨボヨボの老婆である。警戒さえしていれば、最悪何かされても圧倒的腕力差でねじ伏せることが出来るだろうと考えた。私は上腕に力を入れ、二の腕の太さをアピールしながら「一体どうしたんですか?」とお婆さんにたずねてみた。

あまりにも突然の出会いである。そういえば相生の松に祈願する時に相手の年齢層を伝え忘れていたことを思い出した。たしかに女性との出会いはあったが、思っていたのと全然違う。誰かにものを頼む時には内容を具体的に伝えなければいけない。これは社会人としての仕事の基本である。全てはオーダーミスをした私の責任である。

これから車内でお婆さんが私に話した内容を書くが、真偽のほどは私にも分からない。
お婆さんは数年前に脳梗塞を起こして以来働けなくなり、現在は生活保護を受給しているが、生活保護だけでは全くお金が足りず、現在ほぼ一文無し状態なのだと語った。ちなみに本当にお金がないことをアピールするために運転中の私に向かってしきりに財布の中身を見せようとしてきて危なかった。
現在はひとり暮らしなので日頃の生活はホームヘルパーさんに支援してもらっているが、この日はヘルパーさんが休みの日だったそうだ。この後、数キロ先の飲食店(餃子の王将)まで妹に会いに行く予定があるにも関わらずタクシー代もバス代も無いのでヒッチハイクをすることにした(手をあげるのではなく窓越しに直接話しかけるスタイル)。どうやらヒッチハイクはよくやっているらしく、経験から京都ナンバーの車は意地が悪く乗せてくれない(らしい)ので神戸ナンバーの私の車に目をつけ声をかけたそうだ。ちなみに私は大阪在住だが車は中古で買ったので前のオーナーがつけていた神戸ナンバーをそのまま使っている。

お婆さんを餃子の王将まで乗せていく道中、飲み物を買うためコンビニに寄った。私が気を利かせて「何か飲み物を買ってきましょうか?」と言おうとした矢先「すみませんが、もし良かったらメビウスの8ミリを買ってくれませんか」とお婆さんが先手(おねだり)を打ってきた。脳梗塞になってもなお飲み物よりタバコ(しかも重めの8ミリ)を優先するあたりは見た通りのファンキーさである。
一旦お婆さんを車から降ろし、車を施錠(盗難防止)。コンビニ店内に入り自分用のコーヒーとメビウスの8ミリ、お婆さん用のお茶を買った。

コンビニの軒先の灰皿の前でお婆さんは美味しそうにメビウスを吸った。「本当にありがとうございます、あなたは優しい人ですねぇ」と言うお婆さんに対し私は「ええ、そうなんですよ」と全肯定した後、「お婆さんは結婚はされてたんですか?お子さんは?」と気になっていたことを聞いてみた。するとお婆さんは「結婚はしてたんだけどねぇ、働かないしギャンブルはするし他所の女に手は出すし最悪の男だったよ。離婚して正解だった。あの男との間に子供を作らなかったことだけが不幸中の幸いだ。」と思ったよりフルコースの回答だった。

攻守交代、お婆さんのターン。
「お兄さんは今いくつだい?結婚はしてるのかい?」
「僕は今37歳なんですけど、まだ結婚はしてなくて。」
「あら、そうなの。もしかして理想が高いんじゃないの?」
この状況で初対面のファンキーなお婆さんにまで言われるということは、私は相当理想が高そうなのだろう。
「そうかもしれませんね。」
変に言い訳をしてこれ以上踏み込まれると傷つく可能性があるのでここで全てを受け入れる。これがダメージを軽減するテクニックだ。

お婆さんを再び車に乗せ餃子の王将へ向かう。その道中もお婆さんはこれまでの人生や生活保護だけではいかに生活が苦しいかということをたくさん話した。王将の前に着くとお婆さんは「すみませんが、少しだけお金を貸してくれないでしょうか?必ず返しますから。」と言ってきた。道中でお婆さんが「生きていくためには恥を捨てて物乞いをしようと思っている」と語っていたあたりでなんとなく察しはついていたが、連絡先も知らないのにどうやって返すのかというツッコミはさておき、私は手持ちの小銭2500円程をお婆さんに手渡し、お婆さんを見送った。

話だけ聞いていてもどこまでが本当でどこまでが嘘で、このお婆さんが本当に病気で困っている人なのか、あるいはお金をせびりたかっただけなのかは分からなかった。認知症や精神病などを患っていて全て妄想の話だった可能性だってある。しかし推測ばかりしても仕方がない、渡したお金もたった2〜3千円だしあんなヨボヨボの婆さんの生活の足しになって入れば良かったような気がしていた。もしかすると病気の話は嘘で、本当はパチンコで全財産をすってしまっただけかもしれないが、足の悪い老婆が移動できずに困っていたことは多分本当だろう。私達は誰かと対話するとき、相手が語った情報からしかその人のアイデンティを形成できないのだ。そう言う意味では嘘も本当も表裏一体なのだから追求しても仕方ない。


…ってちょ、待てよ。

表裏一体といえばメビウスの輪、8ミリの8はメビウスの輪に形状がよく似ている。これはまさか…あの婆さん「メビウスの8ミリを買ってくれませんか」ってもしかして「嘘も本当も表裏一体」って言う意味だったのか…

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物乞いの
婆にメビウス
買い与え
うそもまことも
表裏一体

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